夏の終わりに、風

目の前に、壁があった。 

それは灰色だった。材質はコンクリートだろうか。継ぎ目はなく、触れると、もろもろとした感触が指に伝わった。削っていけば、崩せるだろうか。でもとても重そうだ。倒れてきたら、危ない。 

首を動かすと、壁は右にも、左にも、見渡す限りに続いていた。箸を持つ方は平地だけれど、反対側は地面が少し山なりになっている。壁もそれに沿ってなだらかに弧を描いていた。そちらだけ、盛り上がった反対側の森が少し見える。 

 日はまだ高かった。振り返れば歩いてきた原っぱが当たり前のようにそこにある。所々に木も生えている。太陽が心地よく大地を照らし、風はほとんど感じなかった。人の姿も、どこにもない。

 おかしいな、とわたしは首を傾げる。毎日歩いていた道なのに、どうして急に、壁ができてしまったんだろう。 

ふいに、数年前に見た、らせん階段の夢を思い出した。

 * 

その夢の中で、わたしはらせん階段の前に立っていた。微かな記憶の中で、そこは曇り空を鏡のように映し凪いだ水面が広がっていた。すねが濡れるような感覚はなく、水深はきっと浅かったのだろう。だけど、水の下に何があるのか、砂なのか石なのか、別の何かなのか、それはわからなかった。らせん階段はすっくと垂直に生えていて、細い乳白色の手すりがするするととぐろを巻いていた。 

 ごく自然に、わたしは手すりを掴んで階段の一段目に足をかけた。元来、らせん階段は苦手だった。段の間の隙間に、足を挟み込んでしまう錯覚に陥るからだ。この階段も同様の作りをしていて、だから慎重に一段一段を踏みしめた。降りることは考えなかった。上を見ることも下を見ることもなく、ただ段を踏み外さないことばかりに気を取られた。

不意に視界が開く。らせん階段は唐突に終わりを迎え、 鏡面の果てに水平線が見えた。息を呑むような美しい景色は、いつか異国の写真集で見た塩の湖のそれによく似ていた。

一拍遅れて、足がすくんだ。 

どうして、こんなところに、来てしまったのだろう。 

風が頬を撫で、わたしは手すりを両手で掴んだ。段と段の間からは、遠く離れてしまった水面が見える。一段一段、足を20センチばかり動かしていただけなのに。高い。降りたい。でも降りられない。階段を降りるのは怖かった。いつの間に、こんなに高くまで登ってしまったのか。 

 そのまま、蹲って泣いた。 

夢の中での時間感覚は大雑把だ。しばらくして顔を上げると、水面がすぐそこにあった。恐る恐る、水面を撫でると感触はないのにゆるりと丸い水紋が生じる。本当に、水面が近い。5メートルにも10メートルにも20メートルにも感じられたらせん階段は、気づくと水面から5センチほどの一段目だけを残して、縮んでしまっていた。 

 わたしはゆっくりと立ち上がる。涙は引いていた。恐る恐る、足を踏み出した。今度は右足が水紋を作る。足裏が、水面の下の地を掴んだ。左足を、階段の段から離す。手すりを握りしめていた右手も、ゆっくりと自由になる。ふう、と息が漏れた。いつからか、息をつめていたことに気づく。

 顔を上げると、水平線はまだそこにあった。風が吹いている。だけど、階段の上で感じたほどではなく、わたしはやっぱり、と思う。やっぱり階段を登ったんだ、と。あのとき吹き付けた風の強さを、頬がおぼえていた。わたしは確かに登ってしまった。そして、帰ってきた。 

 振り返る。

もうそこにらせん階段はなかった。

 * 

鈍色の冷たい影に入りながら、わたしは、もしかしたらこの壁の中にもらせん階段があるのかもしれない、と思った。少し風が出てきていた。見上げる壁の高さは5メートルにも10メートルにも、20メートルにも見えた。夢の中の景色とは違うけれど、それは確信に近付いていった。あのらせん階段は、きっとこの中にある。 

左手を胸の高さにまで持ち上げて、指の腹で壁を撫でた。さりさり、と乾いた音が届く。砂のような粒がまとわりつく。今にも穴が開いて、そこかららせん階段が顔を出しそうだった。ゆっくりと手をおろす。

いつかこの壁はなくなるだろう。これまでずっとこの往来を歩いていたのだから。今はただ、壁が建ってしまっている、それだけ。それなら待つしかない。壁がまたなくなるそのときを。きっとある日、忽然と姿を消したりするのだ。現れたのだって、突然だったのだから。 

 携えた茶色いカバンの中にはパンと牛乳と、読みさしの本、さらに予備の本がもう一冊、あった。壁に寄りかかって座り、小説の続きを読もうか。すぐそこの木影でピクニック気分を味わってもいい。

大丈夫、とわたしは自分に言い聞かせる。 きっとまた、向こう側に行く日が来る。

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