エリクソン研究会記録『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』P119~P132L2 第7回

※本記事はめんたねにて2013年3月〜2017年6月まで行われたエリクソン研究会のメモ書きを文字起こししたものです。テキストは『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』を使用しました。メモ書きなのでテキストを読んだ前提でないと、わからない書き方になっていることにご注意ください。
またエリクソン研究会は現在は別のテキスト『2月の男』を読んでいます。
http://mentane.net/workshop/pg167.html

P=ページ数 L=行数
読んだ箇所P119~P132L2まで

P114L3
「言ってはいけませんよ」
サンデは話のネタのオチを知っている
オチを知っている人は言うなよと釘を刺した。
「アラジンのランプ」
この話は火曜日の最後の方でオチがある。
P175~参照
構造的にはA-B-A
ここの話が印象に残ることで火曜日の話が全て抜ける可能性がある。

P114L5
先生「何人がアラジンのランプを信じますか」
信じにくいことを言って先生の立場を使って
信じるか否かプレッシャーをかける

P114L13
アンナ「疑っていません」

エリクソンはこの言葉を信用していない

トランス誘導は痛覚が引く
引くと普通思わない
いかに思わせるかが技術

P114L14
「それなら、深夜にこの近くにいてはいけません~」
アンナはどうせする気がないでしょと思って言っている

エリクソンは率直に述べない人には詰め寄る追い詰める
何故?火曜日もこのようなやりとりがある。
その辺りの感覚を生徒に示す
クライアントと関わることは単に気持ちよくさせる物では無い

アンナの反応は?アンナこれを言われてどんな気持ち?

何を教育しようとするのか?
アンナがもし「疑っています」と答えていれば
エリクソンはそれを受け入れていた。その上で「本当だ」と言う
本書の冒頭部「ひとりひとりの人生に混乱が必要であり・・・また啓発も」
ここでやっているのはそういうこと
この感覚が分かるとエリクソンのやっている事は
こういうことだとピンと来る
もし皆さんがアンナの立場ならどういう反応をしますか?
逃げたくなるような場を設定する→カードの話に入る
前提として何のために?

P114L15~L17
「そして、次のことが、私が述べる一つの考えです~」

エリクソンが伝えたい部分
催眠は意識の向け所をコントロールする
他の物を忘れる楽しいことを考えて居ると苦しいことを考えない
悩んだり苦しんだりしない
気をそらす事は重要な催眠のテクニック
ユーモアがあればその間は不幸や悲しいことを忘れる

追求が終わってP114L15~L17の話をされるとアンナはどう思っている?
溺れる者は藁をもつかむ感覚
相手困ってジタバタ→すっと何かを差し出す
→楽な物→人は喜んで掴む。助かったと思う
圧をかけて→楽な物を提示する
エリクソンはこういう次元で物事を考えて居る
伝えたいことがあればその前に圧をかけて提示
圧を加えて選択肢をひょいっと出す

アンナは普段使い慣れていないパターン
アラジンのランプ
→「そんなものあるかい」と思う
→エリクソン「本当にあるんだ」
→先生が言うなら本当にあるかも?
→新しい思考パターンを使う
→本当は疑っている
→素直に言うのは普段のパターンでは無い
→いつものパターンを使う
→それが解るとエリクソンは封じる
→相手が普段使い慣れている意識のパターン封じると相手は困る
→いつもとは違う行動パターンを頭の中で必死に探して逃げ道を探す
→トランスに入る無意識が活性化する

固定化したパターンがある故に問題を抱える人
掴ませるモノが何か?その人が成長するか?
どんなモノを掴ませるか
相手にとって良い物何を持って良い物かは人によって違う

出来れば問題提起して本人が解決策を掴めるに越したことはない
使い方が解らなければ教える
エリクソンのクライアントがよく言っていたのは
エリクソンはむかつくけれど感謝している
受け取ったときエリクソンが何のためにやっていたか解る
追い詰められるのは不快だが
エリクソンは成長にに伴う痛みと言っていた
この点をいつも強調していた
痛みを与えることを躊躇してはいけない!

必要なときには率直に言えるようにする
相手が本気ではないときはエリクソンは「本気じゃないでしょ」と言う
そういう率直な態度を奨励した
されることが伝わる

負荷がかかる意識がオーバーロード
無意識が活性化する新しいやり方を探る

P115L3~L5
「たいてい私の家族は、すてきなカードを受け取ると、送り主の~」
良く解らない
良い物を次の人に渡す
参加者はエリクソンから受け取った物をクライアントに渡す
「送り主の名を消して他の人に送る」
エリクソンの名を消してあなたの名前で送りなさい
この技をあなたの物として

P115L8~L11
「そのカードを読みなさい~」

抑うつ患者は不可思議な神秘に囚われている
不幸のループに陥っている負の感情に囚われるな

神田橋條治はエリクソンの言葉の使い方に
技を加えて主語を取り除くことをした
「Aさんにとってここが問題だ」と言うより
「ここが問題だ」とつぶやく
そうすると言われた人にとって自分の言葉になる

カードに書かれている言葉について
イメージ付いてないカードを送った人がこのカードに書いたのか?
最初の人が「とるに足らない」と書いた?
次の人が「私もそう思います」と書いた?

主語が私だから聞いた人にとっても「私もそう思います」になる
「私」は無くてもいい
相手の頭の中でどう言葉が響くか計算している
もしかしたら作り話かも

わざわざ目の前の辛さに目を向けても辛い思いをしている人
見ることはない。必要なときに見れば良い
我々はいずれ死ぬ
エリクソン曰くいずれ死ぬなら直前まで楽しく過ごして
ある日死ぬならそれで良いではないか
そういうメンタリティーを強調

エリクソンの宿題
①P115L17
「ハード博物館は訪れる価値があります」
②P116L3
「スクオーピークの頂上に登りなさい」
③P116L13
「訪れるべき場所は植物園(ボタニカルガーデンズ)です」

②③は年中言ってる何故か?
手間暇をかけて何かして貰うのはとても重要なこと
体験を映像的に覚える
スクオーピークの素晴らしい景色は心象に残る
生徒達はその景色とセットでエリクソンを思い出す
教わったことを思い出す
自分の努力で後催眠暗示を作りたい
山に登ることは身体感覚に残る
植物園は普段とは違った景色が印象に残る

P116L16
「ブージャムトリー」
P117L5
「クリーピングデビル」
詳細に説明して注目する仕掛けをつくる
言われて行くと脳が説明を受けた物を探す
能動的に植物園を回ってくれる

しかし参加者は大人なので宿題を必ずやるとは限らない
エリクソンは何故指示に従わせることが出来るのか?
相手がそれを本当にやってくれると思うから
エリクソンは宿題をやるために必要な情報を延々と喋る
行くに決まってる前提で伝える

【余談】
勉強会の途中エリクソンのユーモアに関連して紹介されたTwitterのツイート

なんか男が落ち込ん出るときに女が「どしたの?」「大丈夫?」とかじゃなく
「おっぱい?」「おっぱい揉む?」と聞かれた方がいいにきまってるみたいなツイートがあって軽い気持ちでためしたら本当にすげえ勢いで元気になった。
怒ってるとき使ったら即効で機嫌なおっててわろた

【付録】
勉強会終了後エリクソン研究会に関連する尾谷のツイート

ぼくが重視しているのは「人は日頃使い慣れた問題対処のパターンが通じない局面に直面すると、意識的対応では対処できず、瞬間的に無意識野での探索活動を始める。つまり、トランスに入り始める」ということだ。
でもこの感覚は催眠誘導をたくさんやってきた人間にしかわからない。いくら言葉で説明されても、真に理解するための体験が不足していれば「なんかピンと来ない」としか感じられない。
おそらく「ミルトンエリクソンの心理療法セミナー」が難しく感じられる一因はここにある。エリクソンがセミナー中にセミナー参加者に対して働きかけるやり方の多くは催眠由来のものだ。だから催眠を使って人に働きかける体験の少ない人には大変に理解し難いものになる。
エリクソンはセミナー中、常に参加者の頭の中で連想を呼び起こしたり、あるイメージと他のイメージを結びつけたり、切り離したり、注意を逸らしたり、集めたりする。混乱させ、退行させ、笑わせる。そうやって言葉で語っていることとは別の次元で多くの働きかけを行う。
以前使っていたテキスト「アンコモンセラピー」はエリクソンを催眠以外の側面から主に眺めていた弟子のヘイリーがまとめたものだったから、エリクソンの催眠的な側面は比較的削ぎ落とされた形でたくさんの症例が紹介されていた。だから、理屈でものを捉える人ならば、理解しやすかった。
でも生のエリクソンは催眠の原理をずっと使い続けている。エリクソンは一見、催眠などは使っていないように見えるので、周りの人間は催眠などいらないのではないかと思ったりもするのだが、本人は「私は催眠療法をしている」ということを強調していた、という話をどこかで聞いた覚えがある。
ぼく自身、一時期は「催眠はいらない」派になっていたのだが、「ミルトンエリクソンの心理療法セミナー」をテキストにして読みはじめてから、「やっぱり人に変化を起こすには催眠が大変に有効だ」とかなり大幅な路線変更が起きてきている。
「トランスに入れる」という感覚から「トランスを呼び起こす」という感覚に変わった。この変化はなかなか言葉では説明し難い。その人の中に自然と備わっている能力を活性化してやるだけなのだ。だから、本当にトランスに入りたくない人はトランスに入らない。
こちらがやるのは無意識が自然と活性化してトランスに入っていくような環境や状況を作り出すことだ。直接的に働きかけて、その働きかけがそのまま相手に伝わるわけではない。
種を蒔いたら、水をやり、日に当てるが、それでも芽が出て花を咲かせるのはその植物がもともともっていた資質だ。「花よ咲け」と命じたから花が咲くわけではない。このたとえがあるとき、強烈な実感をもって今までとは違うレベルでわかるタイミングが来る。それまではエリクソンはわからない。
ぼくの場合、普通の人よりもたくさん催眠をやる環境下でエリクソンを知ってから15年以上経ってようやくこの感覚がかなりの実感をもって感じられたわけで、それをいくら促成栽培的に伝えるといってもやはり年単位の話になるのは仕方がないかもしれない。
今の「ミルトンエリクソンの心理療法セミナー」が読み終わるころまでにその感覚が参加者に少しでも伝わればもう大成功といえるのかもな。
ちなみに「アンコモンセラピー」を一冊やり通した参加者は抵抗奨励の感覚を体感的に理解し、抵抗奨励を冗談の一部として使うレベルにまでなった。抵抗奨励感覚も使いこなすにはかなり体感レベルの理解が必要だ。本を通して何度も違う症例で抵抗奨励パターンに触れたから身についたのであろう。
だから、今の本も最初は難しくても、じっくり読み進めていくうちに自然とその催眠感覚に基づいた働きかけに気づけるようになるのだと思う。参加者が途中でイヤにならないように励ましながら進めて行こうと思う。
催眠感覚の中で案外重要なのは「人の注意は他のものに逸らすことができる」こと。抱いても無意味な不安、恐怖、怒り、悲しみからクライアントの目を逸らさせ、楽しさ、有益さ、ユーモアに注目させるエリクソンのアプローチは催眠感覚から生まれている。人は目を逸らすことができると信じているのだ。
人はどうせ死ぬのだから、死ぬ直前まで死ぬ不安は忘れていても良い。同じ死ぬなら死ぬ直前まで楽しく生きることに注目が集まっていて、ついうっかり死ぬまで死ぬこと忘れていられるなら、それにこしたことはない。

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