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レジ袋をもらわない事が「当たり前」の世界になったら

どうやって子どもにものごとを伝えていますか?

 子どもに対して「将来こんな大人になって欲しい。」という事を伝えたいとき、私は言葉で「○○できる人は立派。」「▲▲出来ないと将来困る。」などと伝えます。しかし、それを聞いた子どもは、何となく共感は示すものの、それを実現するために行動を起こすレベルまでには到底辿り着かないように思います。

 では、もう少し時間軸を短くして、子どもに「こう行動して欲しい。」と伝えたい時にどうしましょう? 私たちは言葉で伝える事に加え、私たち自身の行動でも伝え「何が当たり前か」を示していませんか。すると子どもも自然と出来るようになることがあると思います。

 例えば、「あいさつ」をする事で対人関係いかに円滑に行える事を言葉で説くよりも、私たちが普段から周囲の人とあいさつを交わし、それが子どもにとって「当たり前の事」となれば、子どもは自然と周りの人と「あいさつ」をするようになり、その結果として人間関係が良好となる事を自然と体得するのではないでしょうか。

 まずは大人が実践し、何が当たり前かを無意識のうちに植え付ける事も子どもにたいする効果的な伝達の一手法なのではないかなと思います。


レジ袋有料化の意味とは


「レジ袋の有料化は地球環境の改善に意味があるのか。」という議論をよく耳にします。私は科学的には意味がないという意見に賛同しています。

 石油精製過程で生じる使い道のない化学物質をレジ袋に成形し、ごみの焼却過程でも油が原料なのでよく燃えて清掃工場の原油の削減に役立つと言われれば私のみならず誰しもレジ袋の削減なんて意味がないのではと思うのではないでしょうか。ただし、これは「コンビニで買い物をしたらレジ袋をもらえるのが当たり前」の思考回路から導かれる、とても小さな世界の中でレジ袋有料化は地球環境改善に意味があるとか無いとかの議論に過ぎません。

 では、私たちが常にレジを袋もらわずにマイバックや手持ちが当たり前の世界を子供に見せ続けたらどうなるでしょうか。子供たちは自然と「環境に気を使うことにより多少不便な想いをするのは当たり前。」の価値観で物事を考える事が出来るようになるのではないでしょうか。そのあかつきには、彼らが大人になった時にはレジ袋1枚の意味を議論するレベルをはるかに超越し、持続可能な世界を実現し続ける事こそが彼らの「当たり前」になるのではないでしょうか。

 小手先の理論ではなく大人が身銭を切ることによって子どもたちに対して「何が当たり前か。」を無言で示し続ける。その意味で私はレジ袋の有料化に諸手を挙げて賛成します。


最後に少し耳のイタいはなし

 持続可能な世界を実現するために私たちが子どもたち取るべきコミュニケーションは「高貴な言葉」ではなく「泥臭い実践」なのではないでしょうか。

 平たく言えば、結局のところ、子どもに何を言おうが、親がやる事は子どももやるし、親がやらない事は子どももやらないという事ですかね。


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