大島薫初の小説『不道徳』 #3/32

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 同じ日の昼過ぎ、二日酔いが残る頭をシングルベッドに預けながら、拓海は陸から教えられたサイトを眺めていた。男っぽいシンプルな家具ばかり並ぶ室内は、お世辞にも華やかとは言い難い。
「一日五万か……」
 募集内容に書かれた文言をつぶやく。自分の月収の約四分の一だ。
 拓海は常々、不公平に思うことがあった。それは、どうして女はいつも最初から優遇されているのだろうということだ。
 拓海が高校生のころ、ファミレスでバイトをしたことがある。迷惑な客がいて、店長に注意するよう頼まれた。そのとき、拓海はキッチンで忙しかったため、ホールで暇そうにしていた女の子にいってもらえないかと店長に提案したのだった。しかし、店長はちょっと気まずそうな顔をして、拓海にこういった。
「あの子はほら、女の子だからさ、怖い客の相手とかちょっと……ね。頼むよ、拓海くん」
 拓海はそのとき店長の言葉に従いつつも、正直理解ができないような、なんともいえない気持ちになったのを覚えている。
 たしかに拓海は男だ。だが、男だからといって、迷惑な客に注意をするのが面倒だという気持ちは変わらないではないか。
 その後、もちろん、店長に文句をいったりはしていない。雇われた身だし、仕方がないと諦めた。そうやって、吐き出せなかった感情は、拓海の中でことあるごとに顔を出した。
 どうして女というだけで、優遇されるべき存在になるのだろう。女といることに金を払う男はごまんといる。居酒屋で酒をただ飲むより、キャバクラで酒を飲むほうが割高なのは、そこに女がいるからだ。大学を出て、必死に就職活動をし、一年勤め抜いた自分がやっと稼げる月給を、高卒でなんの能力もない女性がそういう場所で “女”というだけで一瞬にして追い抜いていく。
 優しくされて当然、お金をもらって当然、周りに人がいて当然。人は性欲のために金を払うし、優しくもする。
 そこまで考えて拓海の脳裏に、美香の顔が浮かんだ。学生時代は苦しい時期もあったが、できるだけ彼氏としての役目を果たそうとしていたつもりだった。デート代を全部奢れないときも、拓海が多めに払うようにしていた。世間でいうところの、彼氏の役割を果たそうとしたわけだ。
 誕生日やクリスマスのときは、大学と並行してアルバイトをしながらプレゼントを買ったり、少し高めのレストランに連れて行ったりもした。それで良いと思っていた。だって、世の中では男女はそういう関係性で成り立っているらしかったから。
 それだけやってきた美香との関係は、その彼女の浮気であっさり終わったのだ。男の自分はここで独りぼっちだが、女の美香にはもう相手がいる。
 思えば、そういう点でも男と女は不公平だ。アプローチするのはいつも男の側じゃないか。男は女を見つけるのに必死にならなければいけない。だけど、女はどうだ? 女というだけで寄ってくる男はたくさんいる。
 そう、だから、男は女を得るために金を払わなければいけないのだ。
「やってらんねぇ」
 そこまで考えて、拓海はドスンとスマホを傍らに放り投げた。
 ところが、急に拓海は起き上がり、その勢いのままスマートフォンを拾い直した。先ほどのサイトを表示し、あのアルバイト募集の番号へ電話をかける。女が若い肉体や美貌を売りに、利益を得るのであれば、同じことを男がしたっていいじゃないかと思った。
 自暴自棄と勢いで電話をかけたものの、コール音が鳴りだしたときは拓海もさすがに緊張した。ワンコール、ワンコールが長く感じる。そもそもゲイではない自分が雇ってもらえるのだろうか。見た目はそんなに悪くないと思うが、やはりもっと容姿端麗な人でなければ雇ってもらえないのではないだろうか。
 色々な考えが浮かんでは消えたが、その度に「まあ、断られたらそれはそれでいいじゃないか」という発想が、否定的な気持ちを打ち消した。一応のところ自ら応募したくて電話をかけたはずなのに、断られたとしてもそれはそれで安心だという矛盾した気持ちが拓海の頭の中を渦巻いていた。
 何度目かのコール音で、電話口に男が出た。
「はい、フレッシュゴーゴーです」
 電話口の男の声は三十代くらいに聞こえる。最初に名乗ったのは店舗名なのだろう。会社員として普段電話対応をしている拓海にとっては、ずいぶんぶっきらぼうな喋り方に聞こえた。
「あの……、ボーイ募集のページを見たんですけど……」
 拓海が要件を伝えると、なにやら電話口でゴソゴソとやり始めた。
「うん? ああ、面接希望の方ですね! お電話ありがとうございます! ボーイ経験は初めてでしょうか?」
 おそらくメモを取りながら話しているのだろう。先ほどよりもグッと愛想よくなった声が拓海の耳に届く。
「え、あ、ないです……」
「そうですか! では、内容も含めて面接の際に確認させていただきたいのですが、平日と休日でしたらどちらがご都合よろしいでしょうか?」
「ああ、えっと……早めの時間なら休日のほうが都合がいいです……」
 拓海としては、対応次第で問い合わせ程度にして切ってしまおうという考えもあったのだが、食い気味の男性の口調に呑まれて、そう言い出せる空気ではなくなってしまっていた。
「そうですか! 当店の最寄り駅は東新宿ですが、お住まいからの距離は遠くありませんか?」
「はい、大丈夫です」
 乗り換えも含めれば、電車で大体四十分くらいの距離だ。
「そうしましたら、本日はちょうど日曜日ですし、今日このあとからの時間帯はいかがでしょうか?」
「え、きょ、今日ですか?」
 急な展開に、思わず拓海が素っ頓狂な声を上げる。
「なにかご予定がおありでしたか?」
「いや、予定はないですけど……」
 と、こたえてから拓海は思わず「しまった」と思った。そうこたえたら、もう断る理由がない。
「では、本日の夕方ですとかいかがでしょうか?」
「まあ……はい、わかりました……」
「では、十七時あたりにいたしましょうか。東新宿にいらしたことはございますか?」
「ええ……」
 拓海は、もうここまできたらどうにでもなれという気分だった。
「東新宿駅のA1出口から地上に上がっていただきますと、右手の交差点の先にファーストフード店が見えます。そこからもう一度お電話をいただきましたら、当店の者が迎えに参りますので」
「あ、えっと、ちょっと待ってください」
 慌ててベッドから飛び起きて、すぐ目の前にある机の上のボールペンで、近くにあったティッシュ箱の裏にメモを取る。
「わからなくなりましたら、お気軽にこちらの番号までお問い合せください。ご案内いたしますので」
「はい、わかりました……」
「では、本日十七時にお待ちいたしております。失礼いたします」
 そこで電話は切れた。拓海はしばし放心状態にあったが、我に返って自宅の時計を見る。時刻は十三時を少し過ぎたところだ。いまからシャワーを浴びても、時間は十分にある。
 拓海はとりあえず、遅めの朝食を食べてから考えることを決めた。

※ストーリーの構成を練ってから書き始めて、だいたい2年くらいでしょうか。はじめての試みですが、ご支援いただきましたら幸いです。Twitterでは、

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