見出し画像

チャラくなってしまうのはなぜ


大人数で喋ると、なんだかすっごくペラくなってしまう(気がする)。

言葉の扱いがチャラくなる(気がする)。

褒めてたつもりなのに、そうじゃなく受け取られてたらどうしよう。あの場で発言すべきじゃなかったかしら、と、帰宅後久しぶりに悶々とした。久しぶりに悶々としたのは、久しぶりに大勢と喋ったからなのかもしれない。

ずっと思ってたけどすごくロマンチックですよねって投げた言葉が

話が弾む中でちょっとネタっぽくなって転がってしまった気がして

きっと菅田将暉もロマンチックだと思うって発言さえ、菅田将暉のことなにも知らんのに決めつけてしまった…菅田くんもごめん。と、帰宅後猫のウンチの掃除をしながら懺悔した。

自分の言葉って、ちゃんと自分の想い通りに届いてるのかなー。

ぜんぶは無理か。
受け取る側が決めることだもんな。

私の想い通りに受け取ってね!というのも、あつかましいか。

昨日ゲットした本と、もらった絵


人間広辞苑に借りた本

人間広辞苑というのは、言葉がボンボン飛び出してすごいなーという褒め言葉なのだけど、「人間広辞苑」って呼び捨てにするとなんだか小馬鹿にしてるように伝わってないかなあという心配があります。

かといって「人間広辞苑さん」と、さん付けにするのは余計にギクシャクする気もします。

昨日は言葉がどんどこボンボン飛び出してくる人達と喋っていたので余計に自分の語彙力ががペラいと感じてしまったのかもな。

言葉がボンボン飛び出してくる人はすごいなあ〜。

ボンバーマンって流行ったね。
コミックボンボンもあったね。
そんな風にボンボン出していけばいいのかもね。

というのも
昨年の7月12日に私は1つ後悔をしたのですね。
またいつか送ろうと思って後回しにしていたメールがあって。

相手がどう受け取るかはわからないけど、送ればよかった。

送りたければ、送ればよかった。伝えればよかった。相手がどう受け取るかは別として、送ればよかった。もう私は送らないし、もう本人が読むことはない。

そんな後悔から、言いたいことや素敵だなと思うことは伝えていこうって心に決めて行動にうつしているのだけれど(すぐにdoする私ナイス)

さっそく自分の言葉が相手に正しく伝わってるだろうか問題にぶちあたっています。

しかし新たな課題に手探りで挑むのは、なかなか楽しくもあります。

ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ、長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。

かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)
著者: チェーホフ 神西清

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?