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父の存在。

何年ぶりだろうか。
父の手を握った。
何度も力強く握り返してくれた。
驚いた。
まさか握り返してくるとは思わなかった。

なんとなく子どもの頃を思い出した。
あの頃に比べたら、ゴツゴツガサガサしていない。
それでも変わらない父の手だった。

最期に伝えた。
「お父さん、ありがとう」



父は不器用ながらも優しい人だった。
幼少期はコンビニや本屋、おもちゃ屋によく連れて行ってくれていた。
父のおかげでシルバニアファミリーや「りぼん」、スーパーファミコンを知った。
母には「また買ってきて!」と怒られていたが。
稼いだ少ないお金をほぼ使いきっていたから当然である。

反面怖い人でもあった。
病気の影響でお酒をやめざるを得なくなったが、とにかく苦労した。
父なりに努力はしていたようだが年に一度夏になると飲んでしまう・・・というのを繰り返していた。
そのたびに母と喧嘩し、物がとにかく飛んできていた。

完全にやめたのは私が10歳の時だったが、父が機嫌が悪そうな日があると母に手をあげるのではないかと以後いつまでも嫌だった。

それを除けばお酒をやめた父はとにかく陽気で鼻歌を歌いながら働き、姉のバレーボールの試合を応援しに行ったり、私たち娘が大人になると誕生日にお酒やケーキをプレゼントしてくれたり、孫と遊んだり・・・と、会話自体は多くはなかったが家族を大切に見守っていてくれた。



入院して1週間ほど。突然ではあったが、家族みんなで送り出すことができた。
あのときこうしてあげていれば・・・と、思うこともあるが、どのような亡くなり方をしても残された人間はそう思うのではないだろうか。
それが身近な人の死である。



父が居ない家は広く感じる。
父が居なくなって父の存在の大きさを感じた。

気がつけばあっという間に時間が過ぎていっている。
ずっと立ち止まっているわけにはいかない。
父の分も母に親孝行していきたい。








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