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おみとり

今日もおみとりしました。

看取るとも書きます。

看取る度に
自分の心に問いかける事があります。

足りないことはなかったのか、と。

もちろん、死人に口なしですから、
本人からありがとう、とは言ってもらえません。

家族からしたら
妻であったり夫であったり
子であったり兄弟であったり、
と様々な大切な人が亡くなるわけです。

救急の現場以外は
あらかじめ
死を予想できる時間があります。
そしてそれを
残されるであろう人たちへお伝えする。

いつも、最期の事を家族に話す時
うまく伝えられなかったらどうしよう
と不安になります。
正直に、このくらいで死にますよ、もうできることは無いですよ、と伝えますが
言い方で印象がかなり変わります。
お伝えしにくい事を、お伝えする。
必要があるから、残されるであろう人たちにとって
必要であろうから、お伝えします。

身内の死、特に配偶者の死というのは
ライブイベントの中でも
最大のストレスを受けるとのデータでも出ています。

お伝えしなくても、特に困らないんです。
日本人は、フタをする、文化なので、
それでいいという価値観もあると思います。

ただ、真摯にお伝えした家族から
亡くなった後に感謝されることは多いです。
そう言った家族とトラブルになることは無いです。

人の死は
生まれた瞬間から定められている事なので
否定しようの無い事実であり
全人類の共通認識だとおもいます。

私は海外に住んだことは無いので
日本の文化、
特に限定された
東京、神奈川の
そういった死生観しか持ち合わせておりません。

おそらく、何百、千人くらいは
おみとりしたと思いますが
その中で感じてきたことや
後悔してきたことは
次へ繋げています。

なので、家族に
事実を突きつけることは
とても嫌な役割だな、
自分じゃなくても、
他に伝えてくれる人がいるならお任せしたいな
という気持ちも持っています。

ただ、自分がその時に居合わせて
自分がその嫌な役割をしなければいけないな、
と感じた時は、買って出るようにしています。

他の医療従事者より
人の死に関わる事が多いところで働いてきたので
人の死を予測する事が
他の医療従事者より、わかる、事が多いです。

人の死に関わると
よくわからない感情を整理したくて
文字にしたり
言葉にしたくなります。

振り返ってわかることは
答えはない、という事
そして、真摯に向き合っていきたい、という事。

これは、ある宗教人が言っていた言葉ではありますが、

命というのは電波みたいなもの
見えなくても、存在しているのです。

と言ったニュアンスだったと思います。
受信機がまさに肉体であって精神であり
タマシイというものは常に存在している
という事だと思います。

いろんな思いをまた一つ抱えて
医療に従事していこうと思います。

合掌。

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