カウボーイビバップ――義という生き方

幽白の話の続きになるのですが、僕は人間の人間たる所以の部分ってのは非合理さにあると考えています。
それでいくと、そもそも何らかの価値観を優先して合理的な選択を排するような平穏な人生の人間はその平穏さ故に人間でなくなるのかという話が出てくるのでしょうが、あくまで一要素の話をしているのであって、それ以外の人間的要素もあっていいと思うし、事実あるでしょう。
別にある人が優しさとか絆とか言ったとしてもそれならそれでいいわけです。それはそれ、これはこれ、というやつです。
そして人間の精神における非合理に美を見出すうえで外せない作品がありまして、それは何かと言うとサンライズによる不朽の名作カウボーイビバップです。

カウボーイ(賞金稼ぎ)のスパイクが仲間と共に宇宙の星から星へと流浪しながら事件に巻き込まれたり事件を解決したり金に困ったり腹を空かしたりするお話です。

菅野よう子が担当する音楽もオシャレでカッコよく、そのジャンルも多彩で、同様に各エピソードのテイストも幅広く豊富。

ただ最大の魅力は独特で粋な台詞回し。そのインパクトたるや絶大で、今でも根強い人気があります。

その『ビバップ』のストーリーは一言でいうと男の生き様。

行く先々で厄介ごとが起こるスパイク達ですが、その中で一貫して描かれているのが義と筋なんですよ。

前後編からなる怒涛の最終話も、それまでに積み上げてきたものからいってこうならざるを得ないよなあと思えます。

筋の多くはケジメとして描かれていて、ハードボイルドを掲げて作られたビバップでは人が簡単に死にます。

とにかくポンポン死ぬ。ギャグ回以外は大抵話の中心部にいた誰かしらが死ぬ。

しかしその死にはある程度の法則性があり、命が軽いカウボーイの世界という前提のもと、死ぬことで筋が通る奴は死ぬんですね。

例えばワルツフォービーナスとか、ブラックドッグセレナーデとかはケジメが付くことで美しく終わる話で、かつてスパイクを裏切ったジュリアの死もそう。

そして、筋の流れを決める大きな要素として、義理があるんです。

これは作中に何度かある要所で登場する要素で、描かれる回数は少ないものの強く印象に残ります。

また、義とか筋とかケジメとか、そういうしがらみから自由な少女のエドは、それらが猛烈な勢いで激烈に収束していくラストの前に父親と再会してビバップ号を降りることになります。

過去に傷がある3人とは違い、陽気で自由だったエドと飼い犬のアインは、和み担当であると同時に天才ハッカーとしての便利担当でもありました。

ハッキングが話の入り口になったり、煮詰まった状況を打開したりしてたわけです。

そのエドとアインがいなくなることは、もうビバップのお話がスパイクの通すべき筋に沿ってしか流れていかないこと、

そしてそれがハッピーエンドにはならないことを暗示しています。

エドと同時期にビバップ号を飛び出したフェイが可哀想なのは彼女がもう大人だったことです。

帰るはずだった場所がすっかり変わってしまっていたフェイは、当て馬のようなタイミングで戻ってきます。

「死んだ女の為にできることなんてない」と言いながら敵のアジトへ発つスパイクを泣きながら止めるのですが、生きているフェイには目もくれず、スパイクは行ってしまう。

フェイは大人だったから、人生のしがらみの中で迷いながら答えを探していかなければならなくなるんです。

このシーンのスパイクはどこまでも悲しくて、それでいて静かで、その中で不可視の凄みがあり、一方でかつてないほど優しく見えます。

ジェットに飯をねだるシーンは嵐の前の静けさのように、嘘みたいな穏やかな表情です。まるで夢を見ているように。

スパイクは夢から醒めたと言ってたけれど、個人的な感想は逆です。少なくとも世界が逆転したのはそのセリフからして間違いない。

ジュリアの最後の言葉に「ああ……悪い夢さ」と答えた時、スパイクにとって現実は本当に悪い夢になってしまったんでしょう。

スパイクは片方の目で過去を見て、もう片方で現在を見る。

スパイクにとっての過去とはつまりジュリアで、そのジュリアが再び現れて現在の時間軸で死に、スパイクは空っぽになってしまった。

過去はどうあれ未来はあるだろとフェイに言ったことがあったけど、現在を失くした男に未来もなく、その不確定な未来は非情にもフェイの肩にブン投げられることになる。

さて、最後にみていくのはビバップ号の料理と盆栽担当のジェット。お父さん的要素のある、一番マトモな人です。

ジェットも過去が絡むと突っ走るんですが、スパイクとフェイには理知的な助言をしてきました。しかし最後の最後で黙ってしまうんですね。

確かにジェットの助言はいつも無視されてきたけれど、いつも通りの貧乏飯を無駄話しながら二人で食べるシーンは静かな緊張感があって、そこには二人だけの言葉にならない会話があるようでした。

その中で確かなものを感じ取ったジェットは、ただ一言「女の為か?」と聞くんですね。

何があったかは一言も話していないのに、ジュリアと再会してそのジュリアを失ってきたこと、そしてこれから決着をつけに行くことをわかっているんですよ。

そして未来が途切れたスパイクにとって、これからつけに行く決着は自らの人生全てとの決着になるわけで、だからこそ止めようがないことを分かっているんです。

そこで二人の間を通い合わせているのが義理なんですね。どちらも片方が熱くなると冷まそうとしてきたけど、義理を重んじその関係性に筋を通すこと、それを何よりも大切にしてきた二人でした。

それが彼らの抱える不合理で、彼らの人間らしさであり、意地と誇りであり、人生の美しさであるのです。

義理とは人間と人間の間にある特定の関係性から生まれる果たすべき筋、道義的努力義務のようなものだと思います。

それは強制ではなく、あくまで任意であり、大抵の場合面倒臭く純粋な利益追求に反するものであるからこそ、その道を踏みしめて進む姿は美しく気高い。

それだからこそ人を選ぶ作品ではありますが、長らく名作として語り継がれる所以でもあるのです。

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。