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第十六話・家系と縁がないと気が付いた日

世の中には、家族にサポートされながら、幼いころから習い事し、勉強をし、立派な社会人になって、結婚して、子供を儲け、親に感謝し、親の老後を気遣い、年老いた両親といつまでもいい関係を築ける人もいれば、私の様に、家系(親の家族)と全く縁のない人もいる。縁がないどころか、全てのサポートを生まれたときから貰えない人もいるのだなぁ と悟った日の事を思い出したので、そのことを今日は書きたい。

私の、街録chに出るまでもない波乱万丈人生。どこまで書いたか忘れてしまった。笑 自分の書いたものを読み返すのは面倒なので嫌いなのだが、また読み直して続きを書き続けようと思う。

けど、今朝、ふと思い出したエピソードがあったのでそれを書きたいと思った。このところ毎日忙しく、あれこれやっているうちに、眠くなってしまって、長い文章を書く気力がなかった。

けど、少し楽になった今日、あの話を書きたいと思った。

あの話とは、埼玉から横浜の母のところへ行って数年が過ぎたある日、もう限界、どうしていいか分からない!という、大きな不安が突然襲ってきて、いてもたってもいられなくなって、自分の名刺入れの中にあった、父方のおじさんたちの名刺を見つけ、その一つに電話をしてみた。

本当に切羽詰まっていた。その頃私は、23,4歳くらいだったと思う。この母親のビヘイビアをどうしていいか分からなくって、苦しかったから、親戚に頼るしかなかったのだった。ただただ、どうしていいのかが分からないので、アドバイスが欲しかっただけだった。

母は相変わらず、何かあると酒に逃げて、私の事などお構いなしに、畳の上で布団も敷かず寝ていた。酷い時は、トイレにも行けず、おねしょしてる時もあった。畳を拭きながら、そこまでしてなんで飲みたいのか?と、お尻を引っ叩いたのを覚えてる。

翌朝、仕事があるので家を出て、夕方早めに帰宅してみると、同じところに同じ姿で寝ているのだ。笑 よくこんな事が出来るなって思うのと同時に、こんなことに付き合ってる時間が勿体ないなって思った。

何よりも、母自信がどう思い、どうしたいのか?が知りたかったのだが、母にも分からないという感じだった。今考えれば、医者に行くのが一番適切だったように思う。精神科医。やっぱり母は普通じゃない。

こんな状況で、頭が混乱し、どうしたら?というのが本当に分からなかったから、父の兄弟の中でも、一番真面そうな叔父さんの名刺に印刷されてる電話番号に電話をした。

この叔父を選んだ理由は、彼の奥さんも親戚一優しくって人の心が理解できる人だったから。この叔母さんは、心臓が弱いと母から聞いていた。なので、どうしてるかな?ってたまに思う時があった。

電話に出た叔父に、事細かく今ある状況を話して、どうしたらいいかと聞いてみた。そしたら、地元の区役所の民生委員に相談してみるのも手だと言った。私が、そんなことを民生委員が相談に乗ってくれるのだろうか?と言うと、あとはね、地元の政治家と仲良くなると便宜を図ってくれたりするんだよ。と訳の分からない回答をしてきた。この時に、私は二つの事を同時に思ったのだった。

一つは、やっぱり私の事など心配する気持ちはサラサラない。2つ目は、この人もナルシスト、父同様「自己愛」の人なんだという事。というのも、父のやっていた会社と全く同じような会社を、父の他の弟が経営し、年商8億の会社(1980年代)までにした。この叔父は、その会社の専務という肩書を持っていた。

普通のサラリーマンから、一気に専務だ。でも、悲しいな、こんな人 と私は思ったのだった。企業形態が、重機レンタルという言事で、地元の役所と関係もあるだろうし、政治家ともお近づきになれるだろうけど、こんな時に自慢話なのか?と父の家族ってどうしてこうなのだろうと私は思ったのだった。

だから、父が亡くなった後に、この叔父さんから、祖父の残した土地の話が来た時に、そうそうお断りをしたのだった。そんなもの、興味がないのよ私という感じだった。私は、あなたのあの一言で、父の家系とは縁を切ろうと決めたのだからってね。

その叔父に対しては、酷いとは思わなかったけど、家系そのものに何か因果(先祖の業)があると思ったのだった。その叔父さんも亡くなる前は、仏教にのめり込んでいたのだった。私に説教しようたって、そうはいかないわよ!(あんたなんか信用してないし)と思ったものだった。笑

父の兄弟の近況は、弟が亡くなった時に一時帰国して知るのだが、やっぱり、思った通りだった。どこの家もいろいろある。

まずは会社の社長である叔父の家は、叔父を含め、家族全員が鬱だと言っていた。なんとなく理解できた。自分の域を超えた、お金や人間関係が渦巻く環境に耐えきれなかったんだと思う。おそらく父がその会社をやっていてもそうなるだろうと思った。要するに、器量がないのに、事業が大きくなってしまったのだと思う。そもそも父の会社が倒産した理由もこれなんだから。上に立つって意味を勘違いしてしまっていたのだから。

叔父の娘など、叔父の会社で全く働いていないにもかかわらず、叔父が社員扱いして給料を払っていたと、帰りの車の中で私に話すから、叔父さん!駄目だよ、子供を甘やかしちゃ!って、真剣にそう思ったから、そう言ったら、叔父が、ニンマリ笑ってたのを思い出す。笑 私に言われちゃったか!って思ったのだと思う。

その叔父はすでに癌で亡くなっている。その会社も今現在は、うちの家族は経営から外れてるようだった。社長の名前がうちの家族の名ではない。

そして、私が相談の電話をした叔父も、この間、病気で亡くなった。親戚の話だと、優しかった叔母さんを裏切って、若い女と逃げたと言っていた。言葉が悪いと思うので、言い直すと、この叔父は、若い女と不倫の後、駆け落ちのごとく家を出たそうだ。叔父は離婚を叔母さんに求めたが、一生涯それを叔母さんが拒否したらしい。

私は、この話を聞いたとき、叔母さん、結構やるのね!と思った。離婚しなければ、新しい結婚は成立しない。うん。最高のお返し。と私は思った。やっぱり、人の気持ちがわかる人と言うのは、こうだと思うのだった。叔父は都合良すぎるのだよ。こういう所が、うちの父の家系の性質みたいに残ってる。先祖代々の業は自分たちの中にあるって気が付かなかったのだろうか?

自分の都合で人を踏みにじる。それを反省させるためにも、叔母さんの行動は正しいと思った。もし、私も同じ立場に置かれたなら、離婚はしないだろうと思う。これがフェアネス

この叔母さんがどうして優しい人と私が知ったかと言うと、ある時、ご都合主義の父に言われ、高校生の私は弟を連れて、祖母の法事に参加したのだ。その時のある事でそう思ったのだった。

当時、父は、最愛のセコンド・ワイフとも離婚し、父の兄弟に顔向けが出来ないから、私たちだけを法事に行かせたのだと思う。お前たちだけで行ってくればいい。と言うので、私はお婆ちゃんっ子だったし、法事には行くべきだろうと思ったから、祖母のお墓のある、幸手(埼玉)まで電車に乗って行ったのだった。

あんな、親戚一同から煙たがられる家に育って、法事そのものが単なるお墓参りではないと教えられてない私たちは、父に言われた義務感でいそいそと現地に向かっただけだった。

お昼の時間が来て、蕎麦屋だったか、寿司屋だったかにみんなで行くと聞いて、どうしていいか分からないので、当然私達も行かなきゃならないと思ったから、弟を連れて行ったのだけど、幹事をしてる叔母から、

「○○ちゃん(私の名前)、誰も教えてくれないのだろうから言うけど、こういう時は事前に連絡してくれないとダメなのよ、私は、後からあなたたちの分の食事を頼まなきゃならないのよ。」とみんなが食事してる時に、みんなの前で言われた。

ああそうなのか!と思ったと同時に、誰も教えてくれない家庭に育ってる事の悲しさで、その場で私は泣いてしまった。その時に横で、黙って、私の腕をさすってくれたのが、優しい叔母さんだったのだ。

あとから考えれば、言い方!wwって笑えるではないか?笑 この伯母さん、うちの母も苦手だと言っていた。笑 私も苦手。性格がキツ過ぎる。笑

このうちにも問題があって、長男は家出をして、今でも音沙汰がないそうだ。どこか分かる気がする。彼がまだ中学生の頃、私はすでに高校生だったのだが、前にも言った様に、私の受験して受かった高校は、偏差値50くらいの県立高校だった。○○はどこを受ける予定?って従弟に聞くと、伯母が横から出て来て、○○高校よね!頑張ってるのよね!と言うではないか。その高校は、浦和高校とは言わないが、それと並ぶほどハイレベルな県立高校だった。笑 相変わらず、可哀想だよな、コイツと思った。笑

その長男が家を出て行ってしまったのだ。一時帰国の際に、勇気をもって伯母さんに行った事がある。行方不明なら全力で探さないとダメだよ。私は、父が無縁仏になっていたと聞いて、いろいろ調べたら、身元不明のまま亡くなる人が年間にこんなに沢山居るんだと、警察のホームページで知ってびっくりしたんだから!そうなってしまう前に早く探した方がいいと。

そしたら、伯母は宙を見て黙っていた。これはイヤミでもなんでもなく、私は本当にそう思たし、嫌われてもいいから、それより人命と思ったから、ハッキリと思った事を言ったのだった。伯母さんにはどう思われたか定かではない。

その後は、私も、もう関わることはないと思っていたので、父方の家族とは関わっていない。

私が海外に嫁に行った理由が、父方の家系にあると知ったのは、この街録に出るまでもない・・・を書いて気が付いた。やっぱり、心の中を整理するうえでも、自分の人生を振り返って書くことは大事だと私は思う。

今は、特に何の問題もなく、人並みに暮らせている私。他人の事を羨ましいと全く思わなくなった。それに感謝し、もっともっと社会奉仕をしたいと思っている。この写真の蓮の花の様に美しく、清らかな心を保って生きるべきだと悟った。

この写真は、娘が案内してくれた、近所の有名私立大学のボタニックガーデンにあった池に咲く蓮の花。とてもいいお天気だった。

続く








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