脳性まひの娘を公立の小学校に入学させる方法(1)

小学4年生の娘を育てる父です。
妻が娘を妊娠中、前置胎盤と診断されました。
寝耳に水で、それまで当たり前に妊娠して、出産して普通に暮らしていくんだなとどこかで勝手に感じていました。
前置胎盤と診断されても、楽観的な私は「どうせ無事に産まれるし、大丈夫だ」とたかを括っていました。
妊娠してから時間が経過すると同時に、本来お腹が大きくなってくると、胎盤が子宮出口から上に上がってくるものが、全く上がっていないことを知らされます。
その重大性に気づいたのは、かなり後のことでした。
妊娠25週程で、出血し頚管が短くなっているということで、妻は入院を余儀なくされます。
妻はベッドの上で安静にしとかなければならず、身体は元気なのに寝たきり生活です。
毎日毎日面会に行き、妻を気遣いましたが、寝たきりの入院生活、お腹にいる我が子に対する心配で相当なストレスがかかっていたことでしょう。
顔を見に行ってあげることしか出来ず、この時期のことを思い出すと今でも頭が上がりません。

母親のお腹の中の1日は、お腹の外の世界の3日分とお医者さんから聞かされ、出来る限りお腹の中にいれるような措置が延々施されていました。
しかし、妊娠から30週6日経った日、ちょうど面会に行っていた時病室で定時の診察で看護師さんが妻のいるベッドに行き色々チェックしていると、突如表情が厳しい顔に変わりました。
「赤ちゃんの心拍が取れない」
看護師さんやお医者さんが血相を変え、妻が横たわるベッドと共に超緊急帝王切開を行うという選択をしました。

今でもあの景色は忘れません。

私はお腹の赤ちゃんもそうですが、妻にもし万が一のことがあったらと思うと、不安で仕方がありませんでした。
でもあの時、この世で一番不安だったのは妻だったと思います。
「すべて上手くいく、大丈夫」
という言葉だけかけて、オペ室へ向かって行きました。
私は、オペ室の前で待つしかありませんでした。

とにかく無事でいてほしい。
妻もお腹の赤ちゃんも。
ただただ願いました。

本当にその時間が長く感じました。

すると看護師さんが、保育器と共にオペ室の外に出てきました。

時計を見ると30分しか経っていませんでした。

私は、看護師さんに向かって言った第一声は「生きてますか?」です。
看護師さんは「はい。今のとこら自分で頑張って息をしてくれてます。おめでとうございます。」
と答えてくれました。
思わず目から涙がこぼれました。
本当に無事で良かった。

妻も帝王切開で2リットルの血を流し、輸血寸前のところだったと聞き、本当に2人とも無事で良かったと心から思いました。

それから数ヶ月娘はまだ育ち切っていなかった肺等を含む臓器が育つまでNICUで集中的に治療を受けていました。

保育器越しに見る我が子が愛おしくてたまりませんでした。妻は毎日毎日2時間近くかけて電車に乗って面会に行ってくれていました。

そんなある日、主治医の先生に妻と私の2人に話があるといつことで呼び出しがありました。
主治医が私と妻に伝えたことは
・娘の脳の一部が損傷していること。
・今後知的にも身体的にも障がいを負う可能性が高いこと
でした。

妻は私の隣で泣き崩れました。
私は、主治医の言った、「可能性が高い」という言葉を聞いて、「可能性が高いだけで、決まった訳ではない」と心の底から思いました。

妻が命をかけて産んでくれた娘の人生を絶対に幸せにするとこの時改めて決心したのを覚えています。

娘の名前は「心乃花(このか)」です。

脳室周囲白質軟化症
脳の一部が損傷して、白く見えることからこう呼ばれているとのことでした。

その日からあらゆることを調べました。
過去、娘と同じ診断をされた子の将来について、娘に対してしてあげれること。
全てを娘のために捧げたいと思いました。

生まれた後の定期検診で成長の遅れを指摘されました。
首が座っていない。
腰が座っていない。

そしてさまざまなことを言われました。
訓練を受けなければならない。
6歳までに必要な訓練をしないと、6歳を過ぎると症状が固定してしまう。
等です。

そして少ない情報や選択肢の中から、PT,OT,ST等を受けていきました。
あまりにもまだ幼い娘が、同じ年齢の子達が公園や家で自由に遊んでいる時に訓練を受けていることに本当に心が痛く、また、なんとかしてあげたいという思いが強まりました。

娘は、1歳、2歳、3歳と少しずつ身体も大きく成長していき、意思表示も出来るようになりました。

身体に良いと言われていることは何でもしてあげたい。娘の成長に甘んじることなく、もっと最善のもっと最適なことはないのか。と思い、ずっと情報を探していました。

やがて娘は療育センターに通うようになり(妻が本当に娘に付き添ってくれて本当に感謝しかないです。)その後幼稚園に通い始めます。
公立の幼稚園です。

(2)へつづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?