栃木SCにどっぷりハマったあの日。

あれは2011年のこと。

東日本大震災のあった年ですね。

震災直後の4月に自分の人生にとって苦しみや悲しみを伴う大きな出来事がありました。震災とは無関係な出来事ですが、詳細については割愛。まあ、当時からの仲間はなんのことかわかると思いますが…。

深い苦しみと悲しみがあって、世の中の誰もや何もかもが信じられなくなって、本当に死にたいとさえ思いました。

誰でも死にたくなる程の苦しみはあるし、甘えたこと言ってんじゃねぇ。と今では言えますが、その渦中にいる自分にはそんな余裕もなく。そしてとても栃木SCを観戦できるような心境でもありませんでした。

震災によってJリーグも一時中断しましたけど、1ヶ月ほど中断したんでしたっけ?その後再開されましたが、自分はそういう状況だったので再開後の何試合かは観戦してません。

親しいサポーター仲間も心配してくれて色々とメッセージを送ってくれました。

とてもありがたかったし、一人じゃないんだなって思えて心強かった。今でも感謝してます。

そんな時にゴール裏のサポーター仲間が「グリスタだけはどんなことがあってもこいよ。辛いだろうけど絶対に来たほうがいい。気分転換になるし、何より仲間がみんな心配してお前を待ってる。」そう言ってくれたおかげもあって重い腰をあげ、久しぶりの試合観戦にグリスタに行きました。

グリスタまでの道中やスタジアムの雰囲気を久々に感じると、去年までの楽しく通った事を思い出すし、久しぶりに会う仲間の心配そうな顔を見ると申し訳ないやらツライやらでなかなか試合に集中できず、最初はぼんやりとピッチを眺めるしかできませんでした。

ふと、その試合中に目の前で栃木SCの選手がボールを奪われ倒されます。審判はノーホイッスル。その選手は「くっそー!」と叫びながら立ち上がり奪われたボールを取り返すために走り出しました。

自分の目と鼻の先での出来事。

その選手の表情や汗、はぁはぁという息遣いさえも感じるくらいの距離感。

その必死の姿に目を奪われました。

ただただ一心不乱にボールを追う。

…頭で考えればその選手はサッカーで生活をしているプロであり、プロとして真剣に試合をするのは当然のこと。

だけどそういう理屈抜きに彼が必死で頑張る姿を見ていたらいつの間にか夢中で試合を追ってる自分がいたんです。

いけー!諦めんな!と。

まるで自分に向けて叫んでいるかのように。

その試合勝ったのか負けたのかまでは覚えてません。ただ、今でも鮮明に覚えてるのはあの選手が倒されてボールを追いかけて行った姿。そして試合終了の笛と同時に半数以上の選手が力果てて倒れ込む姿に感動しました。

…なあ。見ただろう?

みんな必死でやってんだよ。

誰もがこうやって必死で生きてんだ。

お前は何をくすぶってんだ?

そう声が聞こえたようでした。

その瞬間に立ち直れたとまでは言いませんが(数年は引きずってましたからw)、かなりの衝撃を受けたし、立ち直るきっかけになったのは事実です。

その試合を観戦できた事は自分にとって大きいし、選手達には感謝してます。勿論選手は観客の1人のためにやっていたわけではありませんし、プロとして己自身のために必死で頑張っただけですが、結果的に1人を救うことになったわけで。

あの時「グリスタこいよ」と言ってくれた仲間。スタジアムで再会して「元気だしなよ」と言ってくれた仲間。ピッチで真剣に戦っていた選手。そして、そういう試合を無事開催できるように準備・運営してくれたクラブスタッフ、ボランティアの方達。そういう色んな人達のおかげでこの試合が成り立ち、そしてその試合に夢中になることで立ち直れた自分がいたんだなって。

タイトルに「どっぷりハマった」と書きましたけど、それ以前からハマってだからこそ通ってたわけですが、その日からはもう栃木SCなしの生活はありえないほどになりました。

サポーターも含めてそこにいる人多々全員がいてこそ試合が成り立つわけで、そう思うとすべての人に感謝しなきゃいけないなって。そんな風にチームに対する考え方が変わりました。

ポスターやビラ配りのお手伝いはそれ以前からやってましたけど、それ以降、考え方が少し変わって本当にクラブのため、サポ仲間も含めたチームの仲間の為に関わっていきたいと。持ちつ持たれつという言い方は語弊があるかもしれないですけど、互いが互いを思いやる精神…愛情と一緒ですよね。自分が栃木SCによって救われたように自分も栃木SCを支えていきたいと。

こういう事ってサポーターなら誰にもあると思うんです。

嫌なことや辛いことがあった時でもグリスタに行けば忘れられる。

或いは、自分にはこの場所がある、あの場所に行けば仲間がいるっていう精神的な支えになってる人も多いと思うんです。

1週間頑張って週末のサッカーを楽しみに生きている。そういう人って突き詰めて考えるとそういうことですよね?

あの場所がある。仲間がいる。愛するチームがそこにある。だから普段も頑張れる。そういう精神的支柱。

それがサポーターにとってのクラブチームなんじゃないかなって。

そんな風に思います。

自分はよく言うんです。「例え最後の1人になっても栃木SCのサポーターでいます」と。もちろんそんなことは現実としてありえないし、自分よりももっともっと長く、そしてもっと深くチームを支えてるサポーターが沢山います。

だけど、サポーターとしての覚悟っていうかな。精神的な心構え的な意味で、自分は最後の1人になってもサポーターでいたいと。

そんな風に考えています。

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