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じいじが教えてくれたこと。

去年の10月、祖父(以下、じいじ)が亡くなった。
自分の身近で大切な人が亡くなるのは初めてのことで、しばらく状況を理解できなかった。今でもじいじにもう2度と会えないことが信じられない。
じいじがこの世にいないことが当たり前になってしまう前に、じいじが亡くなってから今まで考えたことを残しておこうと思う。


去年の夏休み、私は大学のある東北から家族が暮らす関西に帰省した。じいじは、私のよく知る日に焼けた笑顔で私を迎えてくれ、ご馳走を用意してくれたり、お菓子をたくさん勧めてくれたり、いつも通り私を可愛がってくれた。

だけど、夏休みの終わりごろ、片目が見えにくいと言ってじいじは病院に通い始めた。目をしょぼしょぼさせながらよろよろと歩くじいじは、小さい頃に自転車の乗り方を教えてくれたじいじや真っ黒になりながら育てた野菜を嬉しそうにくれるじいじ、ばあばと旅行した時の写真を自慢げに見せてくれるじいじとは別人に見えて、不安になった。

じいじが不調な原因が分からない中、私は大学に戻らなければならなかった。心配だったけど、冬休みに帰省したらまた元気なじいじに会えるだろうと思い、いつも通りバイバイとだけ言って別れた。

9月になり新学期が始まってすぐ、妹からじいじが癌で入院したという連絡がきた。そして1、2週間後、じいじはいつどうなってもおかしくない状態なのだとお母さんから知らされた。

怖かった。
私が東北の大学に行くと報告した時、じいじが放った言葉が思い出された。
「俺が死にそうになったら東北からいつでもすぐに駆け付けてこれるもんなんか」

私はこの時もそんな状況はやってこないだろうと決めつけ、適当に返事をした。

じいじが入院して1ヵ月は何もなかった。私はいつじいじに関する連絡がくるかびくびくしながら、ふとした瞬間に涙が溢れそうになるのをこらえながら、毎日を過ごしていた。この不安を共有できる家族は周りにおらず、かといって、こんな暗い話を友達にすることもできなかった。辛かった。

10月になったある日、私は友達と少し遠くまで旅行へ出かけた。1人になるとじいじのことを考える鬱々とした日々が続いていたので、一時不安なことは忘れて友達と楽しもうと思った。

旅行先に到着し、ご飯を食べている時、電話がかかってきた。
お母さんからだった。
悪い予感がした。
心臓が凍り付き、頭が真っ白になった。
電話に出られなかった。

私はあの時何を食べ、友達と何を話したのか思い出せない。ただ、ご飯を食べ終え、意を決してお母さんに電話をかけた時のお母さんの声は忘れられない。

「じいじが今天国に行っちゃった」
と震える声で言い、お母さんは大声で泣いた。
お母さんの泣き声が一瞬笑い声のように聞こえ、私は全てドッキリなのだと思い込み笑おうと思った。でも笑えなかった。
状況をのみこめないまま、私はただ「今日帰るね」とだけ言った。

急いで飛行機に飛び乗りじいじの家に行くと、じいじが布団に横たえられていた。私が近くに行っても反応しない穏やかだけど真っ白な顔のじいじを見て、私はようやくこれがドッキリではないのだと悟った。涙が溢れて止まらなかった。


あれからおよそ4ヵ月。
まだ日は浅く、じいじの話題が出ると胸がドキドキして顔がひきつる。でも泣きながらではあるけれど、じいじが亡くなった日のことを思い返すことができるようになった。ぐちゃぐちゃだった頭を整理しようと思えてきた。

じいじの写真を見ると、じいじが私にしてくれたことをたくさん思い出す。アルバムを開くと生まれたてのサルみたいな私を大事そうに抱っこするじいじがいて、じいじがどれほど昔から私に愛情を注いでくれていたかが分かる。亡くなる間際でさえ、じいじは私の誕生日が自分の命日にならないように配慮して、私の誕生日の10日前に息を引き取ったように思う。
じいじが私にくれたものは私には把握しきれないほどたくさんある。なのに私は何も返せなかったように感じる。

じいじが亡くなってから私は、大切な人たちと自分についてよく考える。
改めて、私にとって家族がいかに大切なものかを思い知らされた。できることならずっとずっと、私がこの世からいなくなるまでずっと一緒にいてほしい。だけど、そんなことは叶わないことも今回思い知らされた。ある日突然大好きな人がいなくなってしまうかもしれないという覚悟を持っていなければいけない世界なのだと思い知った。

だから、私は自分の大切な人に愛を伝えることをサボらずに生きようと思った。大好きな人とずっと一緒にいることはできない。近くにいない時に知らぬ間に亡くなってしまうこともある。最期にその人への愛を伝えられないこともある。
だけど、この世からいなくなる直前に、愛を伝え続けた私を思い出させることならできる。好き好きと言い続けたら、その人の頭の中でだけど、大好きを伝える私は側にいることができるんじゃないかな。

じいじにこれができたかは分からない。じいじにはいつでも会えるものだと思っていて、私は愛を伝えるのをサボっていた。じいじにはあれだけ多くの愛情を受け取ったのに。

今じいじに1つだけ質問ができるとしたら、私はこう聞きたい。
「私のじいじのことが大好きな気持ち、届いてた?」


家族に限らず、周りの大好きな人たちに愛を伝えることをサボっていた私にじいじは、愛を伝えることの大切さを最後に教えてくれた。私はじいじのように、直接言葉を使わなくとも大切な人には大好きを伝えられる人になろうと思った。

じいじとの思い出と一緒に、じいじから教わったことも大事に心に留めて生きていきたい。


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