見出し画像

どうしても書き残しておきたい、こんなもんじゃない「長谷川百々花」の潜在能力

2021年3月は長谷川百々花に始まり長谷川百々花に終わった月だった。

間違いなくそう断言出来る。

まるで春の嵐のように「はせもも」はAKB48を駆け抜けて行った。

嵐が過ぎ去って行った春の訪れと共に、唐突に「はせもも旋風」は終わりを告げたが、今でもなお、自分に襲ったその強い衝撃は、ヒリヒリと心に残っている。

最初は、14歳だから、最年少でセンターで話題になるからという理由で、テレビの歌番組に抜擢されたのかなと自分は思っていた。(少なくともテレビの演出として)

今、浮かび上がってきた色々な事実を後から知って、全然そうでは無かったと言いきれる。

長谷川百々花の潜在能力に気が付いてしまった全ての大人達が、「はせもも」の虜にされ、自然とAKBのセンターにまでのし上がったのだと、自分はそう思う。

毎日、社会人として大人社会を駆け抜けていると、10代の人から、ましてや10代前半の人から影響を受ける事は中々ない。

でも、はせももから自分が受けた衝撃波は、軽く大人社会を凌駕していた。

なぜ自分は「はせもも」の虜にされたか?

それはビジュアルの強さはもちろん去ることながら、AKBをクビになった後に見た「755」のログだった。



上記に自分が好きになった「はせもも語録」のスクショを載せたが、真の長谷川百々花の実力は、ビジュアルの強さなとではなく、中学生離れした文章エッセンスと、現代社会を的確に捉えられる表現力にあると自分は思っている。

とくに、鬼滅の刃で映画館に人が大挙として訪れていたあの社会現象を、「イワシの大群」と表現したことに、全身身体が武者震いした。

確かに、755の多くのログから伺えるのはいかにも中学生らしい、あどけなさの多く残る文だ。

しかし、「イワシの大群」のように、時より発出される文章センスの高さに、自分は大きな衝撃を受けたのだ。


思えば、自分が指原莉乃を好きになったのも、アイドルとしてのビジュアルではなく、「指原クオリティー」なるブログで綴られた文章からだった。

この時指原莉乃に感じたポテンシャルの高さを、長谷川百々花にも強く感じている。

これから「長谷川百々花」という人間はどういう成長を遂げていくのか。個人的に楽しみだ。

ある意味AKBでは大人社会の洗礼というか、挫折を味わったと言っていいだろう。

ただ遅かれ早かれ、今のAKBでは御しきれない人になるというのは、755のログからも見て取れる。

アイドル業界は本当に何が起こるか分からない、予想が付かないスリルに満ちているからこそ楽しみがあると思う。

ただ最近、コンプライアンスが重視されるテレビ業界の煽りを受け、優等生でよければそれでいいというアイドルグループが増えすぎたように感じる。

しかし、「はせもも」からはよくいる優等生アイドルというオーラはまったく感じ取れなかった。

けしてこの時代にして優等生ではなかった「長谷川百々花」という人をこれからも応援していきたい。

最後に


忘れるわけないだろう。もし、また戻ってくる日が来るならどこにいても自分は追いたいね。

いつかまた会える日を楽しみにしている。

ありがとう、長谷川百々花。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?