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2021年1月3日 雑記

煙草が好きだ。一日にひと箱は吸うヘビースモーカーだ。
メビウスのオプション5ミリを吸っている。20本入り。ひと箱540円。一日ひと箱なので、単純に掛け算すると、20万円を年間で煙草に費やしていることになる。
酒を飲むと煙草はより進む。ふた箱吸う日もあるかもしれない。だからたぶん20万円では実際にはきかないと思う。

煙草を吸いはじめたきっかけは学生時代の免許合宿だった。
免許合宿の大半は大学生、それも大学一年生が大半である。彼らは夏休みを利用して、免許を取りに来る。
ぼくも夏休みを利用して免許合宿に赴いたわけだが、彼らと違うのは、ぼくは一年生ではなく、就活を終えた卒業直前の大学生ということだった。母親に「社会人になったら免許なんてとる時間がなくなるんだから、はやく取りに行きなさい」と叱られ、いやいや免許をとることになった。

大学一年生は大学一年生同士でつるんでいる。まだ二十歳にも満たない彼らは「どこの大学に通っているか」「なんのサークルに入っているか」「恋人はいるか」、そういった話題で盛り上がっていた。いま思うと彼らの輪に混ぜてもらえばよかったのだが、「いまさらそんなどうでもいい話題で盛り上がっている連中とつるみたくない」という理由でそうしなかった。

代わりにぼくが仲良くなったのは工事現場で働く、いわゆるドカタの兄ちゃんたちだった。
彼らは大学には通っていない。彼らも彼らで大学一年生とつるむ理由はなかった。ぼくはそちらのグループと仲良くなった。

免許合宿は「ひま」の一言に尽きる。日中の講習さえ終えてしまえば、あとはやることはない。
ぼくはドカタの兄ちゃんたちと合宿所の共有スペースで、賭けトランプをしていた。といっても、賭けていたのは現金ではなく、煙草である。

ぼくはそういったトランプゲームで大幅に勝つことはなかったものの、とはいえ一度も最下位をひくこともなかったので、必然的に煙草をもらう権利だけが増えていった。
こうなると煙草を吸わない理由もない。「おまえも煙草すえば?せっかく勝ってるんだし」、この一言で煙草を吸いはじめた。
気が付けば誰に言われるでもなく、共有スペースで煙草を吸うようになり、免許合宿が終わるころには立派な喫煙者となっていた。
人間が堕落する理由なんて、ささいなきっかけである。ぼくの場合はそれが「免許合宿」だったというだけの話だった。

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ぼくは人よりも依存傾向が強い。煙草はもちろんのこと、Twitterから離れることもできない。
ドカタの兄ちゃんたちと出会わなくても、おそらく、なにかしらのタイミングで煙草を吸いはじめていただろう。
彼らはぼくが煙草を吸いはじめる偶然のきっかけでしかなかった。

それでも、ドカタの兄ちゃんたちとは不思議とウマがあった。ぼくは社会人になる前の最後のモラトリアムを謳歌していて、彼らはすでに社会人として働いていた。
免許講習が終わると、毎日合宿所の近くの居酒屋まで飲みに行ったし、居酒屋が閉まっている日は、共有スペースでずっと賭けトランプをしていた。

いろんなことを話した。「どんな仕事をしているのか」「どこの大学に通っているのか」「どんな女が好みか」「就職先はどんな会社なのか」「将来の夢はあるか」……
いま思い返すと、大学一年生のグループが話していた話題とぼくらの話題はほとんど大差がなかったように思う。
どうして大学一年生のグループには馴染めずに、ドカタの兄ちゃんたちとは馴染むことができたのか、いまでも不思議に思う。

ドカタの兄ちゃんたちとは免許合宿に行っていなければ仲良くなることはなかっただろう。
実際、免許合宿が終わったあと、何回かLINEをやり取りして、一度飲みに行ったこともある。でもそれっきりだ。

ぼくらはマイノリティだった。合宿参加者の9割を大学一年生が占める中、そこからはじき出されていた。
「マイノリティである」という理由だけで仲良くなったし、実際その環境から外に出ると、もうぼくらがつるむ理由もなかった。

でも不思議と彼らのことはいまでも覚えている。金にだらしのない金髪のヤンキー、彼に貸してそのまま戻ってこなかった3000円。
鼻にピアスを開けた、ぼくに煙草を勧めてきたバイク整備士。

彼らはいまなにをしているのかな、とふと思ったりする。この文章を書きながらも彼らのことを思い出している。
でも連絡を取ることは、おそらくもうないし、その理由もない。お互い、たまたますれ違っただけの人間だったし、それでいいと思う。


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Twitterでよくこんな言説を見かける。
「人生のリソースは有限なのだから、本当に大切な人間だけを大事にしろ」と。
この前提にあるのは、出会う人間には二種類いるということだ。「長期的に付き合うべき人間」と「そうでない人間」である。
前者に時間を割くのは当然のことだし、そうすると、必然的に後者にかまっている時間がなくなる、というわけだ。
少数の友人、恋人、家族、そういったものだけを重視する。それはおそらく正しい。

でも、ぼくは思う。ぼくの人生に影響を与えてきたのは、友人、恋人、家族だけではない。
ふだんなら出会うことのない、「浅い」付き合いの人たち。そういった人たちとの出会いに、ぼくの人生は少しずつ影響されていった。

ドカタの兄ちゃんたちに出会わなければ、煙草を吸わなかったかどうかはわからない。ただ、ぼくが煙草を吸いはじめたきっかけは、間違いなく彼らだ。
煙草が人生にとっていいかどうかもわからない。むしろ健康面では害しかない。

でも思う。
冬の冷たい空気とともに吸い込む煙草よりも、冬のよさを味わえるものなんて、そうそうありはしない、と。

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