見出し画像

【15】天明の徳の教え9  仙人のおじさんの教え おせっかいばぁば 天明


皆様こんにちは。先週は24歳の時のお話しをしましたでしょう。今日ね25歳の時なんですよ。印鑑屋さん。皆さん、あの印鑑作っていただきますでしょう。私もね、結婚するのでね悩んでいたんです。この頃からぼんやりと私は瞑想するっていうことをいたしてましたのでね、この人と結婚するんでしょうか?この人でよろしいでしょうか?ね、瞑想して、3回聞いたんです。それでも答えが来ないんです。いつもぱっとこう感じとるんですけど。それで、意識を戻してね、いいのかな?駄目なのかな?色々分からない。悩んでました。


その時にね、事務所に、まあ勤めをしておりました。事務所にね甲府からあの、印鑑屋さんが出入りしているんです。そのね、甲府からいらした印鑑やさんがね、もう、90過ぎていらして、白髪の長髪でねお髭はずっとここいらあたりまでね、長くね、もう見るからに仙人だから事務所では「仙人が来たよ仙人が」って言っていたんですけどね。ああ、あの方仙人だから、きっとお聞きしたらね、答え、くださると思ってご相談しました。そうしたらねあのメモ紙に、日頃使っている印鑑を押してもらっていらっしゃいとおっしゃった。はいって、すぐに頂いて、お渡ししました。そうしましたらね、うん
「ええ性格はこうこう、こうこう、こういう性格」おっしゃった。「穏やかでバリバリ仕事をする人ではありません」「世の中が景気が良くて
あの、すごいこうね収入も多いっていう時にこの方はね大したことないです」だけど「世の中が不景気になった時はこつこつこつこつやる方だから生活にあなたの生活に支障はないですよ」おっしゃいました。そして、最後に「女遊びはいたしませんよ」っておっしゃいました。これがきめてになりまして、ああ決めたって言って、結婚をいたしました。


その時にね、私はね、先週お話をしましたね、前回でしたか靴磨きのおじさんと同じね、何かがあるって、この二人にはって思ったんです。皆さん考えてみてください。こんなメモ紙に印鑑、日頃使ってる印鑑を押した紙ですよ
これを見て性格を当てられる。将来までも当てられる。未来までね。考えられなかった。ここでもまたね、一つの道にね精通したっていいますか、たけた方、その方は見えるものが見えないものが見えてくるんだなっていう気づきをさせていただきました。


それでね、ここでも、また人の見方が私、変わってまいりましたね。上野の靴磨きやさん、ねえ、ボロボロです。もうどう見てもあのね、そんなこと言っちゃごめんなさいね、靴磨きさんごめんなさいね。どう見ても私のイメージしてるあの旦那さまというか男性ではなかった。だけど心は凄いなと思いました。この仙人さんもすごいな。


この頃からね、私はね、見えないものを見なくちゃ本当が分からないっていうところに気が付き始めたんですね。あの旦那さまは見た目には、それこそ温厚で、どなたが十人十人見てもすごい。あの、いいねって素敵ねって言うような方で、まあまず見た目には本当、ごめんなさい。今もう天国行っちゃいましたのでね、ごめんなさい。あの見た目にはね本当に素敵な私も自慢にできる夫でございました。どこにご一緒しても、あの堂々としていられるほどの方だったんですけど、彼が言うのにね、母さんって、僕がねすごく小心者でね、あの自分が思ってることをあなたみたいにね他人様に言えないんです。だから、それをカバーするために身に着けるものね持ち物、身に着けるもの、それから、頭へ知識、どなたに対しても受け答えのできる知識を入れて。私は図書館だと思ってましたからね。私の図書館だと思ってましたから
何を聞いても、ぱっと即答で帰ってくる方でしたね。そのように、もう完全にロボットみたいにこう自分をピットしている方だったんですね。
それは僕は自分をよく知ってるからなんですよって言いました。あっ、自分がよく知らなければ、自分をよく知らないで他人にこうしていう方いうのは得意だったですからね、私。それをまたまた教えてもらったんですね。俗に言う「能ある鷹は爪を隠す」お聞きになってますでしょ。本当に出さない方。お聞きすれば、答えが即答でくる。だけど自分からこうした方がいいや
これはこうなんですよ、はあなんです、一切、死ぬまでそれはない夫でしたね。うん、今でも尊敬できる夫でございますけれどね。


さあ、それでね。ある時ね母さんは野口先生を超えましたねって言いました。野口先生とおっしゃるのは野口整体のね実案者である野口晴哉先生なんですけれど。私は野口晴哉先生にねあの最初この手当の縁したのがそうだったものですからね。野口先生、六十歳で亡くなったんです。その時にね、あの野口先生は素晴らしい。僕が一生のうちで尊敬できるのは2人だって。野口晴哉先生ともう一方いらっしゃるんですけど
野口先生を超えました。なぜ、夫がそういう言葉を言ったかは、今、この時は分かりませんでしたのよ。ずっと何十年経って、私が60を過ぎて70になった時にああっていうのが、自分の中でこのことだったんだって。野口先生を越えたねって行ったのはこうだったんだな、このことだったんだなって
後々に気が付きましたけれども。


見えないところ、見えないところに宝物があるんですよ。見えるところで人を見るのではなく見えないところが見えるようにお母さんはきっとなれるからって言ってくれました。ここでもまた「ボロは着てても心は錦」という言葉が浮かんでまいりました。見えない宝物のを持ちなさい。自分の中に改めて感じ取った、この25歳の時でございました。皆さんもね、色んなことをね色んな方からね学んで来られてると思います。それを大事にね、宝物にしてね、今日ね生きてまいりましょう。


きっといいことあるから!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?