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シリーズ・街録chに出るまでもない、私の波乱万丈な人生 

マガジンにまとめて、勝手にシリーズ化しようかと思う。笑 
私のNew mission?

三谷さんというユーチューバーの 街録ch を初めてみたときに、私は思った。やっぱり、私の人生、そりゃあ大変な時期もあったけど、この人たち(インタビューされてる人達)の方が、もっともっと大変な時期を乗り越えてるわ、私の人生なんか、特に後半、こう言っちゃなんだけど、結構楽勝で、ある意味普通に暮らしてるじゃんねぇ。(今のところ)

来年還暦の私は、いよいよ終活に入る準備中という感じだろうか?いやいや、夫が公務員で早めのリタイアして、しかも私はずーっと専業主婦だったし、転勤族でしかも海外。赴任国で働くビザも、学歴もないから、結婚してから今までこれと言って仕事らしい仕事などしてきていない。終活もへったくれも、これからは死ぬまでめいっぱい好きなことやって、(今まで通り?)普通に楽しく暮らせばいいだけだわさ。なんてお気楽な人生だこと?と一瞬思ったんだ。

でもな、私んちの家の中は、覚えている限り、いっつもてんやわんやな状態で、頑張って生きて行こうと思っても、途中で頑張る気が失せる時期なんかも度々あって、それはそれは大変な子供時代を過ごしていた。と、最近になって、やたら昔の事ばかり思い出すんだな。もうじき還暦だもんね。笑 一周回るんだよね。だからかねぇ。

まあそんな大変な時期も、なんとかグレずに、優秀ではなく成績は真ん中ら辺だったけど、まじめに生きて来たように思う。ある日、楽になる日が突然やって来るに違いない! と、ちょっと期待しながら、頑張ってきた10代だったかな。忍耐強く我慢してたし、家庭内のゴタゴタなんかは、周りにはひた隠しにし、明るく生きてたんだよな。努めて辛くって重い現実を無視し続けた。

友達や先生に、親の事とか家庭内の事とかを言うのが恥ずかしかったんじゃなく、言い始めたら、張り詰めた何かがどんどん崩れそうで、そうなれば、そうなるで、余計誰かに迷惑をかけるし、私自身の精神が母の様になってしまうからと思い、知らぬ存ぜずで、現実なんか、無かったことにして、ガン無視し、学校で明るく振舞っている方が私らしく生きられる気がしたのだった。そしてそのたくらみは成功してたように思う。

なぜ急に、こんなことを書き始めているかと言うと、キッカケは、偶然にもグーグルマップで、私が4歳の時に住んでいた、ボロッボロの借家を見つけてしまったからだった。そして、よく遊んだ神社まで見つけてしまい。あの頃を思い出したのだった。


父が撮った私4歳
今でもあるボロッボロの借家
50うん年前はこんな感じで新築?
そのまんま古くなって残っていた
この写真が無かったら
この写真の家があのボロ屋って気が付かなかっただろう笑

私の母の精神状態がよろしくなく、母親として機能不全だと気が付いたのが、ちょうどこの頃。私は一人でよくその神社に行って遊んでいたのを今でも覚えてる。子供の頃から、どういうわけか記憶力が良いのだ。所謂、ヴィジュアルメモリーが得意で、今でもその頃見たものが、脳ミソの奥底のアーカイブから簡単に引き出して閲覧出来る様になっている。まあ、年々、画質が悪くはなるけど。笑 

つい最近まで、私は、その神社を、お寺だと思い込んでいたのだった。でもグーグルマップによると神社となっていた。その神社は横浜市のとある私の住んでいた区にあり、小さな小さな神社だ。祭られてる神様は、天照大神。地元の人たちの守り神であるのだろうと思った。

幼いころに住んでいた、その借家の大家さんだかどうかは、定かではないが、家のすぐ前に大きな農家があって、そのうちの娘さん、その子のお兄さんと遊んだ記憶がある。私は、その子たちの家がうちの大家さんなのかな?と思っていたけど。なんせ4歳じゃ大人の事情にあんまり関心がなかったので、もしかすると、大きくなってから、あのお家の人が大家さんじゃないのかしら?と勝手に解釈し、それが記憶に残ってるって言った方がいいかもしれない。(要するに定かではない)

その神社の脇に細い下り坂があり神社と反対側に、母の行きつけの美容院があったように思う。そこの美容院の親戚だか何かが私の幼稚園の先生だったという記憶があるのだけど、それも、その様に母が話していたのを覚えてるだけなので、定かではない。なんせ、大人の話に興味が持てない時期だった。

さて、長くなったが、その幼い頃よく遊んだ神社とボロッボロの借家がまだそのまま残ってるのをグーグルマップで見てから、どんどんいろんな記憶が蘇って来てしまって、そういえば、あの時、私は孤独だったな。頼れるはずの母が頼ることのできない人だったと気付いたのだから。そう思ったら、涙が急に出て来た。朝起きてトイレに行った後、ベッドの上でふと昔の事を思い出し、その封印された孤独感が蘇ったのだった

自分で自分自身をセラピーするって言ったら大げさだけど、ちょっとここで心の整理整頓した方が良いと思い、普通過ぎて街録に出るまでもない、私の今までの、ちょい波乱万丈人生(笑) をここに書き留めておこうと思った。・・・というより、なんだかその神社の神様に導かれているような気がしてきたので、書いているって言った方がいいかな。神様に書けって言われた気がしたんだな。他の人の助けになるかどうかは疑問だけどね。笑

でも、こう言う話は、個人情報満載じゃない?だから、非公開で書いたほうがいいんじゃない?とかいろいろ悩んだんだけれども、結局、公開で書くことにした。今の世の中、明日はどうなるかわからないじゃない?書ける時に書くのが一番よね。笑

なお、なるべく個人情報が漏れないように注意して書くつもりなので、書けない事は細かく書かないつもりで書いていこうかと思う。特に弟をはじめ生きてる親戚や関わった人達もまだ多いのでね。

ちなみに牛乳屋さんのボックスの住所は、当時の私んちの住所ではない。笑 (その住所に牛乳屋さんもない/牛乳嫌いなのでヨーグルト持ってきてもらってた)

オメーの人生なんかつまんねーよ!って思った方は、いちいちコメントせず、どんどんスルーしてかまわないよ。ただただ、なんとなく書きたくなっただけなのでね。よろ





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