頭がぐじゃぐじゃーっとしている。 季節の変わり目は頭がおかしくなりやすいのでご用心です。特に、ワタシ。 少しづつ頭を整理してもすぐ低気圧に邪魔される。掻き乱される。どうして奴はやってくるんだ。一生懸命片付けた部屋に突然野蛮人がやって来て、大暴れされてる気分。来世はてんとう虫でもサボテンでも良いからこの酷すぎる偏頭痛の無い人生をお願いします。 良い時もあれば悪い時もある。朝が来れば夜も来る。理不尽なことなんて砂浜の貝殻の如く世の中に落ちているし、裸足で歩けば足の裏に突き刺さ
いつもより明るい朝。 ここ1ヶ月半くらいずっと頭の中がぐるぐるしてた。なんか体調も崩しやすかったし、猫達もよく喧嘩してた。 色んなことをしてみたり、いろんなところへ行ってみたり、ひとりでいたり、人に会ったり、食べて、観て、読んで、買って、捨てて捨てて捨てて、そんな感じ。 自分の中身が一生懸命入れ替わろうとしてるみたいだった。好転反応?息苦しい。こういうときは何もせず、ただ耐え忍べれば上出来かもしれないけど、結局足掻いてみたくなる。 大事なものって、ほんとにほんとに少しで
ふと、帰りたいと思うことがある。 家に帰っても、まだどこかに帰りたい。 どこか別の場所へ行きたい。 故郷へ帰ろうか。 引っ越しをしようか。 それはなんだか違う気がする。 誰かに会おうか。 ひとまず連絡してみようか。 それもまた違う。 とにかく帰りたい。 帰りたいのに帰れない。 あたたかくて 安心できる場所 母の子宮に還りたい。 さら
何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいく。 大人になるにつれ様々なものを身に纏う。蓄える。物だけでなく、欲や執着、様々な感情も。 手に入れることこそ栄光だと錯覚するけれど、実際はどうなのだろう。 思い返せば、本来の私は何も持っていなかった。この世に生まれた瞬間、真っ白で、丸裸で、無一文だった。それはきっと、最期も。 何も持たずに生まれ、たくさんのものを手に入れ、死に向かいまた手放していく。手に入れて前進しては手放し、また空いた場所に新しいなにかが入ってきては、また前進
生きている意味などいつまで経ってもわからないけれど、生きているなかで意味をもてることは「感じる」という行為しかないのだと思う。 美味しいとか楽しいとか 好きとか嫌いとか 苦しい悲しいとか それらはきっと上下じゃなくて 良いもの、悪いものでもなくて ひとつひとつがそういうもので そういう味で、ただそこにソレとして 存在してるだけなんだって だからさ 今日はいい日だ 今日は悪い日だ なんて二色に分けたくないよ 今日何かを感じたことに意味があるんだ なにも感じなければそれは
皇居を走る。 皇居のお堀はここだけ時代が違うような、江戸時代に流れる川を見ているような、様々な物語がここにあった気がしてくる(あまり詳しくはない) 駆け落ちのため遊郭から抜け出した遊女を演じながら夜のお堀に飛び込んでみたくなる。そうなると武士役が必要なので、ちょっとそこのあなたと皇居ランナーに声なんてかけられません。 そんなこんなで大きく深呼吸をして今日も走り出すのでした。 あまり真似しない方がいいことを前提にいうと私はこの時期でもサウナスーツを着て走っている。今日もい
「みょうが」のビジュアルの魅力と改めて向き合いながら夜な夜なキッチンに立つ。 正直なところ私のなかで、みょうがは野菜ではなく海の生き物の括りにいる。 膨らむ曲線と 先っぽにかけて歪になってく尾びれと グラデーションがかった紅色。 金魚だ。 ほら、水族館でみょうがが泳いでいても違和感はないでしょう。 今日は寝不足 早く眠りたい 沙羅
一瞬で燃え上がったものは、一瞬で跡形もなく消えたりする。打ち上げ花火みたいに。 そんな摂理が、世の中には絶対的に存在しているようなのです。 大人は黙って、じっくりゆっくり 煮込みましょう コトコト 沙羅
自由であること 思い通りに振る舞えるということ 誰からの束縛もないということ 自分で選ぶということ 自分でひいたレールを自分で走るということ 自分で責任を取るということ 誰の横にも並ばないということ 時に誰からの共感も得られないということ 独高であるということ 孤独を嗜むということ 他によってではなく 自分によって自分が存在する境地 嗚呼 自由は ひとり 沙羅
台詞を覚える。 ただこれだけのことが、とても難しい。 私、物覚え悪すぎるよ。他の人より脳細胞が少ないんじゃないかと思ってきた。きっと私の脳細胞たちは今まで摂取してきたアルコールの力でプチプチとそれはもう可愛らしくどこかへ弾けてとんでってしまったんだ!ぷよぷよフィーバーの大連鎖てきな感じね。 生き残った数少ない脳細胞達でやっとこ覚えた台詞、頭の中で既に行列をなしている言葉達を、まるでたった今自分からにょきにょき生えてきたかのように次から次へと口から発して消化していくんだ。
早く科学が発展して、地下鉄をおりた瞬間から出口までワープできるようにしてほしい。 地上へ出るまでの階段は全てエスカレーターにしてほしい。 歩きたくない。あわよくば常に滑りたい。 転がりたい おしの沙羅
ここ最近の悩み、悪夢。 昔出会った人達がいつも夢に出てきて、追いかけられていたり、怒鳴られていたりする。 時々私が相手を傷つけていることもある。 だけど総じて言えるのは、自分がいつも怯えてる。 毎日同じような夢にうなされて、そろそろ疲れてきた。睡眠中私を起こしていいのは猫だけだ! なんだろうなあ 暑いからかな 寝苦しいのかな 冷や汗で背中を濡らしながら、飛び上がるように布団から起き上がる日々。 もっとなんか、楽しいデートみたいな夢がいい 全部夏のせいかな おしの沙
閉じ込められたものに魅力を感じる。 広範囲に広がる魅力ではなく、どこまでも深く力強く内側に込められているものがいい 隠すのではなく、慎ましくあるものがいい 和文化にもそんな魅力があると思う 「陰」を使い 「余白」を味わい ぼんやりとした薄明かりのような 曖昧なものに含まれる美学がある ただ秘めごとが魅力的だとか、隠せばいいってわけではない。それじゃなんだか軽薄な気がして、見え透いた意図に冷めてしまうんだ。 ただどこまでも堂々と勝手に深く長く続いているものがいい。
歳を重ねれば重ねる程それぞれ価値観が構築されてゆきますゆえ、人と本音で繋がることがより困難になってまいりますね。 むしろ、不可能なのではと思うことばかりです。 一生懸命に生きる人ほど自身の哲学を持っているものだと思いますし、ぶれない信念を持つからこそ磨き上げられるものがあると思うのですが、そんな時こそしなやかさや、柔軟性を持つことも大切なのではないかなと、昨日どこかでショートカットの女が語っていました。 眠すぎる。ここに文章をどんな風に書いていたか忘れました。深夜2:3
免許の更新へ行く。 前回ここへ来たのは5年前。 月日の早さを感じる。 これから先も警察の運転免許課から更新通知のハガキが届くたび時間の流れを実感するだろう。 1番後ろの隅の席で色んな種類の後頭部を眺めながら講習を受ける。思えば学生時代から窓際の1番後ろの席ばかり好んでいた。背後に誰かいることが落ち着かないし、いざという時にこそこそなにかできないのが嫌である。 顔写真を撮る。普段メイクをしないことが多いせいか、うっかり眉毛も書かずにすっぴんで来てしまったことに気づく。初めて
前進していなければ現状維持はできず 何も変わらずにいることは 後退していることと等しい。 時間という床は常に動き続けている。 水無月終了のお知らせ おしの沙羅