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大嫌いなおじいちゃんを亡くした日

僕はおじいちゃんが大嫌いだった。

15年、一緒に過ごしたおじいちゃん。

少し傲慢で、頑固な人。

短気で、おばあちゃんやお母さんはよく怒られていた。

機嫌がいい時は普通だけど、機嫌が悪い時は本当に最悪。一緒の空気を吸うのも嫌なこともあった。

面白い話をするわけでもなく、まあ、お年玉の時くらいしか、優しくされた記憶なんてなかった。

そして、いつからか物忘れが激しくなってきて、家の敷地内で車を事故らせて壊したこともあった。

ずっと、おじいちゃんのことは好きにならなかった。

そんなまま、僕の15年は過ぎて、そして、おじいちゃんとの別れがきた。

僕は中学三年生。

その夏、おじいちゃんは入院していた。

1週間経っただろうか。あっという間に、おじいちゃんが亡くなったという連絡がきた。

昨日のお見舞いではちゃんと話せてたのにって、少し驚いた。

でも、僕はぜんぜん悲しくなかった。だって、嫌いだったから。

なんというか、うん。

帰ってこないことには、少し違和感はあった。

僕は、ずっと嫌いなまま、終わっちゃったんだなって。

でも好きと言ったらウソだし、もう一度会えたとしても、きっと好きとは言わない。


心の中は、もやもやしてた。


お通夜とお葬式のために、たくさんの人が家に来た。

僕は知らない人と話すのが好きではなく、何となくお茶やジュースを飲んで、何となく笑って、何となく話を合わせてた。

周りをみると、不思議だった。

あの嫌いなおじいちゃんのために、こんなにも人が集まってるんだと。

色々と考えた。なぜだろうって。

そして、みんなの思い出話に耳を傾けた。

すると、僕の知らないおじいちゃんがたくさんいたんだ。


僕が見ているおじいちゃんはあまりよくなかったけど、

仲人といって、誰かの仲を取り持ったり、

お世話になった人にいつも御中元とかいろいろ贈ったり、

いろんな人のお家にいって、いろいろ相談に乗ったり、話をしたりしてたんだって。


胸は、熱くなってきた。


そして、葬式の当日。


実は、僕には出番があった。

それは、おじいちゃんに別れの挨拶をすること。

親族の孫の代表だった。


生きていた内には、決しておじいちゃんには言えなかったこと。

そして、二日間で聞いた、知らなかったおじいちゃんのこと。


僕が言ったのは少しばかりの挨拶だ。


おじいちゃん。僕は、ずっとおじいちゃんのことがあまり好きではありませんでした。たくさん怒られて、たくさん泣かされたから。でも、いろんな人の話を聞いて、おじいちゃんが一生懸命に生きてたんだってことを知りました。別に好きではないけど、そんなおじいちゃんの生き方はすごいと思いました。いろんなことを教えてくれて、ありがとう。


この時、僕は好き嫌いじゃなくて、いろんな見方があるんだと知った。

一つの視点では悪者だけど、他の視点ではヒーローになることもあるんだと知った。

15年のおじいちゃんとの関わりで知ったことは、今の僕の中でも、大事なこととして生きている。

本当に、ありがとう。

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