僕とLivetubeと天鳳と人生と 1
「それ、何見とんの?」
彼女に問われて僕は答える。
「Livetubeっていうサイト。今リアルタイムでこの人が麻雀やっとる。」
ウェブブラウザにはグレーの背景にネット麻雀の画面が映し出されている。スピーカーからはこの画面を操作していると思われる男性の細い声が聞こえる。
「ふーん……なんか気持ち悪い。」
「そうかなぁ……?」
まるで興味がなさそうな彼女の方へ振り向くため、僕は《どうやらショタ声らしい人が天鳳実況》とタイトルのついた配信画面が映るノートパソコンの画面を閉じた。
麻雀に興味を持ち始めたのは中学生の頃だった。家にあった竹牌を使い、ちょっとワルめの同級生や先輩達と点数計算も分からないのに小遣いをかけて麻雀を打った。少し年の離れた兄は当時大学生で、僕は兄が持っていた『ノー爆』や『自己中心派』の単行本を読み、『近代麻雀』では『バード』や『兎』を断片的に読んだ。『アカギ』ではすでに鷲巣麻雀が始まっていたと思う。巻頭のカラーページでは若手麻雀プロの活躍が特集されていた。
同じころ、東風荘というネット麻雀があり、我が家には恵まれたPC9821とISDN回線があったのでもちろんプレイした。クイタン無し、流局総連荘、頭ハネありと今から思うと独特なルールだが、当時は特に疑問も無く楽しんでいた。「鉄壁α」という名前でプレイしていたことをなんとなく覚えている。
高校生になると2chの大学受験板に入り浸っていて麻雀からは少し離れていた。高校の勉強は肌にあっていて、関西にある第一志望の大学へ進学することができた。
僕は寮費月4,500円の学生寮に入った。寮は4階建ての建物が3棟あり、1フロア12室の個室から構成されていて、フロア毎にトイレと炊事場が共同になっていた。A棟1階、通称「エーイチ」に入居した僕は、「エーイチ」の新歓でS先輩と出会うことになる。
S先輩はエーイチのOBで、僕と入れ替わりで寮を出たように記憶している。寮は最長で4年間居ることができるが、期間満了したはずのS先輩はまだ学部生だった。S先輩は麻雀が好きで、僕も麻雀ができることは新歓のうちに判明し、4月も早々にエーイチの先輩やOBで卓を囲むようになった。
S先輩は単位こそ不足していたが、話してみるととても論理的で聡明な人とすぐ分かった。ネット麻雀も打っていて、東風荘では「超上級ランキング卓」(要は一番上のクラス)だった。S先輩とは卓を囲みながら片山漫画や「とつげき東北」について話した。「科学する麻雀」が出版されたら感想を語り合った。麻雀以外にもS先輩とは夜通し「ぷよぷよ」を対戦したり、一緒にゲーセンへ行ったり、もちろん飲みにも行った。色々と可愛がってもらった。
不真面目になり切れない僕は単位こそほとんど落とすことは無かったけれど、大学4年間はアニメ、ゲーム、麻雀に多くの時間を費やした。大学4年生になると、周りも大半がそうだからと「なんとなく」大学院への進学を決めた。理系の学生は修士課程を出て就職。それが普通で、それ以外の選択肢を考えることは無かった。
進学も卒業も決まり、大学4年生の終わりごろ、暇を持て余した僕はまたネット麻雀をしようと思い立った。今は東風荘以外にも色々ある。以前に数回プレイしたことがあったネット麻雀「半熟荘」は「天鳳」と名前を変えていた。
プレイヤー名は何にしようかな。
僕は中学生の頃活躍していた、近代麻雀で特集され、一世を風靡した麻雀プロの名前を思い出していた。「新規ID登録」ボタンをクリックし、キーボードを叩く。
「長村ビッグ」
……安直すぎるかな。まあ、名前なんてなんでもいい。いつでも変えることができるし。
僕は天鳳を始めた。
(続く?)
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