嘘っぽい希望より絶望を 前に進みたければ絶望力が必要です
世の中で「希望」とされているものの多くは、かなり嘘っぽい。
家族だったり、仕事だったり、お金だったり、「希望」と言われてきたそれらは、今では拭いがたい嘘っぽさをまとっている。
SDGsのコンセプトには文句のつけようがないのに、パッケージ化されたとたん嘘っぽくなった。SDGsのピンバッジをつけている人とか、「誰ひとり取り残さない」なんて平気で言っちゃう人に接すると、「嘘っぽいな〜」と思う。狭量な僕の、つまらない偏見かもしれないけれど。
もしそんな嘘っぽい「希望」を内側に侵入させてしまえば、たちまちその人の輪郭は曖昧になり、嘘っぽくなる。嘘っぽいことを話す、嘘っぽい存在になってしまう。
僕が求めているのは、そんな言い訳みたいな「希望」じゃない。純度100%の絶望だ。
「絶望を避け希望を求める」は正解か
絶望を避けて、希望を求める──当たり前のことだとされているけど、これって生きる上で正解なのだろうか。
日本は30年も不況が続いている。超高齢化社会の未来に希望は見出せない。これから暮らしが豊かになるとか、水や土や空気がきれいになるとか、そんなことを信じている人はとても少ないだろう。悲観論ではなく、客観的になればなるほど、日本社会が迎えている緩慢な死が実感される。そしてそんな日本の姿を、多くの先進国が「自分たちの未来の姿」だと恐れながら注視している。
「それでも希望を持とう!」
と、あなたは言うだろうか。悲観していても仕方がない。嘆きながら生きる人生なんて虚しすぎる。だからこそ、希望を持とうと。
僕も、それに全面的に同意する。でも、分からないのは「どうすれば本当の希望が持てるのか」ということだ。
子どもの誕生は本当にめでたい?
日本社会では、子どもが生まれると「おめでとう」と言って祝う。新しい命の誕生は尊い──みんなそう言うけれど、僕は違和感を覚える。
もちろん、誕生してしまえば、そこに一人の人間がいるわけだから、「もう一人の人間」でしかない僕がどうこう言う資格などあるわけがない。それに、赤ちゃんって圧倒的にラブリーだしね。でも、だからこそ、情緒に流されず落ち着いて考えたい。例えば2024年の日本に子どもが誕生するということは、未来においてどういう意味を持つのだろう。
晩産化が進み、第一子を出産する母親の平均年齢は31歳になった(厚労省の調査)。2024年に生まれた子どもが31歳になるのは、西暦2055年の未来だ。2055年には、日本の人口は25%以上減少して9,500万人ほどになるといわれている。高齢人口が約1,200万人増加するのに対し、生産年齢人口は約3,500万人減少、若年人口は約900万人減少する(厚労省の別の調査)。
いま子ども生むということは、自分と同い年くらいに大人を、過酷な未来に送り出すことを意味している。もちろん、人類は子孫をつくってここまで生き残ってきた。それでも、過酷な未来にタイムトラベルで人を送り込むみたいで、「おめでとう!」と手放しで騒ぐことに後ろめたさを感じる。
自分に嘘をつき手に入る希望などない
自分に嘘をついている人は、必ずそれに気づいている。
ノンストップのおしゃべりで言葉の弾幕を張り本心を隠したり、Netflixを長時間視聴して自意識から逃れたり、ごまかすために色々やる。「家族のためにがんばる!」」みたいな出来合いのストーリーに身投げして、お茶を濁そうとする人もいる。
それでも、やがて「自分自身と二人きりになる時間」が必ず訪れる。
その時、思い知るのだ。自分が自分に嘘をついていることを。本当は希望からほど遠いものを、「みんなもそう言っているから」と強引に自分を納得させ、「希望」だと言い張って生きてきたことを。
嘘をついた人は、嘘をついていない自分に追いかけられる。本当の自分からの逃亡生活。よく言われるように、逃亡生活は磨り減るし、安らかさを失う。本心に嘘をつけば、希望など本当になくなってしまう。
今こそ「絶望力」を
2023年の秋頃、ふと「絶望クラブをつくろうかな」と思いついた。
世の中の成り立ちを調べ学び、もし本当にそこに絶望があるのなら、心の底から絶望するのだ。そこにあるのは、失恋がもたらすような一過性の陶酔的な絶望感ではなく、真実の絶望だろう。
その時に、きっと変化が始まるはずだ。絶望をスルーして「嘘の希望」に頼る生き方が、根底から変わることになるからだ。
ソコカラ先ニ行ッテハダメ! ソノ線ヲ越エレバ死ンデシマウゾ!
絶望力とは、幼い頃からそう刷り込まれた境界線を、繰り返し越境する力だ。
その線の向こう側に、本当の希望が待っている。僕はそう信じている。嘘っぽい希望など要らない。嘘をついて生きることで、自分や他者や子どもたちを傷つけ続けることをやめるのだ。僕は絶望を求めている。嘘っぽい希望を焼き尽くす純度100%の絶望を。
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この原稿は、長田英史noteのメンバーシップ用に書いた原稿を、一般の方にも読めるようにしたものです。
僕は「場づくり」の専門家として仕事をしながら、「人が自分に嘘をつかず自分らしく生きられる社会をつくる」というミッションを掲げる「生き方開発lab」というコミュニティを主宰しています。
そこでの活動を通して考えたこと、感じたことを、こちらのnoteや音声配信のVoicyで発信しています。発信するのは、私たちの活動を知ってもらい、共感する人や組織と出会うためです。そのため、いつもはじめましての方を意識して書いたり話したりしていますが、どうしても薄い話が多くなってしまい、もっと本質的なことを突っ込んで扱える場を求めていました。
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僕自身、生き方に向き合い葛藤する当事者の一人です。
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