見出し画像

新学期からマスク不要!子どもたちを見守ろう

新学期から小中高校でのマスク着用は「不要」という方針を、文科省が打ち出しました。

でも、もう、子どもたちにとって「マスクをするのが当たり前」になってしまいました。最初は公衆衛生の問題として始まった学校生活でのマスク着用ですが、途中からは「大人の事情」みたいな部分もありました。

マスクを外すということが、どうやら簡単じゃないらしいということが分かったいま、子どもたちに必要なサポートとは何か、そして大人の果たすべき責任とは何なのか、考えさせられました。

マスクはご自由に…でも街の景色は変わらず

「マスクは任意です」ということを改めて政府が発表したことで、街の景色は変わるのかな?と思いましたが、東京の街に変化は感じられません。

電車の中や人混みでも、人がまばらな屋外でも、いままでと同じようにほとんどの人がマスクをしています。僕はたまたまマスクが苦手なので、今までも「マスク着用必須」という施設では着用し、それ以外では外すということを続けてきましたが、こんなにマスク着用の人が多いということは驚きでした。

もちろん、良いとか悪いとか、そういう話じゃないですよ。公衆衛生の問題は「個人の自由」だけでは済まない部分がありますが、その難しさがあっても、やはり個人の選択だと思います。

感染予防ではなく免罪符としてのマスクに

そもそも、人がまばらな屋外でマスクを着用する必要はないということは、もうだいぶ前から言われていました。夏場などは熱中症への懸念から「人が近くにいなければ外してね」と言われていたくらいです。

マスクをしていることで、「正しい側にいる」という感覚が得られる。同調圧力の強い日本社会ならではの感覚かもしれません。

大人がそんな感じでブレブレの対応をする中で、子どもたちはずっとずっとマスクを着用し続けていました。夏休みもマスクをした子どもたちが、公園であそぶのを見かけました。とにかくマスクはしてね、とふんわり言われた子どもたちが、今度は外せと言われています。

もう一度マスク問題に向き合おう

僕はもう、マスク問題とか、ほんとどうでもいいやと思っていました。ロジカルな議論にならないパターンにも辟易としていましたし、もうお腹いっぱいでした。

でも、子どもたちのことを聞かされると、適当だった自分の態度に後ろめたさを覚えました。

マスクをするのも、外すのも、自由にしていい。日本は、それを一人ひとりが自由に選べる国で、君たちはそういう国に住んでいるんだ──って、言いにくくないですか?

答えのない問題に向き合い、個人として決断し、実行する。日本の大人って、こういうことがほんと苦手なんだと、思い知らされたコロナ禍でした。ずっとマスクをして過ごした幼い子どもたちに、この後どんな影響が出るのか。注視する必要があるのはもちろんですが、大人としてマスク問題にどういう態度を取るのか、やっぱりもう一度考える必要があると思いました。

声のメディアstand.fmでは、同じテーマを音声でお楽しみいただけます。この内容が気に入ったら、ぜひこちらをどうぞ。無料メルマガ『冒険と灯台』もおすすめいたします。


コンテンツが役立った!共感した!という方は、よろしければサポートをお願いします。大変励みになります。noteでの情報発信のために、大切に使わせていただきます。ありがとうございます。