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『中級から学ぶ日本語』13課 夜なのに「昼のにおい」って?

ご質問

テーマ別中級から学ぶ日本語 三訂版』 第13課 「昼のにおい}(P76)の
17行目”その瞬間、もう一度「昼のにおい」がした。子供の時間が終わる少し さびしいにおいだった。”のところです。
この文を読んで、どうしてこれを「昼のにおい」と言うことができるのか、また言う必要があるのか、理解できません。


(なお私はこの課は一段落目の精読は担当しましたが、2段落目と3段落目は担当していません。私の勤務の学校は、授業の進度が遅いので精読は1日1段落のペースで進みます。)


「昼のにおい」とは筆者が作った言葉であり、1段落目6行目からはその定義が詳細に記述されています。


それは父親に指示されて夏の暑い日に庭仕事をさせられ、草木に水をやったときの、土や草木が水を吸うときのにおいだったのでは、と書かれているし、仕事が終わったときの開放感・うれしさを感じさせるにおいだったと書かれています。
これを「昼のにおい」と定義することは納得できますし、詩的な面白い表現だとも思います。
しかし、2段落目にも「昼のにおい」という言葉が登場します。


においがするときの、シチュエーションや想起される気持ちも違うのに、どうして1段落目に定義した「昼のにおい」という言葉が使えるのでしょうか。
私が子供だったとイメージして、この文章の状況に身を置き、どんなにおいがするのか想像してみましたが、花火が終わったときにまだ漂っている、燃えた火薬のにおいや、着火につかう蝋燭のにおいを感じるのでは思いました。


他の可能性としては、「花火が終わる→何かが終わる物悲しさ→庭仕事が終わったときのことを連想→昼のにおいがする」ということなのか、とも思いましたが、子供がそんな回りくどいエピソード記憶と反応をするとは思えません。
(しかも、1段落目は「うれしいにおい」で2段落目は「少しさびしいにおい」と書かれていて、においから想起される気持ちも異なっています。)


しかし、やっかいなことにこの2段落目においての「昼のにおい」とはこちらの回りくどいほうのにおいではないか、と読んでいて感じるのです。

筆者が文章全体で言いたいことは、「懐かしい記憶は、懐かしいにおいとともにある。懐かしいにおいが蘇ると、父と過ごした楽しい時間と、父が亡くなってしまった寂しさを感じる。」ということだと思います。


そして、「過ぎ去った時間は二度と戻ってこないが、思い出はにおいとともにずっと残っている。」ということだと思います。
そのにおいの例として「庭仕事の終わりに水をまいたときにするにおい」と「花火が終わったときにするにおい」をあげているのだと思います。


そうであるとしたら、2段落目の「におい」を「昼のにおい」という1段落目と同一の言葉で説明する意図は何なのか。読んでいて混乱するだけではないのか、と思ってしまうのですが、先生はどのようにお考えでしょうか。

ご解答よろしくお願い致します。


ご返事

中級から学ぶ日本語(三訂版) 教え方の手引き(教師用マニュアル)』
に以下のような説明があります。

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