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鳥屋的営みと鳥類学研究の繋がり

鳥学会2021年度大会に参加していました。オンラインだったものの企画・運営の皆さまの工夫やご尽力により大変楽しく満足度の高い大会でした。

私は今年は大した研究発表はせずに他の方の研究を見て回ったり、久しぶりに会う方に懇親会で声をかけたりする方に徹していましたが、その中で気づきのようなものを得ました。
それは、いわゆる「鳥屋的営み」は鳥類学研究の裾野を広げる行動だったのだなということです。ここでいう鳥屋的営みとは、ある仮説を検証するために野外に出てデータを取る研究者的な営みではなく、日頃の鳥見の記録をまめにつけたり、記録的希少種を探したり、観察や識別の難しい鳥の観察・識別に挑戦したりすることを指します。すなわち普段のバードウォッチングという営みは自分の研究の裾野を広げることにつながるということです。文字にしてしまうと普通のことに見えますが、私が陥りがちだった悩みを解決する気づきでした。

黒田賞受賞講演でバイオロギングの研究をされている方がデータ駆動型研究の重要性についてお話しされていました。仮説検証型という王道の研究の進め方がある一方で、先にデータ収集をすることによりそこから見えてくる関係を記述したり、新しい仮説を得られたりするため、データ駆動型の研究の進め方も一つのスタイルとして重要だ、といった話でした。新しい仮説を発見するという点は特に重要だと私も思っていて、複雑な系を少しずつ単純な形で理解しようという生態学の営みにおいて、仮説を検証する前の段階としてまず自然界で何が起きているか理解する、という工程が必要だと思います。そしてそれが先行研究や教科書の場合もあれば野外での経験の場合もあり、野外鳥類学という狭い範囲の研究をする以上野外での経験から仮説が生まれてくる、という場合が多いのだと思います。
懇親会で、現在輝かしい業績を残されている諸先輩方は鳥類研究を本格的に始める前はバチバチの鳥屋で、みなこぞって珍鳥を発見したり観察や識別の難しい鳥に挑戦していたりしていた、という話を聞きました。なぜあんなに素晴らしい研究のアイデアが出てくるのだろうといつも疑問に思っていたのですが、ようやく納得がいきました。彼らは野外の鳥の観測時間や回数が圧倒的で新しく生まれる仮説の量が多く、さらにそれを確信に至らしめる=研究としてデザインして立ち上げるための引き出しも多いのだと思います。

先輩研究者の方々で研究を始めると鳥見はしなくなってしまった、と嘆く方を何人か見かけました。私も例外ではなく、自分の研究のための調査や文献調査、分析作業でお腹いっぱいになってしまい、空いた時間で鳥を見に行くという時間の潰し方をしなくなったなと気づきました。
しかし、私は鳥の研究を始める前にそれほどの蓄積があったわけではなく、まあ普通に鳥見をしていれば時間の経過ととともに見れるようになる、といった種しか見たことがありません。記録的希少種(いわゆる珍鳥)を熱心に探した経験もあまり多くないし、識別の難しい種(ジシギ類とかカモメ類とか)は割と敬遠しがちでした。
珍鳥を探したり難しい鳥を識別したり、という営みは特にその鳥について考える時間を必要とし、自ずと仮説が生まれるような思考回路になりやすいと思います。そのような経験の積み重ねが経験や生まれる仮説の引き出しの多さに繋がり、多くの人に評価される研究の仮説として生きてくるのではないだろうかと気づきました。

すなわち普段の鳥屋的営みが野外鳥類学研究者としての裾野を広げ、それによってより高い山を作ることができるのではということに気づいたわけです。いわゆる鳥屋としての能力と鳥類研究者としての能力は別である、という話もたまに聞きますが、どちらかというと鳥屋としての能力は研究の裾野の方を広げているということなのかなと思います。たしかに研究を遂行する能力は鳥屋の能力とは必ずしもリンクしないことが多いですが、魅力的な仮説を生み出すのは鳥屋的営みの延長線上にあるのではとも思います。

現在私が行なっている研究はこの先数年は時間がかかるため差し当たってすぐには困らないかもしれませんが、研究で食べていくと決めた以上もっと長期的な研究のストーリーのようなものを持ちたいと思っていました。しかし一向にそれが思いつかず悩んでいた時期が長かったのですが、それは単純な話で、もっと研究とは違うところでも鳥を観測して、研究と別に鳥について考える時間をもっととる必要があったのだと思います。自分の研究と関係ない鳥を見て遊んでてもな…と思って敬遠していたバードウォッチングでしたが、実は重要な営みだったのですね。

ということでこれからも鳥を見る時間を確保し、鳥屋としても技能をあげていこうと思いました。

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