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出直しが出来るか!?24hチャリティは

障がい者達はウェーターになっていた

 24時間番組は1978年に始まっていた。私達札幌いちご会は1977年に始まったので、大体始めた年数が同じようなものだ。24hチャリティーが始まったことは、STVの前で障がい者団体や障がい者の施設の人が来て、一緒に焼きそばや、焼きトウモロコシやビールやジュースを出していた。
 障がい者達は「ニコニコ」笑って働いていた。あの光景は今でも目に浮かぶ!

頼もしい姿をもう一度作りたい!

 私達も本や切手やバザー品を売り随分利益になり助かっていた。寄付を頂くだけではなく年に一度、STV前で障がい者達と職員が一緒になり売り子さんに、慣れた姿は頼もしく思えた。
 しかし、施設は職員が足りなくなりなかなか24hのバザーに行けなくなった。一般のお店屋さんは物を売るようになってしまった、非常に残念である…。


なにがボランティアなんでしょうね?!

 ボランティアは溢れるほど来て下さる、すごいエネルギーであった、しかし残念なことに、「20年近く私達は生きるボランティアに来て下さい!」と呼びかけたチラシを撒き続けたが奇跡的に一人も来なかった!
 そして、テレビではボランティアさん「ありがとう」と言われていたが、どうもあの人たちの考え方は解からない、ただ、テレビに出たかったのだろうか?と考えてしまった。

障がい者がテレビ局の職員になることがチャリティでなかろうか

 日本で誇れるチャリティテレビは残念な事を起こしてしまった。テレビ局の職員がお金を着服していたのである。45年間も続けてきた番組に信頼は無くなってしまったのだと思う、あの番組が寄付金を全国の人から集めて障がい者達にくださるシステムだ。
 お金だけくれるのではなく、私はやはり障がい者もあの番組も職員となり働いて欲しかった。ただ同情で涙を流すシーンが多かったが、障がい者が職員になることも素晴らしいチャリティではないだろうか?!
 テレビ局はそこまで話がいかなかったのだろうか?

受けない方が良かった手術

 いちご会は山奥の施設に居る、仲間たちが札幌に来て「会議に行きたい」と言っていた。しかし、身体が腰から曲がり胸とモモがくっついている女性が居た。
 しなくてもいい手術を受けてしまい毎日のように「痛い痛い」と泣いて腰を曲げていた結果、身体が固まってしまったのである。でも、そういう彼女も地域で自立生活をすることを諦めなかった。

リフトバスに乗り夢のようだった喜んだ彼女

 そこで、私達は24hの車をいただく事に力を入れた!法人の施設ではないから頂く事にはとても苦労した。
 しかし、私達はいつもSTVに協力していたので「たまには私達にも協力してください!」と言った。そして、やっとのことでリフトバスを頂いた。バスは車椅子がリフトに乗り彼女を札幌に誘う事が出来た!
 初めて彼女は24hの車に乗り「今私は夢を見ているみたいだ!こんなに嬉しいことはない!」と言った。24hテレビはこの障がい者の言葉を知って欲しい!それで彼女はどこへでも外出するようになり、ボランティアさんとヘルパーさんの力を借り地域で生きられるようになったのである。
 このような訴えを誰かが言っていかなければならないと思う

厳しく国民の意見を聴き24hテレビを始めたら良い!

 また来年も24hを行うのなら、先ほど書いた通り徹底的にやり方を変えなくてはいけない!ボランティアばかり集めていたとてしょうがない!今福祉に何を求められているかを考え施設で作ったものを売ることを始めたり、ヘルパーさんの呼びかけを行ったり障がい者達が作ったものを売ったり、厳しい審査をして障がい者もアナウンサーにしていく方法を取って欲しい!
 アナウンサーを雇い24hチャリティだけではなく、色んなテレビ番組にも出演して欲しい!それが本当のチャリティではなかろうか?!与えられるだけがチャリティではない!障がい者達が働くチャンスを与えて下さることはこれからのマスコミの姿勢に大事ではなかろうか!
 差別禁止法ができている、マスコミこそ障がい者を率先して雇うことが義務ではなかろうか!この事件を契機にチャリティとは「なにかを」考え実行して欲しい!

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