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「行動はしなかったが気持ちはあった」の問題点

「行動はしなかったけど、そうする気持ちはあった」ということに対して、どのように評価しますか。気持ちだけでも認めたいという人もいるかもしれません。でも、これを肯定してしまうと、だんだん不自由になります。

人は行動でつながっている

人と人は気持ちでつながっているみたいな言い方がありますが、本当にそうでしょうか。気持ちだけではダメで、気持ちが行動に表れて、その行動によってつながっているのが実際です。

ただ、「行動」と「成果」は違います。こういう気持ちで行動したけれど、それが裏目に出てしまうことや、失敗してしまうことはよくあります。残念だけれど、何に対しても「必ず成功する方法」というのはありませんから、仕方がありません。

どんな行動が可能なのか、それは人によって違います。様々な制限を抱えている人もいます。それに、どこから「行動」というのかも、意外に難しい問題です。でも、「気持ちだけ」では、それは完全に内化していて、社会的にはゼロの状態です。

「気持ちだけはある」を正当化する恐ろしさ

例えば、「痩せたい」という気持ちがあるとします。でも、痩せるために、食事に気を使ったり運動をしたりしているかというと、特にしていない。よくあるパターンですよね。

これって、「痩せたい」という気持ちは、本当だと言えるでしょうか。

その人の行動は、「特にダイエットなどはしない」というものです。でも「痩せたい」という気持ちはある。つまり、「痩せたいけど、ダイエットの努力をしてまで、痩せたくはない」ということだと思うのです。

「行動はしていないけど気持ちはある」ということを自分で正当化してしまうと、行動という接点がなくなるため、その点では他者や社会から切り離されてしまいます。色々なことでそれをやると、自分だけの世界に閉じ込められてしまいます。

もっと行動を称えよう

それが本当に「行動」ならば、自分や自分の身の周りに変化が起きます。方法を間違えてうまくいかないことや、タイミングが悪くて失敗することもありますが、「行動すれば変化が起こる」というのが原則です。

だから、気持ちではなく、行動をもっともっと称えるべきだと思うんです。やったけどうまくいかなかった…とうじうじしたりせず、「行動した自分、ナイストライ!」でいいと思うんです。

行動すると、たとえ失敗した場合でも、凝り固まった状況を揺さぶることが出来ます。かえって状況を悪化させたと思えることもないわけではありませんが、「気持ちだけ」よりずっといいと思いませんか。

気持ちを行動につなげると、だんだん自分に自信を持てたり、直接自信につながらなくても、自信をつける「わたし」という土台が出来てきます。

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