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ニシムラくんの話③

訪問先や電話先の罵声から華麗なる逃亡を果たした翌日、私は自転車に乗りながら池袋の雑踏をゆっくりとすり抜けていた。耳のイヤホンではルイ・アームストロングがこの世界の素晴らしさについて歌っている。

ひとまず私の精神を蝕むものは無くなったわけだけれど、この世は果たして素晴らしいものなのだろうか?進んだ先がどうなっているのか、真っ暗で見当もつかない道というのも恐ろしいものだ。自由とは。人生の指標とは。

ビルの反射光が通りを照らし、スーツを纏い足早に歩く人たちは皆「こんなはずじゃなかった」という顔をしている。

私の気分は晴れ晴れとしていたけど、きっとこれは「ゴキゲンなこと」ではないのだろうな。東京には何でもあるけど、私が見つけたかったものは何もない。

その夜、ニシムラくんに電話で会社を辞めた事を伝えた。

「なにやってんだよ」とまたカラカラ笑っていた。

「まあ、なんとかなるんじゃない。わかんないけど」

彼の言葉は素っ気なく突き放すような、それでいて寄り添うような、羽毛みたいにどこかへ飛んでいってしまいそうな心地よい軽さがあった。

慰めを求めていたわけではなかったのに、少し救われた自分が居た。

「いいじゃん不適合者で。ゴキゲンだよ」

その時私は、彼の言う「ゴキゲンな状態」とは、少しでも精神的に安寧な日々を過ごす為の彼なりのメソッドなのかもしれない、と思った。

つまらない社会に対する後ろ向きな迎合。大きな流れに抗わず、消極的に調和すること。小さな諦め。白旗。サレンダー。

今置かれている貧相な立場を嘲りつつ、同時にそれとは関係なく人生は続いていくということ。自分を取り巻く全ての事象に意味は無いという第一原理の肯定。この世界には、自分の身の馬鹿馬鹿しさを鼻歌交じりで笑い飛ばせない人間の居場所はないのだ。

短い礼を言って、お互いを労い、電話を切った。

(つづく)






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