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恵方巻の美しい思い出

得意な料理を作ることは人間の歴史

  2月3日 今日は恵方巻を食べなければいけないと思い、ヘルパーさんに買って来ていただいた。私達の若き日は、北海道には恵方巻を食べる習慣は無かった。でも私は、海苔巻きは大好きなので、しょっちゅう食べている。特にヘルパーさんのご主人が作ってくださる、韓国キンパがすごく美味しい。キンパを作り、私達は儲かるのではないかと、いつも考えている。ヘルパー派遣をやりながら、他の商売をやったら良いのではないかと、いつもいつも思っている。
 ヘルパーさんの奥さんが作る、飯鮨がほっぺが落ちるほど美味しい。これもまた絶対売れると思う。得意な料理を集めると、全く違う会社が出来る。この方法論は、正しいと思うが、中々仲間に入って下さる方が居ない。得意な料理を作るのも、人間の歴史であり、その味を絶やすことなく食べられるということは、大切な事だと思う。

カチカチになっていたご飯

 海苔巻きを見ると、母をかならず思い出す。母は、冷蔵庫にあるものなんでも取り出し海苔巻きにする、きゅうり・卵焼き・煮魚・たくあん・納豆・いくら・かにかま・・・と挙げればきりがない。私は若き日、脳性マヒの緊張で勝手に首が動いてしまうので、ご飯を食べさせるのが大変だった。そこで母は、簡単にできる海苔巻きを作り、私の口にポイポイ運んでくれたのである。子どもの頃は、本物のカニも入っていた。おいしかったですねぇ。あのユニークな海苔巻きはもう食べられない。ちょっと寂しい。
 私は、仏壇に食べるものを上げることはあまりしない。すぐに乾いてしまい美味しさが抜けるからだ。でも、母は炊き立てご飯を必ず上げていた。夜そのご飯はカチカチになってしまう。カチカチになったご飯を母は、お湯をかけて夢中になって食べていた。私は横目で(あんなことしなくてもいいのにな)と思っていた。

芸術品の恵方巻

 私が20代の頃、ボランティアでとても美しい人が居た。(女優さんになってもいいんじゃない?)と思っていた。そのお母さんがいつも手料理を持って来て下さり、ご馳走になった。そのお母さんもまた美しい人であった。そのお母さんの海苔巻きは芸術品であった。チューリップやバラの花模様になっていた。女の子の可愛い顔や山の景色まで切り口にハッキリ浮き上がっていた。あまりにも美しかったので、食べるのがもったいなかった。「こんなにきれいな物、どうやって作るのですか?」と聞くと、「小山内さんがね、お嫁に行く時教えるわ」と、言っていた。(お嫁になんか行けないよ。早く教えてよ)と心の中でつぶやいていた。あの海苔巻きはどうやって作るのかわからないでいる。習っても出来るはずはないと、下を向いてしまう。しかしあの美しい海苔巻きを思い出すと、もう一度あのお母さんに出会いたいと思ってしまう。優しいボランティアさんの手が今どこに住んでいるのやら会いたいなぁ。と思う。恵方巻を食べながら、この思い出を毎年思い出す。父と息子が豆まきを行ってくれたが、もう私の家にはいない。
 去年は、七草がゆのセットを買って来て、とても美味しく出来た記憶がある。今年も絶対作ろうと思っていたが、忘れてしまった。なんでもいいから、日本中の季節に合ったお祭りを行うことが大切なのではないかと思う。次は何だろうか?バレンタインデーだ。今は、恋人同士とか義理チョコは少なくなってきたらしい。自分の為に買うらしい。今年はどうしようか?たった一人の人にあげたいが、思いつかない。悲しい事である。まあ、みんなで食べられる袋入りのチョコをちょこっと買って来よう。


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