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オダキクチがやり合っていたのを見ていた

オダという男がいた。彼とは、おそらく中学1年か2年で同じクラスだった。中学に上がるときに引越して、誰1人知らない中学校に入学したものだから、オダという人物のことは同じクラスになって初めて知った。彼はサッカー部のくせしてあんまりモテていなかった。運動はできるし人当たりもいい。友人もたくさんいるようであった。ただ、口癖が「ぶいーーーーん」だったせいで、全然モテなかったのである。

そんなことを言えるほど、私は彼との関係が深くなかったが、おそらくその口癖のせいでモテなかったはずである。誰かと話せば必ず金切声で「ぶいーーーーん」と言う。自分が話すターンなれば「ぶいーーーーん」。語尾にも「ぶいーーーーん」。時折「ぶいぶいーーーーん」と叫び出す。引越した学校は県内でも比較的栄えた市に位置していたし、海と山に挟まれたど田舎で幼少期を過ごした私にとって、その場所はシティでシュッとした人しかいないと勘違いしており、なんの脈絡もなく叫び出す彼は恐怖そのものであった。

オダはよくいじられていたように思う。同級生も先輩も、多分先生も結構オダを出汁にして生徒に物申す。なんか、ちょっとだけ可哀想だなと思いつつ、当時はなんにも考えずにまたオダか〜と呆れていた。

オダを出汁にしていた先生のひとりに、キクチがいる。多分50代くらいのおっちゃんで、体育を教えていた。毎年全員が嫌がる長距離走の授業では、キクチは全員のタイムを集計して男女別ランキングを作っていた。それでやる気になるかと言われればそうではないけれど、毎週ランキングの更新があってキクチはそれをわざわざ筆で書いて、学校の昇降口の掲示板に示す。パワポかWordで作られた掲示物の隣に、デカデカとキクチの力強い筆文字が並んでるのが面白くて、割と楽しみにしていたが、時折自分の名前がトップテンに入っていた時はちょっと嬉しかった。キクチ、生徒思い。

キクチは、毎年クラスが新しくなると自己紹介をする。その時は自分の苗字が「菊地」ではなく「菊池」であることをわざとらしくフリにして、病院の受付で「キクイケさん」と呼ばれた話をする。これがキクチトークの最大到達点であり、またこの1本のエピソードしか持っていない。普通の授業でも言ってたから、「キクチのチは土じゃなくてさんずいでな」と話し出した時点で誰も聞いてなかったが、それも含めるとおそらく200回は聞いていると思う。キクチ、話はあんまり面白くない。

オダキクチは多分仲が良かったんだと思う。オダはキクチを見かけるとすかさず「うわ、キクチだ」と反応し、「キクチ〜キクチ〜ぶいーーーーん」と叫び出す。キクチは「オダ〜!お前〜!失礼だぞーーーー!!!」と啖呵を切る。そうして追いかけっこを始めるのだ。体育の授業では、キクチは必ず整列して地面に座らされている生徒たちの前にオダを立たせる。運動の手本をするときも、2人1組でやる活動のときも、必ずオダを引き合いに出す。キクチがいくら説明しても、オダはオダで「キクチ〜キクチ〜」と聞く耳を持たず、手本は大体上手くいかない。失敗例を見せつけられ、「オダ、ちゃんとやれよ!」と怒るキクチとオダのやりとりに、生徒は失笑する。キクチはそれで笑いが取れていると思っているのだろうが、我々からすると「もうええて」とエセ関西弁を漏らすくらい見飽きていた。

オダもキクチも、ちょっと馬鹿にされていたように思う。でも、2人ともそれなりに人気だった。オダは友達が多かったし、キクチもよく生徒と話していた。いつも人の前に出てくるから、なんとなく人となりが掴めていたのもあって、話しかけやすかった。

私はオダキクチとそんなに関係値があったわけじゃないし、卒業後彼らに会うこともなかった。ただ、オダキクチの精神が私の中に存在していて、時折彼らが私を通して表に出てくるのだ。

先日、とあるイベントにお誘いいただき、街へ繰り出した。普段は日用品を買うか映画を観に行くかくらいしかせず、街中へ出て大勢の人とおしゃべりする機会は久しぶりだった。件のイベントは贔屓にしているお店の方を中心に集まったグループが企画したもので、スタッフもお客さんも顔見知りが多く、会場に着くや否や話しかけられ、挨拶もほどほどに、ビールを片手にふらついた。

とても正直に言うと、大勢の人が集まる場所が苦手だ。数年前、ライブハウスに通っていた時もそうだったけれど、みんなで話すとか、話しかけるタイミングを見計らって挨拶するのがめちゃくちゃ下手で、素っ気ない態度が出てしまう。同じ態度であっても、少人数で会うとなんでもないのに、人が集まる場所ではそれが通用しなくなる。ちょっとだけ声色を変えて「うっす〜久しぶり〜」と言えばいいのに、それが上手くできなくて変なテンションで出迎えてしまう。

あと、人の名前をすぐに忘れる。会ったことあるけれどなんか微妙な距離感の場合だと尚更だ。振る話題も難しくて、あー何話せばいいんだろうと悩む。その時は、いい天気だねとか、楽しみだねとか、自分がいる場所の実況をすればいいと以前結論づけたのだが、実践はいまだにできていない。

顔見知りが多く、友達の友達くらいの人が集まる場なら、仲良くなるのはそこまで難しくないと思う。無理に仲良くする必要もないが、私はかなり結構ちゃんと構ってちゃんなので、人の考え方とか生き方みたいなところが知りたいと思ってしまう。その思想とは反対に、プライベートで人に踏み込むタイミングが絶望的に下手でセンスがないので、喋りたいなあと思っていた人の名前と素性をすっかり忘れている。顔は覚えているのに、うわー、今他の人と喋ってるから無理だよなあ、そもそも名前覚えてないしなあ、お酒でも飲むかあと自己完結し、ベロベロで帰路に着くことがほとんどだ。

そんなときにオダキクチを全身に纏わせる。オダの「ぶいーーーーん」よろしく、他の人から鼻で笑われてしまうような行動も言動も何にも考えずにする。キクチの筆文字やトークみたいに、調和が取れてなくても、適切なタイミングじゃなくても、出会った人と話す。名前と顔を覚えてないことも正直に言い、でも話したかった旨を伝える。支離滅裂で馬鹿にされても、話しかけてくれたらもうこっちのものだ。その時は自分が思ってるテーマとか、あなた最近どんな感じっすか?のような、どうってことない話をする。そうして聞き出した相手の考えとか言葉を皮切りに、その人自身の価値観を知る。

オダキクチを出してから、人と話す機会が増えた。大勢がぎゅうぎゅう詰めになってて、音楽がガンガン鳴ってる場だから、大した話はできないけれど、連絡先を交換したりとか、またゆっくり話そうよ、と次の機会を作れる。何にもない田舎出身で大したユーモアも知識もない人間だから、こいつおもんないな、と思われたっていい。それでも話せる人が増えて、価値観や趣味を共有できたら、なんて楽しいことなんだろう。あんなに馬鹿にしていたオダキクチを出すだけで、オダキクチは人を引き寄せる。

船に乗っている方と話せたし、海外を回っている方とも話せた。知らない土地に住んでいる方とも、めっちゃくちゃかっこいいプロダクトを作っている方とも、音楽きいてお酒飲んでゲラゲラしてる方とも話せた。また次に会ったら、もっと踏み込んで話したいなあと思う。普段は家でオンラインゲームをしながら「これはjg gapでござるなぁマジで炊きますわあとりあえずピン炊いてきた奴通報しておくでござる、gg」と口をへの字にしてフレンドと遊んでいるだけなのに、街でオダキクチをするだけで、私の世界が森からシティへ広がっていく。それが絶対に良いことだとは思わないけれど、構ってちゃんの私のコミュニケーション戦略は、今のところ順調に目的地へ向かっている。あとは、勇気を出して約束を取り付け、体育座りして話し込めば、オダキクチのお役は御免だ。


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