スーパーマリオワールドのテーマ曲を作った人は天才だと思う

 自分が小さい頃に触れ経験した何がしかについて、思春期くらいまでそこを通らずに来た人間が、はじめてそれを認識した時、どのような感想を抱くのかが気になる。つまり、我々の思い出はどの程度懐かしい対象への評価にバイアスを掛けているのかということである。

 彼らは我々のようにそれに関する思い出を愛する感情は持ち得ないにしろ、その何分の一か、我々がそれについて少なくとも主観の範囲内でつとめて客観的に下す評価に近いものが相手にも生じるのだろうか。

 それとも、彼は僕が思っているよりずっと軽く単純で薄情な、安売りされてる何だかわからない白身魚のフライの味みたいな感想しか抱かないのか。
 これは白身魚だ。白身魚のフライだ。油で揚がっていて、ソースが掛かっていて、癖のない食材であれば大抵普通にうまい。普通にうまいが、そこに大した感動はない。
 思い出の味がなければ、僕らがながらく愛してきたあれやこれやも、実はその程度のものであったりするのだろうか。


 僕の世代のオタクの文脈においてこういった対象の一例を挙げると、例えばスーパーマリオワールドがある。

 1990年、僕が生まれて間もないころに発売されたスーパーファミコンソフトだ。それは発売後5年くらい経った時点でもまだゲーム屋のショーウィンドウでセンター付近を陣取っていたロングセラータイトルだった。

 ガチャっとスーファミの電源を入れるとワンテンポ遅れて真っ黒なテレビ画面に表示されるNintendoの文字。
 ピコン! と弾ける独特の高音。マリオがコインを取る時のような音だ。
 テーマ曲の前奏が流れ、メインのメロディーに入るのと合わせてタイトルロゴと共に幕が開ける。
 スーパーマリオワールドのデモ画面はこのような形でスタートする。

 さて、ピピピポ♩ ピピピポ♩ ピーポ♩ から始まるマリオワールドのメインテーマについて、皆さんはいかなる感想を持つだろうか。

 この前奏のような部分は一時期ニコニコ動画では「あなたもわたしもニート」と空耳で歌われていたから、そう言った方がわかりやすい人もいるかもしれない。

 そこは別にどんな記憶でもいいのだけど、問題は曲そのものの感想だ。

 僕は、聴いていてハッピーな気分になってくる曲としてこれ以上のゲーム曲はドンキーコング2のラトリーに大へんしんしか知らない。

 軽快に弾みながら一気に駆け抜ける、まさにマリオそのもののような印象を受けるし、聴いていてとにかく気分が良くなる。良くなるというか、躍動が始まる。勝手に動き出すのだ。陰鬱でいたい時でもそんなことを許しちゃくれない。

 悩み事があっても怒っていても悲しんでいても、それはそうとして体が動いてしまう。体の構成単位がウキウキして来て、僕の意思とは別個に踊りはじめる。

 小さいころにスーパーマリオワールドを遊ばなかった人でも、あのテーマ曲を聴くとワクワクするんだろうか。胸が弾む上向いた気分になるのだろうか。
 それとも、他のありふれたゲーム曲同様の、ソースのかかった白身魚の揚げ物くらいの感動しかもたらさないのだろうか。

 曲を聴いていてノコノコの甲羅が軽快に敵を弾き飛ばして1UPする効果音を脳が勝手に付け加えることがなかろうと、ブロックから飛び出した卵が割れてヨッシーの声が聞こえるタイミングなど全くわからなかろうと、あの曲を聴いた人々の気持ちは明るくなるのだろうか。
 僕は本当にあの曲を作った人は天才だと思っているのだけれど、それは世代が違う皆さんのうちのそれなりの割合の人も同じ感想なのだろうか。

 僕たち所謂ゆとり世代は大卒の就職がリーマンショックと重なって散々だった反面、アニメ・漫画・ゲーム・ホビーに関しては一番恵まれていた世代だと思うんだ。

 皆さんはマリオワールドのテーマから何を感じるだろうか。あの感覚は自分らの特権であってほしいと思う反面、親しんだ名曲は多くの人に愛されて欲しいとも思うのである。

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。