魔の仕組み
大日月地神示(おおひつくしんじ) 2014~2017
~宇宙指導靈団(れいだん)より~
地の大神、人の命奪わん(うばわん)ぞ。悪魔に支配されて奴隷になっておった者たち、人の命奪ってきたのじゃぞ。悪の科学じゃなあ。雨降らし(ふらし)風吹かし(ふかし)地揺らし(ゆらし)、毒撒き(まき)嘘つき人騙し(だまし)、善(ぜん)の仮面被りて(かぶりて)人々崇めさせ(あがめさせ)、操り(あやつり)続けてきた愚行(ぐこう)の数々、因果(いんが)としてみな一つ一つ償わせ(つぐなわせ)ますぞ。逃げも隠れも出来んぞ。悪魔の仕組み筋書き(すじがき)、地の靈団(れいだん)みなみなすっかり騙されて、地の人々らも皆々騙してきたのじゃ。⨀(まこと)の神は天変地変(てんぺんちへん)で皆の命奪わんのぞ。守護靈(しゅごれい)、指導靈(しどうれい)殿は、人に恐怖の絵巻(えまき)など見せんのであるぞ。恐ろし予言などせんのであるぞ。脅して(おどして)操るやり方、悪であるのぞ。不安の氣(き)は人の気力奪って、悪魔に操られやすい人に変えるのぞ。悪魔は靈団、人民みな洗脳(せんのう)いたし、荒れ果てた地は、皆々神のせい人のせいにいたして、地の民(ちのたみ)ら共倒れ(ともだおれ)自滅(じめつ)させ、初めから地を乗っ取る策略(さくりゃく)であったのじゃぞ。
悪魔の仕組みは、初めからすべてお見透し(おみとおし)であったから、時(とき)来るの待ちておったのぞ。言うてはならず、言うて救いたかったなれど、分かる者には分かるようにいたして来たのぞ。分からぬ者はまだまだ分かる器(うつわ)ではなかったのであるから、皆々因果(いんが)ぞ。いくら背伸びいたしても学び足らぬゆえに分からんのであるから、おのおの身の丈(みのたけ)に応じた学びをさせて来たのじゃぞ。生まれ変わり死に変わり御魂磨き(みたまみがき)いたして参りなされよ。もうこれで良いという御魂(みたま)一つもないぞ。地に生まれ学ぶ必要無くなる時は無いのであるから、靈人(れいじん)皆々、地の大神様にお詫び(おわび)申して、改心いたして、また生まれ変わって学ばせて頂けよ。仏魔(ぶつま)に魅入られて(みいられて)、いつまでも洗脳され執着(しゅうちゃく)させられておりますぞ。人が造り(つくり)上げた偶像(ぐうぞう)は偶像であるのじゃぞ。いつまでも偶像崇めて(あがめて)おっては笑われますぞ。己(おのれ)はまだまだ真(まこと)分からぬ者であること、皆に見せておるのと同じじゃなあ。偶像拝む(おがむ)前に己の肉体様を日々(ひび)拝みなされよ。日々使わせて頂いておる、地の大神の分身(ぶんしん)である肉体様を拝んで生きなされ。たくさんの喜び頂いておろうがな。靈、人、共に地の大神様に、肉体様に詫びねばならんのぞ。骨抜き(ほねぬき)にされて真(まこと)見えなくされ洗脳されておったから、何拝めばよいかも分からなくされておるが、時(とき)来たゆえ目醒まし(さまし)なされよ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 六
二〇一五年十月二十七日
大日月地大神靈団(おおひつくおおかみれいだん)
より一部抜粋
これからのこと申すぞ。
臣民(しんみん)人民、皆々⨀(まこと)知り変わる時。悪は分からぬようにワヤにいたしてきたなれど、己(おのれ)らの撒いた(まいた)学(がく)によって苦しんで参るぞ。人減らす(へらす)計画、神のつもりでおるなれど、己ら減らされることまだ分からんのぞ。悪魔に使われておる人民は訳(わけ)も分からず毒造り(つくり)ては、空から撒いて(まいて)人苦しめ、水に撒いて生き物苦しめ、天から仕掛け(しかけ)雨風動かし、地に仕掛け地揺らし(ゆらし)、人に入れて身体(からだ)苦しめ、思考に入りて操りて(あやつりて)、人民知らぬゆえやりたい放題(ほうだい)好き勝手いたしてきたなれど、⨀(まこと)神々の仕組み、いよいよ見せますぞ。良いか。
悪魔は他(た)の星へ連れて(つれて)参りますぞ。悪魔の仕組み無きものにいたしてきた者たち、悪魔に操られて(あやつられて)おることまだ分からんか。無きものにいたせば悪魔やりたい放題(ほうだい)出来るのぞ。知らず知らずに悪魔のお膳立て(おぜんだて)させられておるのぞ。人民には分からんどえらい悪事(あくじ)、やりたい放題いつまでもならんから、いよいよ時(とき)来たゆえに成敗(せいばい)いたすなれど、人民にも分からせねばならんから人民苦しまねばならんのであるが、あまりに可哀想(かわいそう)であるから早う(はよう)分かって下されよ。お人好しも馬鹿(ばか)がつくと悪になるぞ。善(ぜん)の仮面被った(かぶった)悪になりますぞ。いつまでも分からんと申して、善の仮面被った悪ではならんぞ。悪魔に加担(かたん)し続けては、皆々ますます苦しくなるばかり。分かる者どんどんうれしたのし変わっておるのじゃが、まだまだ人民救ってやりたいゆえ、楽にしてやりたいゆえにしつこく申すのぞ。
人の意識(いしき)変わらねば、世の中は変わらんのぞ。人の意識操られて(あやつられて)おるから、己(おのれ)気づかなければ操られたままであるぞ。人民、己が操られておること信じられんであろうなれど、悪魔は簡単に人を操れるのであるぞ。悪魔の力どれほど強いか、ずる賢い(ずるがしこい)か、人民知らんのぞ。負(ふ)の感情与え(あたえ)続け、好き放題に操っておるのぞ。そなたは己が何ゆえそう思うか、問うて(とうて)みよれ。その思いはどこから来ているのか、考えてみよれ。自分の頭で産み出していると思い込んでおるなれど、思考は元(もと)より在る(ある)ものがそなたに流れて来ておる仕組み。無限(むげん)にある思考を選んでおるのみじゃ。己で選んでおると思うなよ。思考を選ばされておるのじゃぞ。操られておるのじゃぞ。人民に与えられておる学(がく)は、まだまだ低きものであるのぞ。地の人民、いつまで操られておるのじゃ。骨抜き(ほねぬき)にされ操られ、善の仮面被った悪の人民にさせられておるのじゃぞ。
真(まこと)を求めよ。求めねば進まんぞ。人民、真(まこと)の喜びまだまだ知らんのぞ。うれしたのし涙溢(あふれる)れる世、皆で創れる(つくれる)のぞ。戯言(ざれごと)申しておるのでないぞ。人民、目覚め(めざめ)ねば新し世(よ)創れんからくどう申すのぞ。生き物皆々うれしたのし世直し(よなおし)いたすゆえ、これからますます悪事(あくじ)表に出して膿(うみ)出して、人民の目覚ましいたしますぞ。地の人民、靈人(れいじん)だけではもうどうにもならんから、昔から縁(えん)ある他(た)の星の方々も、鍛えて(きたえて)きた善良(ぜんりょう)なる靈団靈人(れいだんれいじん)らも、皆々総掛かり(そうがかり)で世直しいたしますから、まこと目覚めた人民、安心してお役目いたして下されよ。神人(かみひと)に伝えてあるから聞いて下されよ。世界中、真偽(しんぎ)ひっくり返して世の立て替え(たてかえ)立て直し(たてなおし)ますます激しく(はげしく)なりますから、人民、褌(ふんどし)締めて(しめて)、まこと目見開いて(みひらいて)生きて下されよ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 七
二〇一五年十ニ月二十九日
大日月地星大靈団神々御靈(おおひつくほしおおれいだんかみがみおんたま)
より全文抜粋
人民の科学も迷信(めいしん)、間違いだらけの宗教ぞ。お偉い(えらい)さん方申すこと真(まこと)と思い込むでないぞ。人民騙され(だまされ)やすいから、くどう申しておくぞ。皆々苦しむもの産み出す悪魔の教えを崇めて(あがめて)おいでじゃ。人民擦り(すり)込まれたゆえ、間違いだらけの悪の科学崇めるのも無理ないなれど、生き物皆々様が苦しむ元となる教えを悪魔らは人民に与えて、自滅(じめつ)させること楽しんできたのじゃぞ。目見開いて(みひらいて)、よくよく世の中の歴史、見て下されよ。悪魔は生き物人民苦しめ殺すこと、愉しむ(たのしむ)者たちじゃぞ。長きに渡り(わたり)世の中操って(あやつって)来たのじゃ。陰謀論(いんぼうろん)じゃと笑うて下さるなよ。真(まこと)のお話じゃ。皆々己(おのれ)の命と引き換え(ひきかえ)に、人民に真(まこと)伝えるお役目いたしてきた尊い(とうとい)御魂(みたま)ら、たくさんおったのであるのぞ。陰謀論と申し握り(にぎり)潰して(つぶして)きたのは、悪魔の策略(さくりゃく)であったのぞ。人民ワヤにいたし、己で考えられぬように真偽(しんぎ)混ぜ(まぜ)こぜにいたして、揉め(もめ)させてきたのじゃ。
一つ一つ整理整頓(せいりせいとん)いたして、皆で真(まこと)伝えおうて下されよ。悪魔は人食うのじゃ。人の血呑んで(のんで)喜んでおるのじゃぞ。人の子の血肉(ちにく)、ご馳走(ごちそう)にいたすゆえ、昔から人民に生け贄(いけにえ)求めてきたのじゃぞ。今も世界中におりますのじゃぞ。人民に人肉(じんにく)、獣肉(じゅうにく)食わせて、僕(しもべ)といたしたのは悪魔であったのぞ。ゆえに悪魔作った儀式(ぎしき)、儀礼(ぎれい)、催し(もよおし)、多いのぞ。知らず知らずに悪魔奉り(たてまつり)、操られておる人民多いぞ。ゆえに悪魔好き勝手、やりたい放題(ほうだい)じゃ。例えで申しておるのではないのぞ。悪魔は善(ぜん)の仮面被りて(かぶりて)、見分けつかぬように化けて(ばけて)おいでじゃ。追々(おいおい)化けの皮剥がれ(はがれ)落ちますぞ。
人民、神示(しんじ)声出して読んで下され。悪魔にも聞かせて下され。悪魔祓い(ばらい)にもなりますぞ。悪魔、変わる時(とき)来たぞ。逃げられんぞ。次はそなたの番であるのぞ。⨀(まこと)神世(かみよ)にいたして参るのぞ。悪魔、地におられんのぞ。お役目ご苦労であったぞ。真(まこと)の神々は生け贄(いけにえ)求めんのであるぞ。真(まこと)の神々は人民喜ばせるのみぞ。喜び与え続けるのみでありますぞ。宇宙、星々、森羅万象(しんらばんしょう)、皆々神々様ぞ。大きい御魂(みたま)様であるのぞ。真(まこと)の神々奉り(たてまつり)あるが真(まこと)の靈団(れいだん)御魂であり、神靈(しんれい)御魂でありますのじゃぞ。靈人(れいじん)、臣民(しんみん)、人民、神々様に生かされておること、日夜(にちや)忘れてならんぞ。いつまでも悪魔崇め(あがめ)奉りて(たてまつりて)おっては新たな世創れん(つくれん)から、皆々教えおうて目醒まして(さまして)下されよ。神示読んで心勇んで(いさんで)参りたら、縁(えん)ある人々に教えて下されよ。人民に必要なものは世に出してあるぞ。まだまだ出して参るぞ。よく見て選んで、これぞと思うたらお使いなされよ。お役目なされて下され。まだまだ立て替え(たてかえ)立て直し(たてなおし)の数、要る(いる)ぞ。皆々繋がれよ(つながれよ)。皆々同志(どうし)であるぞ。縁(えん)深き良き御魂ら次々繋がりて、うれしたのしお役目あっぱれあっぱれであるぞ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 十一
二〇一六年一月三日
大日月地大神靈団御靈(おおひつくおおかみれいだんおんたま)
より一部抜粋
人はみな変わるのじゃ。変わらぬ者はおらんぞ。ただ、どう変わりたいかじゃな。御魂(みたま)それぞれ靈性相応(れいせいそうおう)なりたいように思うなれど、真(まこと)の教え学んだ者は自ずと(おのずと)皆々様方に喜ばれる者になりたくなるものじゃが、偽り(いつわり)の教え学んだり愛足らん(たらん)で育つと、我良し(われよし)の者になるものじゃ。人よりも有名になりたい、金持ちになりたい、偉く(えらく)なりたいと申すは、みな我良しじゃぞ。我さえ良ければ良いと申す、自己中心的な我(わ)がままなお人でありますのぞ。真(まこと)は皆のためになる者、喜ばれる者になりたいと思うが正しき道、生き方じゃのう。
大人として何教えて下さるかな。どんな生き方見せてゆきますかな。子は親見て、周りの大人見て育つものじゃ。大人変わらねば子供らもまこと喜び得難く(えがたく)なるから、責任重大ですぞ。我良し、金儲け(もうけ)、奪い合い(うばいあい)の生き方考え方は、とても恥(は)ずかしい生き方ですのじゃ。弱肉強食の世とは、靈性低き獣(けもの)の世ぞ。悪魔が人に植え付けた、靈性貶める(おとしめる)ための教え、蔓延(まんえん)した世じゃ。この地の人民を獣同様(どうよう)に奪い合い、戦(いくさ)続けさせるために巧み(たくみ)に洗脳(せんのう)いたしたこと、申しておくぞ。皆々様方ですべて分けおうて、仲良く暮らす仕組みに生きるが真人(まことびと)の世でありますぞ。分け合うこと出来ぬ我良しは、悪魔に操られて(あやつられて)おりますのじゃぞ。
世の初めから人民の物、何一つ無いのじゃ。すべて神々様の物であるぞ。ゆえにすべて神々様より頂くのであるぞ。日々ありがたく頂くのであるのぞ。皆々様、己(おのれ)が要る(いる)分だけ頂けば充分嬉しいはずじゃから、決して要らぬ分まで欲しがるでないぞ。足るを知りなされよ。充分足りておるのぞ。溢れる(あふれる)ほど持って自慢(じまん)しておる人民、恥ずかしい生き方ですのじゃ。皆々様に分け合うこと出来ぬ、靈性低き己の在りよう(ありよう)見せて自慢いたすは、とても恥ずかしいのじゃぞ。皆々悪魔に洗脳されたゆえであるが、いつまでも笑い者になっておってはあまりに可哀想(かわいそう)だから、皆々様に厳しく(きびしく)申しますぞ。
経済至上主義(けいざいしじょうしゅぎ)とは、我良し、金儲け、奪い合い、戦の元でありますぞ。悪魔の僕(しもべ)となる教えぞ。貨幣制度(かへいせいど)は悪魔に教わり造った(つくった)、人民を金融奴隷(きんゆうどれい)にいたす仕組みじゃ。悪魔崇めて(あがめて)金集め人集め、悪魔の容れ物(いれもの)になっております者らの仕組みを、人民みなみな手取りあって終わらせるのじゃぞ。終わるのじゃぞ。人民働かせ苦しめ続け、己らは遊んで暮らす世の仕組みは、悪魔の仕組みじゃ。当たり前の世では無いのじゃぞ。人民望めば変えられるのであるぞ。多数決の世であるでないか。人の意識変われば変わるのぞ。数増えれば変わるのぞ。嘘(うそ)の世は変えねばならんのでありますぞ。都合(つごう)よく平和主義と申す善(ぜん)の仮面被った(かぶった)そなたも、立派(りっぱ)な我良しじゃぞ。物見遊山(ものみゆさん)、見物人ぞ。厳しく(きびしく)申すは嫌われ役せねば人民目覚めん(めざめん)からであるから、勘弁(かんべん)して下されよ。
うれしうれしたのしたのし、ありがたいありがたい世となりますぞ。皆々どんどん変わってゆかれますぞ。あっぱれじゃなあっぱれじゃ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 十二
二〇一六年一月四日
大日月地大神大靈団(おおひつくおおかみおおれいだん)
より一部抜粋
悪自由(あくじゆう)ならんのであるぞ。何申しても何いたしても自由と申せば、なんと楽なことかと人民早合点(はやがてん)いたし喜ぶなれど、今の人民好き勝手(すきかって)いたせばどうなるか。悪自由と申すは、悪魔の教えであること気づかぬか。皆々好き勝手いたせば和(わ)は乱れ(みだれ)に乱れ、世の中ますます揉め(もめ)に揉め、生き物も皆々苦しむのであるぞ。力の世となりて偏りて(かたよりて)、地の調和(ちょうわ)崩れる(くずれる)のぞ。みな我(われ)の自由じゃと申して、人民話聞けぬようになりますのじゃ。国もまとまらぬようになりて、総崩れ(そうくずれ)いたすのじゃぞ。人民一つになりて大きい力持たせぬようにいたすため、悪魔は悪魔の僕(しもべ)遣いて(つかいて)、国、人民に悪自由を植え付け、皆をばらばらに引き離し(はなし)、操り(あやつり)やすいようにいたした策略(さくりゃく)であったのぞ。見てみなされ。和すこと出来ぬようになりて、引き籠りて(こもりて)一人の世界におる者、多いではないか。人民、日々(ひび)言葉磨き(みがき)、身魂(みたま)磨きいたさねば、悪魔の容れ物(いれもの)となりて好き勝手もの申し、好き勝手いたす我(わ)がまま幼稚(ようち)な身魂となりますのじゃ。
神の民(かみのたみ)、日の民(ひのたみ)は、ますます愚の民(ぐのたみ)となっておりますのじゃぞ。和すこと出来ぬようになれば力弱くて、一人一人捻り潰す(ひねりつぶす)も簡単であるから、悪魔は悪自由人民に植え付け、上手い(うまい)こと申し、観させ(みさせ)聞かせ食わせ遣らせ(やらせ)、逃れ(のがれ)られぬように洗脳(せんのう)いたし、悪自由の奴隷(どれい)にいたしてきましたのじゃ。悪魔の甘い罠(わな)が、悪自由悪平等でありましたのじゃぞ。世の臣民(しんみん)殿、陰謀論(いんぼうろん)じゃと笑っておいでじゃが、見てみなされ。九分九厘(くぶくりん)が悪魔の仕組みに変えられて、人民金(かね)の亡者(もうじゃ)となりて身動き取れんようになって、子が親殺し(ころし)親が子を殺し、男が女に女が男になりて、すねの毛、尻の毛まで抜かれ(ぬかれ)骨なしの輩(やから)になりて、毒盛られ(もられ)ても何も分からぬと申し笑っておるでないか。真(まこと)の教え分からぬままに、悪魔の僕(しもべ)となっておりますのじゃぞ。
人民、良いか。言葉は選ばねばならんのじゃぞ。言の葉(ことのは)、もの生みますぞ。己(おのれ)作りますぞ。世(よ)生み出して参りますのぞ。言の葉は力ぞ。靈(れい)と繋がり(つながり)ますのじゃ。どのような靈と繋がるかは、言葉で決まりますのじゃ。良き言葉は良き者らと繋がるもの、悪しき(あしき)言葉は悪しき者らと繋がるもの。自ら(みずから)悪魔呼び寄せ(よびよせ)、悪魔の容れ物となって下さるなよ。外国(がいこく)言葉使えば、外国御魂(みたま)の容れ物となりますぞ。流れ来るもの違いますのぞ。念(ねん)、教え、靈力(れいりょく)、皆々異なる(ことなる)ぞ。
この地(ち)はこの地の言葉、教え、昔からあるのじゃぞ。大昔から神の言葉あるのじゃぞ。無きものにされておるが、神、言葉伝えてきた所であるのじゃ。言葉の生まれ育ち、歴史分かれば簡単なことじゃが、人民、真(まこと)の歴史分からぬようにされておるゆえ無理もないなれど、世の民(たみ)は悪魔の言葉使いて悪魔褒め称え(ほめたたえ)、呼び寄せる言葉口にいたしておること知らんのであるぞ。言葉は思考(しこう)選ぶことじゃ。思考は靈と関わるところじゃ。どのような者と関わるか、言葉で決まる。己、選ばねばならん。悪魔の言葉口にいたせば、悪魔悪靈(あくりょう)に魅入られ(みいられ)好き勝手にされますぞ。知らず知らずに操られ(あやつられ)、望まぬことまで思わされ、可笑しな(おかしな)こと申し可笑しなこといたす者となりますのじゃ。
見てみなされ。世は可笑しな(おかしな)者たちで溢れて(あふれて)おるではないか。今の世は、悪魔に支配された後(あと)の世でありますぞ。まだ洗脳されておる状態であるから、悪魔の言葉使いて、悪魔の好き勝手にされている人民、悪魔の容れ物となりておりますのぞ。人民、そのままで良いかな。何申しても何いたしても自由では、皆々苦しくなるばかりであること分からねば、まこと喜び溢れん(あふれん)ばかりの新たな世の立て替え(たてかえ)立て直し(たてなおし)は出来ぬのぞ。真(まこと)分かる臣民(しんみん)人民を増やして下されよ。分かりた者から真(まこと)教えて下されよ。悪魔の教え、偽り(いつわり)、嘘(うそ)の世は終わりにいたすのじゃぞ。
まずは己(おのれ)見極める(みきわめる)こと肝心(かんじん)じゃ。甘い言葉に騙される(だまされる)でないぞ。先にゆくほどに苦しくなるのが悪魔の教え。神世(かみよ)の教えは、良薬(りょうやく)口に苦し(にがし)じゃぞ。じゃが、後(あと)になればなるほどに溢れんばかりの喜びとなるのぞ。厳しき(きびしき)こと申すは人民のことまこと思うてのこと。人民、近目近欲(ちかめちかよく)で見るから分からぬゆえ、耳痛いこと申すと言うなれど、まこと親心(おやごころ)分かりて下されよ。己見極められん、自制(じせい)出来ぬものは、九分九厘(くぶくりん)悪魔に支配されておること知りなされよ。くどう申すが悪自由悪平等ではならんのであるぞ。悪魔の世、人民、皆で手合わせて、終わりにいたすのじゃ。皆々喜ぶ神世となるぞ。真道(まことみち)あるのじゃぞ。うれしうれしたのしたのしかわるかわる。道開く。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 十三
二〇一六年一月七日
大日月地大神御靈(おおひつくおおかみおんたま)
より全文抜粋
人民、洗脳(せんのう)されておると不安や恐れ、苛立ち(いらだち)多いぞ。悪魔の仕組みた策(さく)に嵌め(はめ)られておるからぞ。悪魔、操り(あやつり)やすくいたすために、人民の意識(いしき)落とさせておるのぞ。恐れ植え付け、喜びに繋がり(つながり)にくくさせられておるのじゃ。善(ぜん)なる心と切り離す(はなす)ために、恐れ、不安、苛立ち煽りて(あおりて)、新たな世産み(うみ)出す力削いで(そいで)来たのであるぞ。悪魔に洗脳され生きておる人民ほとんどであるから、目覚め(めざめ)させねばならんのであるから、くどう申すぞ。洗脳解く(とく)ためには、くどう申さねばならんのじゃぞ。
神人(かみひと)遣いて(つかいて)申すから、良く聞きなされよ。ここより他(ほか)に真(まこと)の霊媒(れいばい)出来んのぞ。わしらの声、繋げ(つなげ)られんのじゃ。他(た)の者みな、悪魔の罠(わな)に嵌まりて(はまりて)見失うて(みうしのうて)おるわい。まだまだ足場とならん。ぐらぐらいたしておっては真人(まことびと)、役目(やくめ)出来ぬわい。腹からの改心、・(まこと)を真ん中に収めぬ(おさめぬ)と、わしらの声届かぬ(とどかぬ)ぞ。悪魔の一団(いちだん)の者らの声しか聞こえん、見えん、分からんのであるぞ。それ答えぞ。ゆえに分からん者は分からんのであるのぞ。何百年も前から御魂磨き(みたまみがき)いたせとくどう申してきたこと、このためであるぞ。何度も生まれ変わりて御魂磨きさせて、今の世に準備させてきた段取り(だんどり)であったが、真人(まことびと)は少ない少ない。悪魔のワヤに簡単に掛かる(かかる)人民靈人(れいじん)殿、そなたらは御魂磨き足らんのであるぞ。あっちにふらりこっちにふらり、根無し草(ねなしぐさ)ぞ。相手信じられんのではなく、己(おのれ)の行き様(いきざま)そのままに感じるものぞ。己、嘘つき(うそつき)でないか。都合良く口裏(くちうら)合わす損得勘定(そんとくかんじょう)、八方美人(はっぽうびじん)でないか。頭でっかちで芯(しん)が通っておらぬのぞ。真(まこと)の生き方出来ておらんのじゃ。
神々に仕える(つかえる)筋(すじ)通す御魂、日人(ひびと)真人(まことびと)。世の元から入りて(はいりて)人民導く(みちびく)御魂ら、初めからおるのぞ。人に紛れて(まぎれて)皆々真(まこと)の姿分からんように隠して(かくして)きた御魂らであるから、人民には分かる者少ないなれど、分かる者は分かるのぞ。理屈(りくつ)ではなく御魂の真ん中の目で見極め(みきわめ)られるのぞ。人民、見た目に弱いな。金(かね)に弱いな。肩書(かたがき)に弱いな。苦しみに弱いぞ。悪魔、人民よく知りて、ずる賢く(がしこく)分からぬように弱い所えぐり続け、僕(しもべ)といたすやり方であったから、苦しみ逃れ(のがれ)たさに真人(まことびと)裏切って悪自由(あくじゆう)申して、己は正しいと申し開き直るなれど、誠(まこと)に恥(は)ずかしきことであるから改心なされよ。真(まこと)の道外れる(はずれる)生き方は、恥ずかしき生き方であるのぞ。悪魔に魅入られ(みいられ)悪魔の僕となるは、恥ずかしき生き方ぞ。皆々様がそうであるからそれで良いではないのぞ。悪魔に魅入られておる人民靈人(れいじん)ばかり、嫌われ(きらわれ)たくないゆえ悪魔に加担(かたん)させられておるだけであるぞ。目醒めて(さめて)よく分かるようになれば、これまでの己見て、なんてことかと恥ずかしくなりますぞ。
真人(まことびと)喜びに生きておりますぞ。苦しまされても喜びに生きられるが真人ぞ。世の立て替え(たてかえ)立て直し(たてなおし)勇んで(いさんで)生きておりますぞ。どのような状況であれ喜びから離れぬ(はなれぬ)生き方ぞ。感謝に感謝忘れぬ(わすれぬ)生き方ぞ。悪魔に魅入られた者は、日々(ひび)不安と恐れに苦しみもがいて生きておりますのじゃ。そなたは悪魔に操られて(あやつられて)おらぬと思い込んでおるが、操られておるから真(まこと)見極め(みきわめ)られぬのぞ。答え出ておりますのじゃ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 十四
二〇一六年一月九日
大日月地大神靈団(おおひつくおおかみれいだん)
より一部抜粋
愚民(ぐみん)が選ぶ者は愚民ぞ。金に支配されるもの選ぶは、金に支配されている者であるぞ。選ばれた者、悪く申すなよ。選んだ者、皆々(みなみな)責任あるのぞ。皆々情報占拠(せんきょ)されておるぞ。見える聞こえるもの真(まこと)であるかな。真、見聞き出来ておるかな。人民、見極める(みきわめる)力あるかな。真(まこと)と嘘(うそ)と混ぜこぜいたして見聞きさせれば、人民訳(わけ)分からなくなりて、数に従うようになるのぞ。悪魔のやり方ぞ。人民選んだ者で政(まつり)いたせば治まる(おさまる)と申すが、選ばれた者を意(い)のままに操る(あやつる)者らがあること理解せねば、いつまで経っても堂々巡り(どうどうめぐり)じゃな。政とは神、靈(れい)、共になければ真(まこと)の政は出来ぬのぞ。元の元の元の世は、神、靈、共に政いたし、人民真(まこと)の教えに生きておりたのであるから、皆々うれしうれしたのしたのしであったのぞ。悪魔、地に入りて(はいりて)好き勝手いたすようになって、数万年の間に乗っ取られてしまったのであるぞ。
今の人民分からんのも無理ないなれど、世を治めるとは力ある者支配(しはい)することであるが、力を人民のために使える者か、己(おのれ)らのために使う者かで、世は善(ぜん)にも悪(あく)にも変わるのじゃ。今までの人民の世は、己らさえ良ければ良いと力見せつけ奪い(うばい)取る仕組みいたす、悪魔の政の世であるのぞ。人民の思考は、簡単に操ること出来るのであるぞ。何事も靈の世界からと申しておるであろうに。靈の世界は神の世界から流れて来るのぞ。無い事にも順あるのであるぞ。悪魔はずる賢く(がしこく)そのことよく分かっておるから、皆に分からんように蔭(かげ)に隠れて、人民靈団靈人(れいだんれいじん)皆々操りて、仕組みから逃れ(のがれ)られぬよう契約(けいやく)させ、奴隷、僕(しもべ)にいたして来たのじゃ。人民自ら(みずから)望んでそうして来ておるのじゃと、悪魔は言い逃れいたしてきたなれど、何万年も神人(かみびと)遣いて(つかいて)すべて調査いたして来たゆえ、御魂(みたま)にすべて刻んで(きざんで)あるぞ。靈、人申したこと御魂に刻んであるから、証拠(しょうこ)であるから、言い逃れ出来ないのであるぞ。嘘つくでないぞ。見透し(みとおし)であるぞ。分からぬ振り(ふり)いたしておるだけじゃ。
人民靈人、嘘はばれぬと思っておるが、神、靈の世界ではすべて映されて(うつされて)参るのぞ。己で映す仕組みであるのぞ。鏡(かがみ)磨け(みがけ)、御魂(みたま)磨け、言葉磨けとはそのことぞ。嘘偽り(いつわり)で曇りて(くもりて)おるぞ。損得勘定(そんとくかんじょう)ばかりで洗脳(せんのう)された人民、善(ぜん)の仮面被りて(かぶりて)腹黒く、御魂の鏡曇りておるのぞ。どうじゃ、そなた嘘つきではないかな。腹、白いかな。他(た)のために己(おのれ)喜び勇んで(いさんで)生きられておるかな。皆々映し出されるのぞ。人民靈人でも分かる人は見て分かるのぞ。分からぬ振りをして下さっておるだけじゃ。嘘に付き合って騙されて(だまされて)あげておるのぞ。恥(は)ずかしいことじゃな。
今の人民、九分九厘(くぶくりん)、御魂曇りておるぞ。悪魔に騙されて、まんまと損得勘定、我良し(われよし)の愚民に成り(なり)下がっておいでじゃ。この神、靈団は、人民のご機嫌取り(ごきげんとり)はいたさぬのじゃぞ。皆々学ばさせ苦しめ改心させる、怖くもありがたい神、靈団であるのぞ。ゆえに人民厳し(きびし)過ぎると嫌うのも無理ないなれど、悪自由(あくじゆう)に慣らされて(ならされて)しまっておるからであるのぞ。悪自由は一部の者達にとっては都合(つごう)のよい教えであるなれど、持続(じぞく)出来ぬ、地を蝕む(むしばむ)猛毒(もうどく)であるぞ。してはならんことは、してはならんのじゃ。分からぬ者は苦しみ通して学び、改心いたさねばならんのじゃ。ゆえに苦しめるのぞ。損得勘定、八方美人(はっぽうびじん)の腹黒い人民、靈人殿、何もかも自由じゃ、すべては許される(ゆるされる)と申して、人民のご機嫌取りばかりいたしておるが、世の中を悪くいたしておるのはそなたらの悪自由弁論(べんろん)であるのじゃぞ。まだ分からぬか。悪魔の教えに洗脳された、悪自由唱える(となえる)立派(りっぱ)な僕(しもべ)として遣われて(つかわれて)おるのじゃぞ。それを善の仮面被った悪と申すのじゃ。己は善じゃ、皆のためじゃ、皆に認められておるのじゃと申すが、悪魔の僕となっておる人民じゃぞ。皆々目醒(さ)まさせるお役ゆえ、厳しくくどう申し嫌われ役いたすぞ。
砂糖ばかり食べさせ太らせて、人民を万病(まんびょう)にいたすは悪魔の教え。人民自ら(みずから)願っておるから与えておるのじゃ、人民に神として崇め(あがめ)られておるのじゃ、何が悪いかと悪魔は大きい顔して笑っておるが、甘い言葉に人民あまりに弱いから、弱み握られ(にぎられ)抉られる(えぐられる)のであるぞ。真(まこと)の神の教え、砂糖は少ししか与えんぞ。苦くて(にがくて)渋くて(しぶくて)辛い(からい)物、次々食べさせるぞ。分かりたか。真(まこと)の教え血肉(ちにく)にいたし、世に広めて下されよ。真(まこと)の喜び悟り(さとり)たなれば、皆々手分けいたして人民の洗脳解いて(といて)いって下され。悪魔は降参(こうさん)いたし、次々詫びて(わびて)いなくなっておるから、後(あと)は人民に染み(しみ)付いた癖(くせ)外す(はずす)だけであるぞ。難儀(なんぎ)であるから時間掛かる(かかる)なれど、真(まこと)の教育いたせば、真人(まことびと)となる人民ばかりぞ。それぞれに分かりやすく説いて(といて)聞かせて下されよ。
新たな世にいたして参るとは、人民皆々手分けいたして、皆々に手柄(てがら)立てさして、政(まつり)からすっくり変えて参るのじゃぞ。これまでの宗教も無くいたすぞ。争いの元じゃ。金も無くしてゆくのぞ。ただの紙切れ、金属ぞ。皆々世界中で分け合う仕組みいたすのじゃ。有る所は無い所へと分けるのじゃ。皆々食べられるように生きられるように、何もかも分け合う仕組みいたすのじゃぞ。獣(けもの)、虫けら、草木に至る(いたる)まで、必要であるから生きておるのじゃから、生かさねばならんのじゃぞ。人民、今までのように壊し(こわし)汚し(よごし)殺すでないぞ。悪自由ならんぞ。新たな世の法であるぞ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 十九
二〇一六年一月十五日
大日月地大神大靈団御靈(おおひつくおおかみおおれいだんおんたま)
より一部抜粋
真(まこと)の神と魔の科学との戦(いくさ)であるのぞ。地揺らし(ゆらし)、雨降らし(ふらし)、風吹かし(ふかし)、魔、神に成りすましての悪業(あくぎょう)の数々いたしておること、天の靈団(れいだん)皆々分かりておるのぞ。そなたらがいかに分からぬかということの答えであるのぞ。人民、目醒(さ)まさせねばならんから、魔の仕組み見せてもおるなれど、まだまだ真(まこと)分かる人民少ないゆえ、地の大神もご苦労なれど、いよいよはっきりいたしますのぞ。地の大神様と、土の星の悪魔ら植え付けた魔の科学との戦の最中でありますぞ。地の大神は、民(たみ)の命奪う(うばう)ことせぬゆえ、人民、早合点(はやがてん)取り違えいたして下さるなよ。人民には分からぬなれど、万分の一、千分の一、百分の一と大難(だいなん)を小難(しょうなん)に変えて下さりておるのぞ。誠(まこと)ありがたき思い奉(たてまつ)らねばならんのでありますぞ。
これまで人民の中に隠れて(かくれて)おりた悪魔らが追い詰め(つめ)られて、いよいよ捨て身(すてみ)でかかりておるから、人民、褌(ふんどし)締め(しめ)直して、皆々手合わせて乗り越え(こえ)ねばならんのぞ。隠れておりた悪魔ら騙して(だまして)あぶり出してきたゆえ、いよいよ表に出て大暴れであるから、みな本気でかかりてきておるのでありますぞ。仮面被りて(かぶりて)善(ぜん)になりすまし、悪業いたす悪魔に洗脳(せんのう)された僕(しもべ)らよ。もう恐れ手放して目醒ます(さます)がよいぞ。そなたらの主(あるじ)らはとうにいなくなりておりますのぞ。皆々頭下げて、誠(まこと)改心の道歩むがよいぞ。土の星の魔の靈人(れいじん)らよ。出入り(ではいり)いたしての悪業の数々、すべて見させて頂いておりますぞ。神人(かみひと)遣い(つかい)操ろう(あやつろう)とて、そなたらには使えぬ御魂(みたま)ゆえ諦め(あきらめ)なされよ。いよいよ皆々、因果(いんが)の元、銀河の闇(やみ)に葬(ほうむ)られる時(とき)来ましたのぞ。そなたらの望み通り叶えて(かなえて)やりますから覚悟なされよ。
悪魔の世はとうに終わりておるから、大日月地大神(おおひつくおおかみ)の光に浄め(きよめ)られての最後の掃除洗濯に入っておりますのぞ。人民目醒まし(さまし)、皆々理解いたして、手繋ぎ(つなぎ)おうて、新たな世に向かいてくだされよ。目の前に顕れて(あらわれて)おる苦は、小難(しょうなん)に変わりた神世(かみよ)の始まりぞ。苦にお陰(おかげ)落とさぬようにいたして下されよ。皆々変わる過程(かてい)にある点の苦の姿でありますぞ。苦しみ悲しみ、感謝感謝に替えて(かえて)くだされよ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 二十八
二〇一六年四月十七日
大日月地大神大靈団御靈(おおひつくおおかみおおれいだんおんたま)
より全文抜粋
悪(あく)、人陥れる(おとしいれる)やり方、不和(ふわ)好むぞ。親しき振り(ふり)して忍び寄りて(しのびよりて)、そなた取り込むぞ。感情支配いたすから気つけよ。弱みつけ込んで、そなた陥れるぞ。物に弱ければ物で、人に弱ければ人で、色に弱ければ色で、そなたを取り込みて魔から逃れ(のがれ)られぬようにいたすやり方じゃから、気つけねばならんぞ。取り込まれるは取り込まれるだけの元あるからぞ。御魂磨き(みたまみがき)せねば魔にやられ放題、案山子(かかし)であるのぞ。国の民(くにのたみ)、見てみよれ。九割(きゅうわり)案山子ぞ。毒食わされ(くわされ)毒吸わされ(すわされ)毒に囲まれて(かこまれて)おっても、金(かね)出して喜んでおいでじゃ。悪魔らは、神の民(かみのたみ)陥れて僕(しもべ)といたし神に勝ったつもりでおったが、悪魔らは負けたのであるぞ。降参(こうさん)いたし別の星に流されましたのじゃ。悪態(あくたい)いたすは悪魔の僕となりてまだ目覚めぬ(めざめぬ)人民と靈人(れいじん)だけぞ。今に目覚めて皆々様方に詫びる(わびる)時(とき)来ますぞ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 三十
二〇一六年五月二十一日
大日月地大神大靈団御靈(おおひつくおおかみおおれいだんおんたま)
より一部抜粋
悪魔の僕(しもべ)となりておる者たちよ、よく聞きなされ。そなたらは力に支配され意(い)のままに操られ(あやつられ)、まるで己(おのれ)で考えいたしておるかのように思い込まされておるのでありますぞ。負の念(ふのねん)掻き立て(かきたて)られ、不和(ふわ)誇張(こちょう)させられておるに、まだ気づかんか。見掛け(みかけ)は善(ぜん)でも操り人形となりて、感情も欲求も悪魔の僕に成り(なり)下がっておりますのじゃぞ。己、よくよく見てみなされよ。真(まこと)、己であるかな。成りすまし、人民に憑いて(ついて)、ワヤにいたしておるに分からんかのう。欲(よく)掻き立てられて人が獣(けもの)となっておりますのじゃ。己で己、舵取り(かじとり)出来ておるかな。憑き物(つきもの)、やりたい放題いたしておりますぞ。食に狂うて(くるうて)貪り(むさぼり)食うておりますのぞ。色に狂うて肉欲(にくよく)のまま不貞(ふてい)繰り(くり)返しておりますぞ。金に狂うて人々騙し(だまし)笑うておりますのぞ。己が己がと我が物顔(わがものがお)でいがみおうて楽しんでおりますぞ。生きるが苦しいと申し死ばかり考えておりますのじゃ。皆々悪魔の僕となりて心身共に操られ、やりたい放題の世となっておるにまだ分からんか。早う(はよう)人民、目醒まし(さまし)なされ。
目覚めた(めざめた)人民よ、隠れて(かくれて)おらず表(おもて)出て皆々導き(みちびき)なされよ。真(まこと)の言葉、聞きなされ。皆々救いたいゆえ、くどう申してきておるのじゃぞ。ここより他に真(まこと)の神示(ふで)出んのじゃから申すぞ。成りすましの魔に操られた霊媒(れいばい)だらけぞ。見極め(みきわめ)足らんとワヤにされますぞ。この神示(ふで)、よくよくお読み下されよ。真(まこと)見極める力、それぞれに養うて(やしのうて)下されよ。何度でも声出して、皆に聞かせるように、腹(はら)に落とし込むようお読み下されよ。悪魔らの洗脳(せんのう)解く(とく)、毒抜き(ぬき)いたす書でありますぞ。悪魔ら改心さす、僕(しもべ)となりた者ら目醒(さ)まさす言靈(ことたま)、綴らせて(つづらせて)ありますのじゃ。素直(すなお)に聞ける人民まだまだ少ないなれど、縁(えん)ある者繋ぎて(つなぎて)神一厘(かみいちりん)の仕組み成就(じょうじゅ)さすから、仕組み隆々(りゅうりゅう)先々楽しみに、流れに御魂(みたま)委ね(ゆだね)下されよ。言靈光りて闇(やみ)照らしますのぞ。もうすでに始まっておりますのじゃぞ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 三十九
二〇一六年八月二十五日
大日月地大神御靈(おおひつくおおかみおんたま)
より一部抜粋
善(ぜん)の仮面を被り(かぶり)悪さをする集団らの洗脳(せんのう)が次々に解かれ(とかれ)ゆき、真(まこと)の人の姿に戻ってゆくぞ。人々は真(まこと)の世を生み出してゆくのぞ。悪魔は立ち去りてもう関われぬ世となりておるのぞ。悪魔らの洗脳にかかりし者らは、生命(いのち)殺める(あやめる)こと正義といたし、選民(せんみん)意識に囚(とら)われておるぞ。元からある仕組みに、選民意識は無いのであるぞ。毒を撒きて(まきて)、人々に死すことの妄想(もうそう)を洗脳いたしている者たちよ、目を醒ます(さます)時が訪れて(おとずれて)おるぞ。悪魔らは敗北(はいぼく)し他(た)の銀河に囚われのものと化したのぞ。皆々、過去の洗脳を手放せよ。地の大神は、星々の大神、ウの大神様によりて再生すること、元の元の元からの大仕組みにて、人に影響されること無いのであるぞ。星の人々によりて地は掃除洗濯(そうじせんたく)いたし真(まこと)の良き世に変わるのであるから、準備いたして参るのぞ。億人(おくにん)殺める計画は、悪魔らの僕(しもべ)となりた者らが未だ(いまだ)操られて(あやつられて)いたしているに過ぎぬ(すぎぬ)ぞ。皆々よくよく見極めて(みきわめて)下されよ。悪魔の親玉(おやだま)らは皆々敗北して、この地に関われぬようになりたのであるから、いつまでも生け贄の儀(いけにえのぎ)はせんでよいのであるぞ。
金に縛られ(しばられ)、人に縛られ、悪魔の脅し(おどし)に縛られてきた世は、もうとうに終わりておるのじゃから、皆々目醒まして(さまして)下されよ。騙されて(だまされて)いる人民よ、いつまでも真(まこと)から目背けて(そむけて)お人好しのままでは、子も孫も皆々病(やまい)に犯されて(おかされて)しまいますのじゃぞ。我良し(われよし)の悪自由(あくじゆう)に飼い慣らされて(かいならされて)、子や孫の喜び育む(はぐくむ)真(まこと)の喜び分からんようになりておりますぞ。我(われ)強き者、真の声(まことのこえ)耳にしても受け入れられん、豚に真珠じゃ。縁(えん)ある者に伝えなされよ。衣食住医政教(いしょくじゅういせいきょう)、皆々魔 の仕組み祓わねば(はらわねば)ならんのであるぞ。選民(せんみん)思想、悪魔思想と同じぞ。特別視されても真(まこと)の喜びにはならんのぞ。皆々個々初めから違いて特別であるのじゃから、後(あと)にも先にも特別にはなれんのぞ。上下(かみしも)作りて差別視するは、悪魔に使われし意識低き僕(しもべ)どもであるから、早う(はよう)目醒まされよ。金(かね)奪いて(うばいて)喜ぶ人民、我(われ)さえ良ければ良いと喜ぶ人民、獣(けもの)の類い(たぐい)であるから、御魂相応(みたまそうおう)の星にお移しとなりますのぞ。この世、人の意識でいかようにでも変わりますのぞ。暖かくも寒くも、雨も降り日も差すのでありますぞ。もう人民の科学で操るでないのぞ。
草木、獣ら、皆々喜ぶ仕組み、人民の頭では出来ぬのであるから、鼻高(はなたか)ポキンと折れて仮面剥がれ(はがれ)落ち、皆に笑われる因果(いんが)でありますぞ。笑われなされよ。皆々様方に笑って許して(ゆるして)もらいなされよ。神世(かみよ)とは、人民靈人(れいじん)好き勝手ならん世ぞ。悪魔らが仕組んだ監視(かんし)の世ではないぞ。操られる世ではないのであるぞ。悪魔らの仕組み、皆々失敗いたしておるのぞ。真(まこと)の神、靈団(れいだん)には勝てぬのぞ。日の本(ひのもと)、雨風起こし(おこし)地揺らし(ゆらし)、水に土に空に食べ物に毒撒いて(まいて)、人民病(やまい)にさせ殺める(あやめる)計画、九分九厘(くぶくりん)いたして来たなれど、失敗いたしたのであるぞ。やれどもやれども失敗いたしたのじゃ。他(た)の星々の力、目に見えるようにもいたして、人民に見せておるのぞ。目醒まし(さまし)耳振り立て(ふりたて)分かろうとしてみなされよ。飼い慣らされ愚の民(ぐのたみ)と化しておるから、互いに声掛け(かけ)なされよ。日の本の真(まこと)の力は、これから顕れて(あらわれて)参りますのじゃぞ。潰された(つぶされた)ように見えてどうにもならんと見せて、人民鍛えに(きたえに)鍛えて来ましたのじゃ。良いか。善(ぜん)に生きるか悪(あく)に生きるか、おのおの腹(はら)に決めよ。善とは、草木、獣、人、皆々救う愛に生きる道ぞ。悪とは我(われ)さえ良ければ良いという選民意識に生きる道ぞ。悪の総大将(そうだいしょう)は、時の神(ときのかみ)に頭下げて他(た)の銀河にお移りになられたのじゃ。悪魔らは悪さいたしたゆえ、次々他の星へ囚われ(とらわれ)の身となったのじゃぞ。
後(あと)は悪魔の僕(しもべ)と化した靈人(れいじん)と人民のみじゃ。毒撒いて(まいて)億人(おくにん)殺め(あやめ)、そなたらは天国暮らしは出来ぬのぞ。地の大神様は、元より望んでおらぬから心せよ。神のためと申し、己(おのれ)のため我良し(われよし)ならんのぞ。御魂(みたま)それぞれにきちりきちりと帳面(ちょうめん)付けておるから、逃げも隠れも出来ん道理(どうり)じゃな。道外して(はずして)も腹から改心いたせば良きよう新たな役に廻して(まわして)やるから、悪の僕ども出直せよ(でなおせよ)。頭でっかちの成りすましは、恥(は)ずかしいのであるぞ。いつまでも我(われ)が我(われ)がと駄々(だだ)こねる子供では尻叩かれ(たたかれ)ますのじゃ。可愛い(かわいい)ゆえに苦しみ学ばせておりますのぞ。分かりて下され。学び変わるが御魂の仕組み、永遠の仕組みじゃ。苦しまねば因果(いんが)分からんゆえ、皆々経験させておりますのじゃ。じゃが、いつまでも苦しんで下さるなよ。皆々元は喜びの御魂であるのじゃから、喜びに学ばせて頂きなされ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 四十
二〇一六年十二月二十六日
大日月地御靈(おおひつくおんたま)
より一部抜粋
魔物(まもの)に取り憑かれる(つかれる)と、異常な性欲、食欲、眠気、怒り、喪失感(そうしつかん)や疎外感(そがいかん)がそれぞれ湧き(わき)出てきて、己(おのれ)では抑え(おさえ)きれなくなりますぞ。人民、魔物の容れ物(いれもの)と化してしまうと、獣(けもの)のようになりますのじゃぞ。魔物に身体(からだ)乗っ取られ、思考感情も己と思い込まされ、可笑しな(おかしな)こと申したりいたしたりするぞ。みな己の心の弱さからであり、真(まこと)を知らぬゆえ、魔に魅入られる(みいられる)のぞ。他(た)と不和(ふわ)にさせられ、他を犯す(おかす)ようになるぞ。魔物は人民の苦しみを喰うて(くうて)喜ぶものぞ。魔は優しき言葉で改心するような御魂(みたま)ではないゆえ、取り違いいたすでないぞ。異常な性欲顕れ(あらわれ)たら、食、正しなされよ。獣肉(けものにく)喰らうと獣のような欲(よく)出てきて、獣人(けものびと)となりてゆくのぞ。例えで申しておらんぞ。他(た)から奪う(うばう)こと当たり前の考えとなり、物事を上か下か強い弱いで見るように成り(なり)ゆくのじゃ。魔物の僕(しもべ)とはそのことぞ。ますます支配欲が高まり、己の思いのままに他を従え(したがえ)させたくなりますのじゃ。思いのままにならねば、他を悪者に仕立て上げ、皆を取り込み虐めて(いじめて)喜ぶ魔の僕と化すのじゃぞ。嘘偽り(うそいつわり)いたすが当たり前となりて、善(ぜん)に成りすますことにも長けて(たけて)ゆきますのじゃ。人民、悪魔知らぬから、やりたい放題やられておっても気づかんから、操り(あやつり)人形ぞ。
真(まこと)の教え、神示(ここ)に出しておるからよくよく読みて、魔、祓い浄めて(はらいきよめて)下され。叫び(さけび)たくなったり、暴れ(あばれ)たくなったり、壊し(こわし)たくなったりするのは、そなたが魔に操られておるからぞ。真(まこと)の人は、心穏やかに(おだやかに)他(た)の幸せ願いて、うれしたのし笑うて(わろうて)皆と共に生きておりますのぞ。他の幸せ願い働きなされよ。金持ちになりて遊んでおる者は、魔の家畜となりた者でありますぞ。己さえ良ければ良いと着飾り(きかざり)て、食べ物喰い散らかし(くいちらかし)、あれやこれや物欲(ぶつよく)に浸る(ひたる)のは、外道(げどう)の生き方でありますのぞ。悪魔に洗脳(せんのう)され落ちぶれた姿でありますのじゃぞ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 五十五
二〇一七年七月二十日
大日月地大神御靈(おおひつくおおかみおんたま)
より一部抜粋
許し合う(ゆるしあう)こと大切でありますぞ。真(まこと)の喜びは、互いに認め(みとめ)理解(りかい)深めたところにありますのじゃ。道は違えど与えられた縁(えん)は必要ゆえのこと。そなた真(まこと)知るため与えられていたのであるぞ。異なる(ことなる)もの知り、和(わ)すこと大きな変化であり、新たな喜び得られる仕組みでありますぞ。他(た)は異なるものぞ。他は無限ぞ。ゆえに無限の喜び与えられておりますのじゃ。違いは魅力(みりょく)ぞ。己(おのれ)に無いもの見させて頂いておりますのじゃ。草木、虫、獣(けもの)、皆々同様ぞ。人に出来ぬ役目担い(にない)、世のため生きておりますのぞ。
魔の教えは、弱肉強食を正当化したものでもあるが、支配の世は皆が喜ぶこと出来ぬ、偏った(かたよった)教えでありますぞ。長き間、偽り(いつわり)の教え洗脳(せんのう)いたしてきたゆえ、人民は政(まつり)のやり方さえも魔のやり方となりてきたなれど、現次元(げんじげん)世界と異次元(いじげん)世界と和し生かし合う政せねば、真(まこと)良き世にはならんのでありますのじゃ。悪魔の大将(たいしょう)らは、もう地にはおらんから、悪魔の教えは手放しなされよ。下々(しもじも)の悪の僕(しもべ)らは、そのこと知らず悪事(あくじ)し続けておるなれど、大将おらぬ戦(いくさ)は何にもならんのでありますぞ。魔の僕となりて使われている人民も、早う(はよう)目覚めて(めざめて)下され。奪い合う(うばいあう)勝ち負けの世は終わるのぞ。生かし合う喜びの世となるのでありますぞ。遊びも、争うもの無くなるぞ。勝ったものだけが喜ぶのは、真(まこと)の神世(かみよ)には要らん(いらん)のぞ。お分かり下されよ。我(われ)さえ良ければ良いとする不和(ふわ)なる教えは、魔の教えであったのぞ。他(た)を愛しみ(いつくしみ)他(た)喜ばす教えが、真(まこと)の教えでありますのぞ。靈団靈人(れいだんれいじん)、人民みなみな改心いたして、次の新たな世に進みますぞ。世の立て替え(たてかえ)立て直し(たてなおし)進めて参りますのぞ。まずは己(おのれ)の中の戦(いくさ)終わらせて下され。他(た)を認め愛しみ、他と和す生き方望む己育み(はぐくみ)なされ。急がば回れで、何ごともまずは己からでありますぞ。
まことうれしうれしたのしたのしかわるかわるありがたいありがたい、と何度でも声に出して己に言い聞かせて下されよ。大日月地大神御靈(おおひつくおおかみおんたま)祓え給え(はらえたまえ)浄め給え(きよめたまえ)守り給え(まもりたまえ)導き給え(みちびきたまえ)、と申して下されよ。指導靈殿(しどうれいどの)が良きにお導き(おみちびき)いたして参りますぞ。ここぞと信じてみなされ。決して悪いようにはせんぞ。嘘は申さんぞ。
過去に対し改心いたす素直(すなお)な心持ちて、豊かな未来望まれ思い描き(えがき)なされよ。うれしたのし良き未来、次々と顕れ(あらわれ)ますぞ。己(おのれ)が己と約束せねばならんのぞ。約束は守るものでありますのぞ。天晴れ(あっぱれ)良き世に向かう真(まこと)の扉(とびら)開いて下されよ。かしこみかしこみ申す。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 五十六
二〇一七年七月二十二日
大日月地大神御靈(おおひつくおおかみおんたま)
より全文抜粋
皆々因縁相応(いんねんそうおう)に顕れて(あらわれて)おるのじゃぞ。誰彼(だれかれ)が悪いと申しておるが、相手は己(おのれ)の鏡となりてもおるのじゃ。
色に狂わされ(くるわされ)堕ちて(おちて)ゆかれる方、多いぞ。何でもかんでも意(い)のまま欲望の赴く(おもむく)ままで良いと申すは、魔の教えぞ。悪魔の甘い囁き(ささやき)じゃぞ。魔の者の声に操られる(あやつられる)でないぞ。己(おのれ)に都合(つごう)良くこじつけ、好き勝手いたし、不和(ふわ)広げ仲違い(なかたがい)させること喜ぶ者ぞ。誰もが弱きところ突っつかれ続ければ、苦しみますぞ。魔は、苦しみを見つけ出入口にして、人の心覗き(のぞき)込んではあら探し(あらさがし)いたし、面白(おもしろ)がってあれやこれやといじりますのじゃ。一を五にも十にも誇張(こちょう)し変えて、人民を苦しませますぞ。負の念(ふのねん)送り続け、繰り返し(くりかえし)繰り返し、過去の記憶(きおく)をあぶり出し見聞き(みきき)させ、人民苦しませ喜ぶのじゃ。魔は、嫌(いや)らしくも腹立たしくも恥(は)ずかしくも顕れ(あらわれ)、人を弄ぶ(もてあそぶ)ものぞ。ゆえに魅入られる(みいられる)でないぞ。魔の甘い囁き(ささやき)に惚れる(ほれる)でないぞ。善(ぜん)の仮面被りた(かぶりた)悪となりて、己に都合良きこと申しては、他(た)を苦しませる自己中心的な人となりますぞ。魔の僕(しもべ)と化すのでありますのぞ。
人民、魔の者あまり知らんから、こうして申し聞かすのでありますぞ。苦しみは見聞きさせられていること多いから、魔に言って聞かせねばならん。苦を誇張(こちょう)するな。嘘(うそ)を申すな。我(われ)の苦と共に立ち去れと、己の心に向けて声出して言いなされよ。魔は人に気づかれること、一番嫌う(きらう)のぞ。人に気づかれぬように悪さいたすが、魔の者らの喜びであるぞ。神示(しんじ)、読み聞かせなされ。この神示は、人民声出して靈人(れいじん)らに聞かせるものでもありますぞ。真(まこと)の教えを読み聞かせ、真を理解させ、靈界(れいかい)そのものを改善(かいぜん)させるための書でありますぞ。地の靈界が真(まこと)の世とならねば、人の世は良くならんのじゃ。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 六十七
二〇一七年十二月十三日
大日月地大神御靈(おおひつくおおかみおんたま)
より一部抜粋
世を操る(あやつる)魔の企て(くわだて)知らねばならん。人は無知であるから、まんまと騙される(だまされる)のぞ。真(まこと)と嘘(うそ)の区別できねば、いつまで経っても真(まこと)の世は創れん(つくれん)道理ぞ。地の靈人(れいじん)、人民、いつまでも騙されておるでないぞ。金と力で世を支配する者らおるから、世は悪しき(あしき)こと起こりてきたのじゃぞ。魔の靈団靈人(れいだんれいじん)の僕(しもべ)となりてきた人民らが思考をいいように操られ、世をかき乱して(みだして)も来たのじゃ。何万年何千年と繰り(くり)広げてきた人の歴史であるから、ますます人民には何がなんだか分からんのう。歴史そのものがみな支配されて作られてきたものであるのぞ。
雨、風、雷、地震、津波、難病奇病(なんびょうきびょう)、何もかも学(がく)使いて引き起こして、神に成りすまし、神を悪者に仕立てあげ、好き勝手し放題し続けてきた悪魔の僕たちよ、いよいよ立場ひっくり返りて、因縁相応(いんねんそうおう)にみな苦しまねばならん時(とき)参りましたぞ。すべては御魂(みたま)に刻まれて(きざまれて)おるから、誰も逃げ隠れ(にげかくれ)嘘はつけんのでありますぞ。大神から御魂に⨀(まこと)の薬つけてやるから病(やまい)治るぞ。悪さいたした分だけ、もがき苦しまねば毒出しできぬから、おのおの辛抱(しんぼう)なされよ。苦しむのは己(おのれ)もたらした因果(いんが)じゃぞ。神は御魂の中からすべて視ておるのぞ。隠しごと一切(いっさい)できぬお仕組みじゃ。人民には知るはずもなく、靈団靈人とて分からんのじゃから、ここで申しておくぞ。
神と学(がく)の戦(いくさ)、決着はとうについておるのじゃぞ。学は神のものじゃ。神から与えられた学を悪しき(あしき)使い方してきたゆえに、皆々苦しむことになりたのじゃから、学は神にお返しせねばならんぞ。神に成りすましてきた悪魔や僕(しもべ)の者らも皆々、これまでの悪さすべて暴いて(あばいて)、罪と罰(つみとばつ)のお仕組みで真(まこと)学ばすぞ。悪魔、僕らよ、そなたらは神に創り(つくり)出された御魂(みたま)ぞ。ゆえにどこまでいっても神には敵わん(かなわん)のじゃ。そなたらを創りたものぞ。敵う訳(わけ)があるまいに。散々(さんざん)世をしっちゃかめっちゃかいたし気も済んだであろうぞ。そろそろ宇宙全体の者たちが始末(しまつ)つけに参りますぞ。地の掃除洗濯(そうじせんたく)しに入りますぞ。地の星、救わねばならんから、いよいよ時(とき)来たぞ。地の靈人、人民皆々、悪しき(あしき)思い手放せよ。洗脳(せんのう)されてきた歴史、いよいよ終わるのぞ。意識、変わるのぞ。大神の氣(き)流れ、次々と良き意識となりますぞ。掃除洗濯とは、意識の浄化(じょうか)でありますぞ。真(まこと)の意識に戻りますぞ。浄化に苦しみ喜び下されよ。分相応(ぶんそうおう)じゃから、大神、悪く申すでないぞ。自業自得(じごうじとく)ゆえ改心なされよ。
縁(えん)ある人民、心込めて(こめて)神示(しんじ)読み上げて下され。皆々様方に読み聞かせて下されよ。洗脳解く(とく)お役目でありますぞ。目覚めた(めざめた)人から順に、真(まこと)伝え皆に聞かすお役目いたし、世の立て替え(たてかえ)立て直し(たてなおし)いたし下されよ。言葉、力放ちて(はなちて)⨀(まこと)顕れる(あらわれる)時(とき)来ておるのじゃから、真(まこと)に目覚めた人、心勇んで(いさんで)動き出しなされよ。すべてそなたの魂(たましい)の中から視ておりますぞ。魂は内なる宇宙ぞ。大神の雛型(ひながた)ぞ。何もかもお見透し(おみとおし)でありますぞ。
寂しく(さびしく)ないぞ。そなた独り(ひとり)ではないのぞ。守護靈殿(しゅごれいどの)や指導靈殿(しどうれいどの)、縁(えん)ある良き靈人らに支えられて生きておりますのぞ。そなた、愛されておりますから、喜びに生きて下されよ。良き世創る(つくる)御魂(みたま)として生きなされよ。お陰(おかげ)は何万倍にして喜び次々に与えて参りますぞ。仕組み隆々(りゅうりゅう)、後(あと)の仕上がり楽しみになされ。生きる歓喜(かんき)の念に浸り(ひたり)下されよ。
むーうーるーうーおーー、あーらーわーれーるーー、おーおーおーおーおーー、わーらーわーらーわーー。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 七十
二〇一七年十二月十五日
大日月地大神御靈(おおひつくおおかみおんたま)
より全文抜粋
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[完訳]日月神示(ひつきしんじ) 1944~1961
岡本 天明 書、中矢 伸一 校訂
地球指導靈団が 画家の岡本 天明(おかもと てんめい)の身体を借りて降ろした神示です。数字 文字 記号 からなる文章を 天明が仲間達と翻訳しました。
難解な神示なので 解説書をお勧めします。全三部作になります。
大日月地神示(おおひつくしんじ) 前巻 後巻 2006~2017
地球指導靈団と宇宙指導靈団が シャーマンである神人(かみひと)の身体を借りて降ろした神示です。前巻は地球指導靈団から、後巻は宇宙指導靈団からの指導書です。現在の地球人と靈人に向けた書なので ぜひ読んで下さい。
著者の公式サイトからも購入できます。送料が掛かりますが 書籍にサインをいれて貰えます。
著者のフェースブックです。
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