ビンテージ
この2日間、髭男のビンテージを一番聴いてたのでお題に使わせてもらいました。
キレイとは傷跡がないことじゃない、傷さえ愛しいというキセキだ〜と言ってます。
サッカーを楽しむこころを育て
サッカーに関わるものへの興味を広げ
サッカーを支える環境を知り
仲間から与えられる勇気に奮い立ち
仲間への思いに挑戦を志す
色々あって全てこれらは内側、根っこの部分です。
プレーの出来栄えってありますよね。
今日は上手く出来なかった
活躍出来なかった
シュートを決められなかった
それは目に見える葉や幹の部分であってそこに悩む子だってそれを気にする親御さんだっていても不思議ではありませんね。
サッカーという団体スポーツの特質上、日頃私が発信しているのは「チーム」という個人とは異なったものですのでそれぞれの選手の思いはまた別のところにあることも理解しているつもりです。
この年代は視界に捉われることなく根の張り具合を見極めこの子育てに参加させて頂いてます。
年々増していくのは10歳に満たない子たちの葉や幹を見たい大人が多いこと、そしてそれが成長や成功と定義づけられていること。
目に見えるものに安心感を持ちたい心理を理解しつつも子どもたちの内側と触れ合う機会の乏しさに一人ひとりの本質から離れていくことを危惧してます。
もし葉や幹が目に触れたとしても今はオマケ程度で考えて下さい、心に根が張ったら一度お見せ出来ればと思います。
Osoloの真意の一つに土壌という意味があります。
チームというのは葉や幹にはなり得ず一つの環境であることを心に刻み育つための環境(土壌)作りに勤しんでいきます。
さてジュニアカップ
遊びってルールのないところから始まり何かに折り合いをつけるために内々で決めてくもんです。
いきなり大人が割り込みルールなんて決めようもんなら子どもたちは興醒めしてしまうでしょう。
ルール説明から入る遊びなんてあろうもんならそれは単に活動。
だからこそ何も教わらんでまずは自分たちのルールで勝ちを目指すでもゴールするでも得点させないでもしたら良いという思い。
こんなこと言うとスポーツだ競技だと怒られるのかも知れませんが遊びを遊びから学び人としての蓄積が遊びの形態を変えていくのだと思います。
Homo Ludens(ホモ・ルーデンス)どこかで目に触れてませんか?
↓時間のある時にでも眺めてみて下さい。
https://news.kodansha.co.jp/5985
テントを捨て雨に打たれ
トレシューで濡れたピッチに滑り
経験も身体も大きな相手に怯まず挑み
術を外に求めず一人ひとりモノゴトを内側から動かす経験の場として取り組ませて頂きました。
車内でクレヨンしんちゃんを見ながら楽しんでいる子たちが逞しく見えるほどの試合が出来ました。
大人はそのコントラストを正しく認識することが大切ですね。
今回一番に惚れた写真です。
興味から行動の間にあるハードルを取り除く積み重ねでここまで出来るようになりました。
5.6年生からの差し入れ、ありがとうございます。
この大会までの2週間は5.6年生や中学生とゲームをしてコロナ禍で活動出来ず試合になるかと思われた部分もありましたがおかげさまで不安を払拭するゲームができました。
今回参加の13名のエネルギーに押されることもありましたが閉じ込めず解放させてあげられた?かなと、行き届かないところも多少あったかもしれませんがそこは私たちの今後の課題ですね。
ご存知ですか?
サッカーには味方が足でパスをしたボールをゴールキーパーが手で取っては行けないというバックパスというルールがあります。
1度ありましたね。
子どもたちの中でその後の対応を声を掛けてやってくれました。
「壁つくれー」「◯◯番マーク」とか普通ならベンチから選手のテンション越えて大人が言う場面なのかな?
ウチの選手の中に知ってる子がいるような雰囲気でしたので自分たちで伝え合うように促しました。
ピッチの中でしか得られない自信や信頼関係があるんです、言われた通りに出来ることより貴重な経験なのかなと思います。
根が育っているので自然に身を任せれば必要なときに勝手に伸びていくのかと思います。
その勝手というアクセントとさじ加減でどのようにでも育っていくものです。
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