三月の終わり、noteを始める。♯1

初めまして。佐藤です。

書き始めってとても難しい。
人に勧められてnoteを始めようと意気込んだものの、何を書けばいいのか未だ纏まらず、頭に浮かんだ言葉を適当に液晶に打ち込む私である。

文を書くことは好きだ。思考を整理するときは よくメモアプリを起動して衝動のままに文字を打つ。何かしらモヤモヤしたことがあるとYah〇〇知恵袋でよく見かける投稿の如く、起こった事象、その時の己の感情を書き散らす。

「付き合っている彼が趣味ばかり優先して困っています。約束を忘れられたり、後回しにされてしまったり、もう疲れてしまいました。彼とは付き合って半年で…ーーー

私は今後どうすべきなんでしょうか?」

と言ったふうに。
あ、別に私は今独身で、パートナーも居ない、正真正銘の独り身なので、上記の事はパッと思いついただけの妄想である。…悲しい。言わなくて良かったかもしれない。

…閑話休題、
メモアプリに書いた内容を初めから読み直し、そして脳内でアンサーする。「そんな彼とっとと捨てて次だ次!」とか「貴女にも趣味があるでしょう。それを邪魔する権利は誰にも無いのでは?」とか。
今の自分が置かれている状況、己が抱いている感情を第三者的視点で客観視したり、"回答者"というていで、己の中にあるドス黒い感情を吐き出してみたり。
そうすると、なんだか胸がスッとするのだ。

結構お勧めですよ。
Yah〇〇知恵袋風メンタルケア。

つまり何が言いたいのかというと、
日々こんなふうに、書くこと、読むこと、言葉、によって私は救われてきたのだということだ。

幼い頃から本が好きで、図書館が好きな子だった。読み終えた本の面白さを伝えたくて、自分の中であらすじをまとめ母によく話していた。あの作品はこういう話で、ここが楽しくて、面白くて。母はそんな私に「本当に上手にお話するね。おりこうさん」と微笑んでくれた。その日から、纏めること、表現することは 私の"得意"になった。そのうち、自分で文章を書き、物語を創造することも好きになって、小学生の頃 創作童話で賞を貰ったこともある。将来の夢は小説家!なんて本気で思っていた。

でも
世界は広いし、社会は甘くない、優しくない。自分は紛うこと無き凡人である、と気付いたのだ。私がやっとの思いで作り上げた宝物を、生まれながらに当たり前に持っている者のなんと多いことか。悔しくて、捻くれて、羨み、妬み、環境や生まれのせいにしたことも。
でも 最終的には己の力不足だと理解して、高みを目指す生活を諦めて、自分という存在すら諦めていた。

しかし、ある時、こうした、ものを表現するということで生じた落胆を、とある人が表現したものによって救われた。

私の好きな芸能人、所謂"推し"が、自身のエッセイでこう語っていた。

「生きづらさを緩和するために表現をするのだし、マイナスがあるからプラスが生まれるわけだし、陰があるから光が美しく見えるのである。」

そうなんだ、そうだった、と。胸がすっとした。
満たされていないからこそ、満たそうと足掻く、そこに美しさはあるのだと。ままならないからこその面白さがあるじゃないかと。

上手く行かなくて、どうしようもない日常から生まれる くだらない感情こそ、書きがいがあるじゃないか。
そうして表現し、こうして世に放った私の言葉が、どこかの凡人の心を打つかもしれない。誰かが誰かを愛す、誰かが自分自身を愛すきっかけになれるかもしれない。

そう願いながら、私は今日も言葉を発信する。
あなた達の生活に、少しでも何かを届けられたらと、性懲りもなく文章を書いている。受け取ってくれて有難う。

…よし、上手く纏められたぞ。
3月には間に合ったらしい。よくやった。

あ、そうそう

最近、桜を見に行きました。

春ですね。

ではまた、お目にかかる日まで。
あなたの生活が滞りなく続くことを願って。

佐藤。


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【引用】
「そして生活は続く」星野源
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