「豆腐メンタル」ではないんやな、私って思った。
自分はメンタル弱め、いわゆる「豆腐メンタル」というやつだと思っていたけれど、
昨今の自分を振り返ると「豆腐メンタル」でもないのかなと考え直している。
9月。職場の上司から色々とご指導やご指摘を受けることが多かった。
パワハラが横行するような職場ではなく、
多少の肌の合わない部分を感じることはあれど、
上司たちにもすごく恵まれている。
上司の指導や指摘も至極当然な真っ当なものばかり。
でも、そうやって真っ当なものばかりだから、
自ずと自分の「出来ていない」「至らない」に向き合わせなくてはならず、
しんどいなーって思うことが多かった。
他者からの指摘に対して、
「怒り」「イライラ」よりも
出来ていない自分に対しての「悲しさ」「申し訳なさ」みたいなものが全面に出てきて、
とりあえず、まずズーーーンって落ち込む。
そういう渦中にいる時に
私って凹むやすいし、ネガティブになりやすい、メンタル弱めの人間と思っていた。
でも、今回気づいたことがあった。
そうやって、ズーーーンってしばし落ち込むんだけど、
その後に、冷静になってから、「このままじゃあ、あかんな、嫌やな」って、
次出来ることを考えて、行動して、出来てなかったことがちょっとマシになって、
自分でも(時に周りにも)それに気付いて、嬉しくなってまた頑張る、
みたいなパターンになっていることが多いってこと。
今回もそうだった。
振り返れば、すごい落ち込むけれど、最終的には立ち上がっていて、
そのまま立ち上がれなかったってことは案外ないなってこと。
しかも、経験とともに、落ち込み→立ち上がりまでの期間が短くもなっているような気がする。
自分を小さく回復させるツボみたいなことを知っていて
(睡眠をとる、おやつや好きなものを食べる、愚痴るなど)
それを実行している。
なんや、かんや、「逃げ出したい」「やりたくない」って思ってても、
それができるほどの度胸もないから、
最終的には「やるしかない」って腹がくくれるようにもなっている。
書いてて気付いたけど、やっぱり全然「豆腐メンタル」じゃないな。
何事にも動じない「鋼メンタル」でもないけれど。
何かで聞いたことがあるけれど、健康的なメンタルっていうのは
「鋼」で例えられるような「衝撃に動じない」ような「堅い」イメージではなく、
「ゴムボール」のような「衝撃を受けても、元に戻れる」ようなものをイメージだとか。
昔(今もあるのかな?)ソフトバレーボールとかで使っていた、
ちょっと大きめのゴム製のボール、わかりますか?
あのボールって柔らかくて、指とかで押すと結構簡単に変形をする。
でも、指を離すと、ビヨンって元の形に戻る。
周りからの衝撃、ストレスみたいなものを受けるし、反応はするけれど、
元に戻ってこれるってことが大切らしい。
確かに、堅いものって衝撃に変形をしにくいかもしれないけれど、
一旦、破壊をされるとバラバラに壊れて元に戻せない。
落ち込むんだり、凹んだりする、でもそこから立ち直る。
そういう経験を積み重ねることで、心の「弾力性」というものは上がるのだろう。
自分が、案外、ちゃんとゴムボールのようなメンタルになっているかもと思えるのは、
元来の性質ではなく、
過去に自分が落ち込んだ時や凹んだ時に、
元に戻るように助けてくれて人たちのおかげ何だろうな。
落ち込んだ自分を振り返りながら、
案外に健康的なメンタルが自分の中に備わりつつあるかもしれないこと、
それを作ってくれた人々たちの存在に気づき、何とも有難い気持ちになる。
私も誰かのそういう存在になれたらいいな。