大島薫初の小説『不道徳』 #29/32

 新宿二丁目。明るい観光バーが立ち並ぶ大通りから、すこし外れた雑居ビルの中にも、ゲイバーというのは大量に入っている。その内の一つ、とあるゲイバーの扉には「会員制」の札がかかっていた。ゲイ専用だということを示す隠語だ。
 その店内で、ツカサは酒を飲んでいた。フレッシュゴーゴーを追い出されて数ヵ月、なんとかいままで生きてくることができた。家はない。その日、その日、ゲイ用出会い系サイトを使って知り合った人物の家や、ハッテン場で寝泊まりすることによってなんとか雨露は凌いできた。
 カウンターの上に置いたスマートフォンが震える。ツカサはLINEを開き、数行のメッセージを送って、またスマホを机の上に戻した。
 ツカサの携帯は、フレッシュゴーゴーにいたときから止まっている。支払いが滞ってから未払いのまま強制解約になったため、新規で携帯を契約することもできないのだ。だから、こういったなんらかの店舗や、公共施設などのフリーWi-Fiを利用しているときでしか、誰かと連絡を取ることはできない。この店はじょじょに普及し始めたWi-Fiのパスワードを、サービスで公開していて助かった。こういうところは、流行りモノに敏感なゲイ特有の感覚だろう。
とはいえ、そういった場所はまだ少なく、出会い系サイトが利用できず、どうしても相手が見つからないときは、新宿二丁目公園で立ちんぼまがいのことをした。本来ならば、実家などを頼ればいい話なのだが、ツカサにはどうしても家族を頼りたくない理由があった。
 ツカサが自分のことをゲイだと自覚したのは、小学生のころだ。その当時の感情をツカサは「恋愛」と名付けてはいなかったが、なんとなく目で追うのはいつも同級生の男子ばかりだった。クラスのみんなが好きな女子の話をしているのを見て、ツカサは「ああ、自分は他とは違うんだ」と悟った。
 ある日、自宅でテレビを観ていた父がこんなことをいった。
「うげー、俺こいつ嫌いなんだよなー。こんな変態のくせによく人前に出てこれるよな」
 そこに映っていたのは、そのとき人気だったオネェタレントだった。ツカサは思った。絶対に家族に自分がゲイであると知られてはいけない。
中学、高校にあがる過程で、なんとかフツーにはなれないものかと思った時期もあった。そのぐらいの男子というのは、過剰に男同士の関係性に嫌悪感を示したり、笑いものにしたりするものだ。それに合わせてツカサも「男で仲良くするとかキモいよなー、ホモじゃん」などと一緒になって揶揄した。すこしでも女っぽい仕草などが出ると、オカマだと思われてもいけないので、「俺」と一人称を変えてみたり、過剰に乱暴な言葉遣いをしたこともあった。一時期は彼女を作って、セックスをしようと試みたこともある。
 しかし、取り繕った演技をするたびに、ツカサは痛いほど自分がそうではないのだということを自覚させられた。同性愛者に対する罵倒は自分への罵倒になり、ファッションは自分の演技を信憑付けるためだけの衣装と化し、初めて見る女性器には吐き気を覚えた。
 二十四歳を過ぎてしばらくしたころ、自分を偽り続けることに嫌気がさしていたツカサは、両親などには自身の性指向を打ち明けないまま、思い付きのように家を出た。ともかく誰も自分を知らない、遠いところに行こうとしていた。
 東京に出てきたばかりのころも、いまと大して変わらないその日暮らしの生活ではあったが、ゲイとしての自分を隠さず生きていけることがなにより嬉しかったことを覚えている。風俗勤めも嫌いではなかった。もちろん嫌な客はいるし、痛いことや怖いことはされたくない。だが、当たり前のように男性が、自分を性的対象や恋愛対象として見てくれることや、男の自分がかわいこぶっても許されることが新鮮だった。求められる喜びを感じた。
 また自分を押し殺した生き方に戻ることはやはり我慢できない。
だから、ツカサは冗談ではなく、実家に帰るくらいなら死んだほうがマシだと思っていた。それ以前の偽りの自分は、死体以下だったから。
「ボトル入れますかぁー?」
 やる気のない声で、カウンターの中のスタッフがツカサに訊ねてきた。いつの間にか焼酎のボトルが空になっていたようだ。
「もうすぐ連れがくるから、あとで」
 ツカサは努めてにこやかに、そう返した。本当は金がほとんどないからだった。
 スタッフはフンと鼻をならし、さっきまで接客をしていた別の客の席へ戻っていく。座っている客は短髪の髪型に、綺麗な顔立ち、細見だが服の上からも鍛えていることがわかるモテそうなタイプの男だ。
 ゲイバーにもそれぞれコンセプトがある。かわいい系のスタッフを集めた店、体育会系のスタッフを集めた店、太ったスタッフを集めた店……。大体客もその店の系統の子が好みだという者が集まる。ふと見まわしてみれば、今日は客もスタッフも若い美男子ばかりだ。
 ゲイバーのスタッフたちも、あからさまにそういったイケメンの席で楽しそうに談笑している。ツカサの席には誰もついていない。場違いだなと感じた。いや、むしろ、店内全体で場違いであることを認識させようとしていることが丸わかりだ。「お前のような年増のゲイに需要はないぞ」と暗に伝えているのだ。
 イケてる奴はイケてる奴とつるみたがるものだ。ツカサは自分が若い側だったときから、こういうマウントの取り合いが苦手だった。だって、なんだか逆に惨めじゃなかろうかと思ってしまうからだ。
 ツカサに限らず、ゲイは自覚した時点で多少なりともどこかで疎外感を感じている。社会のマジョリティーになれない劣等感に苛まれている。もし、この世界がみんなゲイだったら、自分たちも恋愛映画の登場人物のような青春を送れたのかもしれないなんて妄想は、誰だってしたことがあるだろう。
 だから、こうしてゲイしかいない空間になると、子供じみた行動で自分の劣等感を満たす。でも、それはまるでかつて自分たちを拒絶していた「ゲイってキモいよな」なんて軽口を叩いて笑っている、『まとも』側の人間たちと一緒ではないか。
 しかし、それを主張するにはツカサはもう年を取り過ぎてしまった。けっしてツカサの顔が整っていないというわけではない。だが、若さという絶対的な価値に抗えるものなんて、この世の中にそんなに多くはない。ツカサ自身、年々かわいこぶることにも限界を感じている。きっと彼らは旬を過ぎて、価値の下がったツカサの言葉なんて聞く耳も持たないだろう。寂しい。誰も自分の言葉を、自分の存在を必要としていないことが寂しい。ゲイとして振る舞えるようになって数年で、また誰からも求められない存在になってしまうことが怖い。
 ふと、同じウリ専にいたノンケのボーイ、カズヤの言葉が頭を過る。「気持ちいいことややりたいことを優先して、こういう場所に来ることも我慢できずに、どうやって生きていくんですか!」と指摘されて、ついカッとなって反論して去ってしまった。
 そんなことはいわれなくてもわかっていた。身体を売る人間が、ハッテン場なんて場所に行ってはいけないことも重々承知だ。だが、どうしても誰かに自分を求めてもらって安心したかった。毎日毎日、店では自分ではないボーイが指名されていく。お前は誰からも愛されないんだという現実を見るのが怖くて、ハッテン場で誰彼構わず抱いてもらった。
 そして、そんなことを繰り返したツケはしっかりと回ってきた。
 またツカサのスマートフォンが震えた。届いたメッセージを見る。どうやら、今日ここに呼んだ人物が店の下に到着したらしい。
 同時刻、店の外ではフードをかぶった男が、ツカサのいる雑居ビルの入り口をくぐって中に入っていく。
ツカサはぼんやりと、棚の酒を眺めて待った。今日は知人に金の援助を願おうと思っていたのだ。現金も底をつき、住まわせてくれる相手もなかなか見つからない。そんなツカサが最後に思いついた頼る先が、いまからくる男だった。金は借りられなかったとしても、最悪今日泊まる家だけでも提供してもらえれば良い。そんな気持ちだった。
階段を上っていくフードの男。やがて、男は目的のゲイバーを見つけたらしい。
 バー入り口の扉が開く。店に入ってきたフードの男にスタッフから「いらっしゃい」と声がかけられる。男は店内を見回し、ツカサの姿を認めると、そちらに歩み寄っていった。男の足取りはなにか嫌なことでもあったのか、苛立ったような速足だ。
 やがてツカサの目の前にくると、男はフードを下ろす。ツカサはそこで初めて彼に気づき、その男の名前を呼んだ。
「ダイチくん」

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