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ナラティブ(物語)の共有を増やす〜「子どもを​迎えるまでの物語」

高校の先輩・石渡悠起子さんが翻訳した「子どもを迎えるまでの物語」(原題:THE ART OF WAITING)を読みました。

この本は昨年クラウドファンディングで出版費用を募集していたもので、プロジェクトは無事達成、今回、めでたく出版になりました。

支援した一人として、本が無事出版されたことに、喜びを感じます。不妊治療を現在している私が読んだ、感想を残します。

以下は、私個人の見解です。不妊治療をしていることによる、思考の歪みが多くあります。それを踏まえたうえで、お読みいただければ幸いです。

1.不妊治療をめぐる日本の環境

菅政権に変わってから、不妊治療を取り巻く環境は大きく変わっています。

2020年10月の所信表明演説で、「所得制限を撤廃し、不妊治療への保険適用を早急に実現する」と述べたのです。体外受精を始めとした高度治療をしている私達夫婦にとって、明るいニュースになりました。

すぐに保険適用は難しいので、まず2021年1月から、不妊治療で利用できる助成金(不妊に悩む方への特定治療支援事業)について、所得制限が撤廃されました。

私達夫婦も、これから顕微授精でできた受精卵を移植する予定です。(これが、3回目です……)これまでは所得制限にひっかかり、助成金の対象にはなりませんでした。治療費のごく一部だとしても、ありがたいものです。

直近では、厚生労働省が不妊治療の実態や経済的負担について初めての実態調査が実施されました。この調査を機に、更に議論が進んでいくことを、望みます。

2.不妊は、「待つ」ことの連続

私達夫婦は、不妊治療を初めて2年が経過しました。一度人工授精で妊娠したものの、すぐ流産。その後体外受精・顕微授精を2回実施し、移植しましたが妊娠せず。

2回移植して妊娠しなかったので、主治医の勧めもあり、3回目の顕微授精でできた受精卵の一部について、着床前胚染色体異数性検査(PGT-A)を実施。異常がなかった受精卵を、移植をする予定です。

この本の原題(THE ART OF WAITING:待つことの技術)にもあるように、不妊治療は「待つ」ことの連続です。

・生理が来るのを待つ
・クリニックの予約が空くのを待つ
・クリニックで順番を呼ばれるのを待つ
・採卵の日を待つ
・移植して、妊娠判定日まで待つ
・(陰性だと)また次の生理が来るのを待つ
・妊娠判定が陽性になる日を、待つ

この待っている間に、様々な感情が浮かび、心を蝕んでいく。

多くの不妊症の女性が、不妊の一番嫌な部分は妊婦に感じる嫉妬だと言う。妊娠を試みる(そして上手くいかない)間、妊婦はそこら中にいるように見えるのだ。
(第1章「待つことの技術」12ページ)
不妊のプレッシャーと挫折感の大部分は、妊娠が普通で自然で健康なもので、不妊は稀で不自然で自分の何かがおかしいという考え方から来ている。
(第1章「待つことの技術」19ページ)

「待つ」間に、どんどん値上がる治療費。減り続ける貯金。周りではどんどん妊娠・出産して、育休も終わって職場に戻ってくる。まるで、普通に、なにも苦労していないように(と、どうしても見えてしまう。人それぞれ、苦労や苦しみがあるのに)。

もし誰かが、「五年のうちに、あなたは子を授かるでしょう」と教えてでもくれたら、五年待つのも構わなかっただろう。むしろ、その五年をありがたく思い、他の目標に向かって忙しくしていたと思う。
(第2章「ベビーフィーバー」31ページ)

妊活をしている女性の心のモヤモヤは、この一文に凝縮されているのではないでしょうか

いつ終わるのかわからない。仮に妊娠しても、流産するかもしれない。子どもがほしい気持ちはますます大きくなるのに、いつになるのかわからない。

同時に、自分の仕事でのキャリアも、選択する場面が増えてくる。そろそろ昇進しないか、君にはリーダーになってもらいたい……。そういう言葉を投げかけてくれる上司に感謝しつつも、心の中では「昇進したら、妊活できるのかな」と思ってしまい、喜べない。そしてその話を断り、別の人が昇進する……。

いっそ、何月何日に子どもができるから、と誰かに決めてほしい。そう思ったことは何度あるだろう。(そんなこと思ってるから、できないのだろうか……)

3.「子どもを待つこと」をオープンに話せる場に、子どもにまつわる様々な選択を肯定できる社会に

私はこれまで、不妊治療をしていることをオープンにしてきました。職場でも、SNSでも。私自身が不妊治療というものがどういうものか聞いたことがなかったので、一つの実例として、実態を知ってもらいたい、という思いからです。

通院のため、職場を頻繁に遅刻早退していたり、休んでいるとありがたいことに「どうしたの?病気になったの?大丈夫?」と心配してもらえます。

そう聞かれたら「妊活してるので、病院通いが多くて」と答えています。答えたくなくて、別の理由をいっている人もいるのかもしれないですが、とかく不妊という話題になると、腫れ物にさわるような、避けることが多いように感じます。

結婚するのかしないのか。
結婚したら「子どもはまだか」
1人目ができたら「2人目は、3人目はまだか」。
子どもがいないことを選択すること。
養子を受け入れること。
LGBTQ+のカップル。

家族という形がこんなにも多様になった中で、「子ども」をめぐる選択については、限られた形しか許されていないのでしょうか。

選択肢は人それぞれで、その選択それぞれが尊重されるべきもの。でも、そうではないと言われたら、そうなのかな?と感じてしまう。

訳者の石渡さんは、あとがきでこう述べています。

社会的不妊への認知などを進めるには、まず第一歩として、まだ語りづらいリプロダクティブヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)についてオープンに議論しやすい環境づくりが必要だと考えました。そしてそれには、個人の体験談、ナラティブを広く共有していくことが大切であり、私は翻訳者としてボグスの体験を広く伝えたいと強く思ったのです。
(347ページ)

「子どもを待っていること」に対して、自分は一人ではないこと。似たような感情を、海を超えたこの著者自身も持っていたこと。様々な選択が肯定される世界が、求められていること。

この本を読み終えたとき、私の心には確かな勇気が芽生えました。自分が今いる状況をありのまま、肯定する。そうして、他人の状況も、肯定しようと。

そういう勇気を、くれる本です。

この本の中には、医療用語もあり、原文ではおそらく難解であっただろうと思われる表現もあり、文化的なすりこみなどの背景、医学的な根拠などについて詳しい記載がある箇所が多くあります。この本を翻訳するのは、相当に骨の折れる、難解な作業であったのではと想像します。

この本を翻訳してくださった石渡さんに、改めて感謝の言葉を贈りたいと思います。本当に、ありがとうございました。この本は、必ず、日本のリプロダクティブヘルス/ライツ議論を変える本になると思います。

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