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The Boy in The Striped Pyjamasで「返り読み」にさようなら

最近こちらの記事でも告白したように、昨年11月に英検一級に合格した今も、性懲りもなくネイティブ向けの児童書を読んだりしています。

先日「Who was Steve Jobs?」を読了し、今度は「The Boy in The Striped Pyjamas」という、同じくネイティブの児童向け洋書を再読し始めました。

邦題は「縞模様のパジャマの少年」。映画化もされていますので、ご覧になった方もおられると思います。

僕がこの本を初めて手にとったのは2018年の秋頃で、この当時はまだTOEICも英検も受験したことはなかったのですが、その年の9月、ぼくに「多読」という学習法を教えてくださったBrighture English AcademyのCEO松井さんとの面談で「中級に手が届こうとしているビギナーレベル(の英語力)という評価を頂いたので、このときの英語力を暫定で「TOEIC600点台後半、英検2級レベル」とさせていただいています。

当時の僕にとって、この本は若干手強いものでした。先程冒頭でご紹介した「Who was〜」を読んだときと同様、文中に頻出する未知の単語に随分辟易したのを覚えています。

未知の単語が「形容詞/副詞」

本書を読み進めていく上でわからなかった単語(当時)というのは、僕の場合圧倒的に「形容詞」と「副詞」でした。ここに弱点があったのが明確になったのが、この本を読んで感じたことの一つでした。

これは英検1級を受験した昨年10月現在でも顕著でした。形容詞や副詞って、わからなくてもそれなりに話の大筋は外さないことが多いんです。例えば本書の中にあるナチの将校が主人公の男の子に向かって話しかけるシーン。

He spoke to him insolently, despite the fact that he was young enough to be his grandson. (解説用に、文章を一部変更しています)

太字の "insolently" がわからなくても、「彼(将校)」が誰かに話しかけたこと、その話しかけられた誰かは将校の孫ぐらいの年齢である「にもかかわらず(despite)」云々とあることから、この不明の副詞はなんとなく失礼な態度を表す単語であるということは想像できます。

こういうのは枚挙に暇がなくて、しかも多読ではいちいちこの辺を明確にして読み進めていくことはしません、というかオススメしません。

だから結果的に、他の品詞に比べて形容詞や副詞は「なんとなく見たことがある」という程度の語彙力に留まっていることが多いんです。

しかも日本語というのは「どんどん」だとか「さらさら」とかいった擬音語や擬態語を副詞的に用いますので、おそらく英語に比べてこの手の修飾語の数というのは少ないはず(逆に多用しすぎるとかえって胡散臭い印象すら与えます)。慣れてないんですね。

この辺のクセに気づけたことが、一級合格の要因の一つになったと思っています。対策が立てやすくなったんです。

問題は「読むリズム」が崩れること

意味がある程度推測できる単語を飛ばして読むことのメリットは「英語的な文章のリズム」をつかみやすくなるということです。

自然な英文に長く、大量に触れていると、この「英語独特のリズム」というのに慣れてきます。具体的には「あ、ここまでが主語だ」とか、「今関係代名詞節に入った」とか、そういうのです。

もちろんそれは文法的な知識のことに違いはないんですが、「ここでthatだから関係代名詞」という、知識としての英語ではなく、もう少し感覚的/身体的なレベルで、「これは先行詞だ。このあとに関係代名詞節が来る」というのが「予知できる」ようになったりするんです。

これは作家が変わっても、書籍が変わっても、それがよほど文学的に高尚だったり、詩的な響きを重視するテクストだったりしない限りはどんなものにも適用し、応用することができる感覚です。所詮は同じ英語なので。

僕は多読を始めるようになるずっと前から、ボランティアとしてですが、セブ島の日本人向け語学学校で、日本語で英文法の授業をしていましたので、文法はある程度分かります。

けれどこの、「身体的なレベルで」英文の構造を理解する力は、いくら文法書を読んでいても身につきません。そもそも、そういう「トリヴァルな」文法的知識は英文を読むことへの愉悦をもたらしてはくれません。

僕が「多読」という学習法から受け取ったのはこの「英文の持つ豊かなリズム感」を少しずつ体得するようになったことです。ここに文法的な知識が重なることで、僕の英語理解は一気に高まりました。

「The Boy in The Striped Pyjamas」の音楽性が、返り読みを防ぐ

この本はとにかく同じ語やフレーズの反復が多いんです。

通常、英語で文章を書く時は、できる限り反復や同じ語の繰り返しは避けるように教えられます。この本はそういう原則よりも、音としての英語のリズムを大切にしている本だと思います。

そのリズムが日本人の「返り読み」という悪習を取り除く助けになるんじゃないかと、今回この本を再読して強く感じています。

「返り読み」とは、「自然な日本語訳」を意識しすぎるあまりに採用されている日本人の英文の読み方で、英語の語順を無視して(あるいは英語の語順を尊重せずに)日本語に変換しようとする読み方のことです。

たとえば "I saw a boy wearing a mask play in the park near my house.” という英文があったとます。

「返り読み」とは、これを「私は私の家の近所の公園でマスクをした少年が遊ぶのを見た」という風に、日本語語順に変換して訳すということです。「主語」を訳したあと、いきなり文末の「私の家の〜」に飛んでいって、そこから前に前に訳していくスタイルのことです。学校英語でおなじみの、あの読み下し方です。

けれど、多読で必要なのは、こういう英文をいかに英語の語順のまま読んでいって意味を理解できるかということ。それには「スラッシュ・リーディング」という読み方が大切だと言われています。つまり

I / saw / a boy wearing a mask / play / in the park / near my house.

というように、ある文章を適切な分節に区切って読む力。「私は/見た/マスクを付けた少年が/遊ぶのを/公園で/私の家の近くの。」という風に読むんです。

このplayが「原形不定詞(知覚)」だ、という文法知識も重要ですが、それ以上にここではこの「区切る力」が重要なのであって、これはたくさんの英文に触れることで自然に身についてきます。それが多読のいいところです。

逆にきれいな日本語に訳しながら読んていると、一文が長くて必要以上に繰り返しの多い本書を読み進めるのは至難の業になってきます。

きちんと数えてはいないですが、本書では一文が30 word以上になることはザラで、下手すると一段落がまるごと一文になるケースもあるくらいです。同語反復だけでなく、関係代名詞なんかも頻繁に出てくる文章は、知っている単語ばかりで構成されていたとしても、返り読みをしている限り、その意味をきちんと取ることは難しいでしょう。

そして何より、この本とこの本の英語が持つ独特のリズム感を大きく残ってしまう可能性があります。そんなの全くもったいないことです。

ある程度のレベルの方には、一度はチャレンジてほしい

というわけで、「返り読み防止」という観点から、「The Boy in The Striped Pyjamas」をご紹介してみました。

本書では、使われている英単語や文法はそんなに難しくはありません。独特のリズムをもった、一文が長い本書の文章は慣れてくるとちょっとした中毒性さえあります。

なにより、この英語の持っているリズム感に慣れることは、英語の文法力を上げる助けになってくれると思います。それまで知識としてしか知らなかった文法が、文字通り「腑に落ちる」ようになるんです。

そうして身体的に獲得した英文法・英語用法を通じて英語を身に着けられればいいのですが、僕たちはどちらかというと、先に「原形不定詞」という文法ルールを身に着けてから英文を読もうとするわけです。

それはそれで一つの読み方だとは思いますが、それだと、英語の世界に広がっている豊穣に手が届くまでに膨大な時間がかかってしまう。

英語力や会話力以上に、豊かな英語の世界を垣間見る可能性が先延ばしになってしまうことのほうが、個人的にははるかに大きな損失だと思っています。

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