壊れた“わたしの宝物”

2022/2/22(火)

親知らずを抜いた。抜いている。
たびたび発生する親知らず周りの歯茎の暴走と別れを告げるために。
先月の右下に続いて、先週の木曜日に左下を抜いた。

なかなか麻酔解けないなと思いながら夜になった。次の日もその次の日も。
舌の左側と舌側の歯茎の感覚が戻らない。ずーっと痺れてて、触っても何も感じない。味がしない。冷たいも熱いも分からない。そして何より、うまく動かせてない気がする。喋りにくい。

「舌神経麻痺」
普通の人が普通なら普通にならないであろう低確率の偶発症が見事に発症し、わたしは舌の神経が麻痺しました。
【偶発症】医療上の検査や治療に伴って、たまたま生じる不都合な症状。

歯を抜くときに神経がやられたんだってさ。なんじゃそら。1%の確率(諸説あり)で起きる不都合な症状。不都合にも程があるだろ。おい。

不安を拭うためと感情の整理のため、備忘録としてここに書く。


上京してから10年間、わたしはマイクの前で喋るために生きてきた。これからも死ぬまでずっと、誰かにとっての文章を誰かにとっての音声に変換するために生きたい。

なのに、今、舌がうまく動いてくれている感覚がない。

普通に考えたら大したことないことなのかもしれない。けど、わたしにとって文章を正しい発音で読むことは生きることと同じなんだ。日常生活に支障をきたさないレベル、では困る。治らない未来に怖がっているんじゃない。正しく発音できているのか舌の感覚で得られていない今の現状を受け入れられないんだ。
ナレーションができなかったら、それはもうわたしがここに生きていないことと同じなのです。わたしがわたしでいられなくなるなら、いなくなりたいとさえ思う。


売れてないことで辞める選択を取る人もたくさん見てきた。けれど、わたしはこれまで一度も音声の表現をやめたいと思ったことがない。
辛くなるほど真剣に取り組んでないんじゃないかとか、もはやそんな次元じゃあないんだよ。やめたら生きる目的がなくなるんだから。

スタジオのマイクの前で喋るときがいちばん人生を実感できる。マイクの位置を調整してもらいながら片耳にヘッドフォンを合わせて画面を見つめる。重すぎるドアがガシャンって閉まって、シーンって音が耳に響く。自分の内側から心臓の音だけが聞こえる。あの張り詰めたブースの中の空気がわたしの酸素で、あの感覚にもうずっと取り憑かれている。
明日も自分の人生を生きるためにナレーションをしたいね。したいよ。

今日、抜歯を終えてから初めて大学病院に行った。
担当の先生は自分の手術で初めて患者の舌神経麻痺を起こしたらしい。2人きりになったタイミングで「大変なことになりましたね」と他人事みたいに言ったら、そう教えてくれた。
どう謝っていいか分からないって感情が外にも溢れていてそれでもなお謝るしかないって感じで、たくさんの「すみません」をひたすら謝っている風に言われた。「こちらこそすみません」を短く返した。

回復していくかもしれないし、一生治らないかもしれない。知ってます。知ってますよ。わたしはこの数日間すがる思いでネットを彷徨い続けたんだから。
先生と話すわたしは、ヘラヘラすることしかできなかった。誰かが悪いわけではない。先生も頑張ってくれてたし、わたしも頑張ったんだから。とんでもなく低い確率のハズレくじを2人で見事引き当ててしまった。それだけ。

先生もきっと落ち込んでるんだろうな。口腔外科の中で広まったりするんかな。偉い人に怒られたり、評価が下がったりするんかな。わたしの担当にならなければよかったと思っただろうか。

自分が不利になったとき、人はまず自分を守ろうとしてしまうのだろう。

状態を伝えるために最初は病院に電話した。

「舌の麻酔状態が解けなくて感覚が戻りません。先生とお話できますか?」「今日の診療時間が終わる頃くらいに先生から折り返し連絡します」「先生の都合がいいときで何時でもいいです」

受付のお姉さんがすごく優しかった。約束した。結局次の日のお昼になっても折り返しは来なかった。

そうだよね。怖いもん。わたしも怖いもん。
他人の味覚と舌の感覚を自分の手で無くしたなんて。ましてやその相手は喋る仕事をしている人で。そんなことあり得ないもんね。普通。
でも次の日に自分から連絡をするまで、わたしは先生からの折り返しを待ってたよ。

ほんとはね、今日、わたし、先生と魂で会話したかったんだ。
表面上の謝罪なんて要らないから、上っ面の言葉なしにこれからもちゃんと寄り添ってねって言いたかった。初めて面倒事を起こした患者のことを、今後の医師人生の中で最後まで忘れないでねって言いたかった。わたしもナレーターとしてもっともっと頑張るから、先生にももっともっと素晴らしい口腔外科医になってほしいよ。あと、もう他の誰の舌も壊さないでほしいよ。
わたしが先生に抜歯してもらって起きたこの出来事が、お互いの仕事人生において意味のある出来事であってほしい。

後悔があるとすれば、わたしは自分のことをもっと話せばよかった。自分が大事にしてきたこと、これからも大事にしたいこと、その瞬間思ったこと、もっと先生に話せばよかった。そしたら何か変わっていたのかもしれない。人とは真剣に向き合うべきで、意思をぶつけることから逃げるべきじゃなかった。これからは他人とちゃんと向き合うって決めた。後悔をしないために。


そしてこれはきっと、ナレーションと向き合っていなかったことへのバツだ。おまえ人生賭けてんの?と神が言っている。
頼むよ神。やれることをやるから。今からじゃ遅いのかもしれないけど。いやそんなことはないでしょ。遅いことなんてないよ。言霊言霊。


前向きな話をすると、舌神経を損傷したとて動きには関係ないらしいです。ヘラヘラするしかできなかった中で、それだけはちゃんと目を見て聞いた。
わたしの舌はちゃんと動いている。正しいタイミングで正しい位置に正しく当たってくれさえすれば、わたしの声は正しい音として前に飛んでくれる。

最悪左半分の味覚と温度感覚なんてくれてやりますよ。料理人でもなければ料理が好きなわけでもない。この先一生ご飯を美味しく食べられなくたっていい。
舌がどこに当たっているのかその触覚さえ復活してくれれば、正しく発音できれば、わたしはそれだけでいいから。

大学病院の口腔外科から別の階に連れられ、神経障害を見てくれる別の先生を紹介された。
とりあえずみたいなノリで「赤外線を当てます」と。舌をべっと出して10分間。意味あんの?これ。10分間舌を出し続けるなんて初めてした。なにしてんねん(エセ関西弁)。たくさんのビタミン剤と飲み方が難しそうなステロイドをもらった。

「これから始める治療は完治を目指すものじゃないということを分かっていてください。」目を見てまっすぐ強く言われた。よくなるといいねって治療。それは、最初から半分は諦めていようねってことですよね。なんそれ。
女性の先生の、可愛らしく滑舌の悪い発音がやたら気になった。



舌神経麻痺と正式に診断されてから、わたしはひたすらに思う。
わたしはこの世の全ての中で、ナレーションがいちばん好きだ。相思相愛になりたい。


2022/02/24

PS.当然喋れないわけでもないですし、周りの人に聞いても日常会話の発音は以前と何ら変わりないそうです。その事実だけが今のわたしを生かしています。
自分の感じ方としては意識のある起きている間は絶えず舌の左側が痺れています。左半分だけが分厚いビーフジャーキーになったみたいに固く感じます。舌そのものがビーフジャーキー状態に変化したとかではなく、感じ方です。
足痺れてるときに全力疾走して、タイムを落とさずかつコケたらたくさんの偉い人たちに迷惑かけるってなったら、やじゃん。そんでもし前みたいに走ることが自分の生きる意味だったりしたら、どう?やじゃん。それです。
毎日朝起きた瞬間に絶望して、夜寝る前に泣きます。

少しずつ受け入れよう。わたしはこの尊くておちゃめな舌ちゃんと一緒に、すごいナレーターになるぞ。早くわたしの感覚に戻っておいで。きっと良くなる。良くならないにしても、正しい位置に舌を打つことは完璧にできるようになる。というかいつだってそうする。一軍のプロ野球選手はみんなラムネのように痛み止めを飲んで試合に出ているらしい。それがプロってもんらしい。
わたしも、どんな状態になろうと、やる。わたしはプロなんで。

おおすかちゃんを!あなたの力で!生かしてたもれ!✌︎