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母が「迷惑をかけたくない」とあまり言わなくなった理由

こんにちは。おすぬです。


先日、父の誕生日にメールを送ったところ

「できるだけ迷惑をかけないようにやってくよ」

と返ってきました。
高齢の親の決まり文句みたいなものです。
(父は、耳は遠いけれど体は元気です。)


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母も以前はよく「迷惑をかけたくない」と口にしていたのですが、去年足を悪くして介護申請をして「要支援」になってから「迷惑をかける」という表現をあまり使わなくなりました。

母は都会育ちなことや世代的な価値観のせいか「人のお世話をする職業」を低く見るようなところがありました。ところがデイサービスに通うようになり、ケアマネさんや介護職員さんたちと接することで意識が変わったようです。

皆さんが誠実に対応してくれることに素直にありがたいと思い、自分が「迷惑をかけている」というより「お世話になっている」という感覚になったんだと思います。


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まつぼっくりさんのこちらの記事を拝見しました。
(まつぼっくりさんリンク貼らせていただきます!)

まつぼっくりさんが紹介されている本は読んだことはないのですが、迷惑について

「お互い様」

と書かれていて、
「お世話になる」も同じなんじゃないかな、
と思いました。

人は生まれてすぐの期間、死ぬ間際、死んだあと、自分の身をどうすることもできません。必ず誰かのお世話にならないと次のステップに進めない。
赤子は親の世話になり、子どもは親を見送る。
恩は違う形で返して順繰りに続いていく。
家族だけでなく地域や社会のなかでも。


「ひと様に迷惑をかけたくない」という思いは誰にでもありますよね。
それは善意から発する思いだと思います。
善意の「迷惑をかけたくない」=「お世話になる」と考えてみたらどうでしょう。


ミスや失敗によってやむなく発生してしまう「迷惑」や、悪意によって発生する「迷惑」もこの世にはあるし、負担内容が理不尽だったり過重だったりするケースもある。
なのですべての「迷惑」が「お世話」になるわけじゃないけど。
(究極の場面で「足手まといになるから自分を置いて逃げてくれ」とかどうなんだろう)

そもそも「お世話になる」にありがとうの気持ちが入ってますよね。


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昔自己啓発系の本に紹介されていた
こんな寓話を思い出しました。

食堂においしそうなご馳走がならんでいるが、
それぞれの席にはながーいお箸しか置いていない。
地獄ではみんな長いお箸に四苦八苦して
ご馳走を食べることができない。
一方天国では長いお箸で互いに「あーん」して
ご馳走を食べさせあっている。


こんな感じの「お互い様」がいいな。



画像は 大須絵里子 様にお借りしました。ありがとうございます。

それではこれにて。

(ひとりライラン70日目)


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