見出し画像

14年ぶりに食べた、ブロッコリーの味

ヘルパーさんの責任を少なくすることが大切

 暑い暑い夏も終わりそうだ。今日は、とても天気が良いが外に散歩すると風が寒く感じる。朝、何を着て行こうか悩む。私はコロナ前から四年間も、風邪を引いていない奇跡である。風邪を引くと気管支炎になり咳が二十四時間続いてしまう。呼吸をする暇も無くなり、眩暈がして部屋がクルクル回っている。
 苦しければ、死んだらヘルパーさんに迷惑をかけるので、息子に連絡を取り救急車を呼ぶ、困った時だけ息子は走ってきてくれる。やはりヘルパーさんと二人だけの時に何かあったら困ると私はいつも思っている。息子と救急車を呼んでおけば、ヘルパーさんの責任も少なくなり、安心だと思う。暑い時は、マスクは大変だがマスクのお陰で風邪やインフルエンザが減っているのだと思う。

困った医師達。

 14年前、私は悪性リンパ腫にかかり命が消えそうであった。心がすごく疲れていたので、病院に入院した時ベッドに横たわると(あっこれで、楽になれる。)と思い眠ってしまった。医師たちは死んでいくデータばかり見せてくれ何だか楽しそうであった。困ったお医者さん達だな。と心の底で思った。でも、とてもいいヘルパーさんが来て下さり私の心をいつも楽しませてくれた。その人が居たからこそ私の癌が消えたと言っても過言ではない。
 PETという機械に入ると、癌がまだどこに残っているかが私が見ても解るようになった。「先生、まだ股の所にあるね。首の所も少しかな。」と言うと先生は「ほう、小山内さんがPETを観ることまで出来るようになったんだね。」と仰った。リンパは身体中に走っているので、PETに入らなければ解らない。PETが一台一億円もするそうだ。だからあまり、札幌でも少ないようだ。

ブロッコリーを捨ててから食事をした。

 黒柳徹子さんが心配して、ヘルパーさんを雇うお金を寄付して下さった。その時はまだ、病院にヘルパーを雇ってはいけないことになっていた。でも、大勢の人が力になって下さり、一時間千円でヘルパーさんが来て下さった。
 一日3食のご飯があったが、美味しいと記憶に残っているのは、ラーメンとお蕎麦くらいだっただろうか、厄介だったのが、缶詰のブロッコリーだった。柔らかすぎて味が無い匂いもあんまりしない、最初は栄養価が高いと思い無理やり食べていたが、そのうち吐き気がしてきた。ブロッコリーの代わりが無いものかと思った。院長先生に「ブロッコリーの回数を少なくしてください。他に食べる野菜はないのですか。栄養士に言ってください。」と頼んでも、味もないブロッコリーが出続けた。私はブロッコリーをゴミ箱に捨てそれから、自分で買ってきた味付け海苔とご飯と味噌汁で食べた。
 それから私は、ブロッコリーを14年間くらい食べていなかった。

ブロッコリーが食べられた奇跡!

 最近ヘルパーさんの奥さんの実家が農家をやっており新鮮な野菜をいただいた。その中にブロッコリーが入っていた。ちょっと驚いて誰にあげようか捨てようか食べようかと悩んだ。でも、香りも良く生きも良く美味しそうに見えた。サラダの中に細かくして入れて食べる決心をした。マヨネーズと醤油を少し入れ食べると、目が覚めるくらい美味しい味がした。あはは!と一人で笑い14年ぶりの奇跡のブロッコリーを口にして幸せを感じた。やはり野菜は新鮮であることが大切だと思い知らされた。
 上の写真は天ぷらと帆立のスープである、これはヘルパーさん達のお礼にみんなで食べた。仕事じゃない時に来てくれた時は友達だと思い一緒にご飯を食べた。仕事ではあんまり御馳走しないことにしている。そこの兼ね合いが難しい、あまりご馳走してしまうと、毎回箸と皿を出してくるヘルパーさんが出て来るからだ。本当の友達になるという事は難しいことである。ブロッコリーの次は食べられない物がうなぎである。うなぎは、食べる訓練をしたことがあるが、ダメだった。景気の良い時は食事にうなぎが出てくることが多かったからだ。謝ってばかりいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?