【7】天明の徳の教え4 天明の十徳 前編
皆様こんにちは。
今日は10年かかって、私があの、そうですね、毎年暮れの25日から「食べず」「飲まず」そして「眠らず」それをやるんです。座禅をやるんです。
その時に、この天から降りてくる言葉があるんです。
それを平成元年から初めまして。ずっと、10年間それを「十徳」と呼ばせていただいて、あちらに書きましたけれども、これなんですね。
この十徳の一つ一つが毎日の生活の中でいくつか組み合わさって私たちは今日1日を過ごしているんですよ。そういう話をこれからしていこうと思いますね。
まず自分、自分を。自分、自らを分けると書きます。どのように分けるんですか?私には師匠がおりませんので自分がこの宇宙、天と交流して答えを出すしかなかったので、自分、自らを分けると書く。どういうことですか?こんな一番厚い大学ノートを買ってまいりましてそれに毎日ダーっと一面に「自分、自分とはなんぞや?」また自分、ずーっと書いて、わからない。
そのうちに自らを自ら、自分自、自らとも言う。自らを自分のことを己とも言う。同じですねこれ。これをまた自ら大学ノートですね。自ら、分ける。自分ね、そして自分を分ける。どのようにと思って書いていくうちに、この一文字を自らと言いますよね。これをまた自ら自ら自分は自らなんだ、じゃどのように分ければいいんだ自らをと思って書いていくうちに、
ああ、己の自らのことを己とも言うよね、そしてこの己をずっとまた大学ノートに書いていくうちに手がくたびれちゃって、こういう風にかけ。なっちゃったんです。あら?これでもいいじゃない?同じじゃない己じゃない。これを書いていくうちに、あら何か忘れたよ。なんか気持ちが悪い、なんだろうと思っていましたら、これが、どこいっちゃったの?と思ったんです。
そうしていくうちにまた疲れて、こういう風に、己がこういうふうにもなってきちゃったんで、手がくたびれて。あら、でもこれ己かな?似てるけれど
ここはまたどこに行ったのなったの?となった時にまたこれでずっと書いていたんです。こうしてそうしたら大学ノート何ページも、皆さん書いてごらんなさい。本当に疲れるんですから。
そしたら、こうなったんです。そうした時、あら!これがここに、これで己という字がまとまったと、なんか心がね思ったんです。これでいいんだ。
そうしてまた書き続けました。大学ノート何冊書いたかわかりませんね。もう処分しちゃったから数えてませんが、結構書きました。それで、これもまたくたびれました。そうしてるうちにくたびれるものですから、こうやって、つながっちゃったんです。これを見ました時に私はメビウスって言うのが閃いてきたんですね。
自分というのはメビウスなんだ。
自分に不可能はないんだ。昔有名な方がなんか有名な言葉を残されておりますけれども、不可能はない。そこにまだ後々になりますがどのように不可能にないに繋がるかって言うのはおいおい話して行きますが、メビウスと言うのが出てきて、自分と言うのはメビウスになるんだって。その頃は漠然とですが思いました。
そうしまして私の十徳が始まったわけです。
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