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馬刺し


買い物は闘い

7月3日ヘルパーさんと買い物に行った。
2週間分の食材を買うことは闘いである。
10円でも安い物を見つけるために、車いすからの視線で見つけることは至難の業だ。

キラット目が輝いた

魚コーナーで、かわった肉のようなものを見つけた。
よく見ると、お刺身用馬刺しと書いてあった。
ちょっと値段は張ったが、子どもの頃のことを思い出し
父は馬の肉の塊をひもで縛り、自家製の醤油で何時間も煮込み
薄く切って食べさせてくれた。
そのことを思い出し家に帰って醤油で煮込んでみようと思った。
しかし刺身用だったので、そのままニンニクとショウガをつけ食べたが
何やら、私の口には合わなかった。
それからヘルパーさんに焼いてもらいまた食べたが、
やはり、美味しいとは思えなかった。
しょうがないので、なげてしまった。
でも後悔はしていない。

父が作った調味料

父は、和寒にいた頃は、醤油・味噌・バター・チーズ・納豆・豆腐など何でも作っていた。
だから、何でもおいしかったのだろう。
父のつくった馬肉はどこから買ってきたのだろうか。
そういえば、二頭飼っていた馬が一頭になっていた。
あれ、怪しいなーと思った。


母は、馬や牛を肉に捌く父を見て、離婚しようと何度思ったか分からないと言っていた。
もう私は二度と馬刺しは、買わないと決めた。

ジンギスカンのたれ

父の料理で一番おいしかったのは、ジンギスカンのたれだった。
48種類のものを混ぜ合わせて何時間も煮ていた。醤油、ソース、ケチャップ、サラダ油、柿、バナナ、ぶどう、みかん、キャベツ、レタス、ピーマン・・・あとは覚えていない。とにかく店に売っているものからあらゆるものを買ってきていれていたような気がする。それは酪農大学で習った、という。

父はアスパラづくりに燃えていた


父は、和寒から酪農大学に通信教育を受け、たまに江別の大学に行って勉強していた。父はアスパラの研究をしていた。1950年代頃は北海道にはアスパラは育たない、と言われていたそうだ。でも父は、アスパラを北海道で育てようと思った、と言っていた。「俺は、北海道で初めてグリーンアスパラを作ったんだぞ。」と私に言っていた。私が「その証拠はどこにあるの?」と聞くと「酪農大学の書物に書いてある。」と言っていた。でも私は父の言う事を信じてあげられなかった。アスパラは肥料がたくさんいるのでお金がかかるそうだ。母はアスパラを作るのは反対だったそうだ。家にいた馬をアスパラの畑に歩かせて全部アスパラを潰させたと言っていた。でもそれに懲りず次の年もアスパラを作っていたという。

蛇を焼いて食べていた父


食べ物のなかった時代なので、父は道端にいた蛇を取って焼いて皮を剥いて食べていたそうだ。それを見た母はまた離婚しようと思ったそうだ。母と父の結婚生活の上で何回離婚しようと思ったのか数えてみたかった。でも私はジンギスカンのたれを作るのが夢である。酪農大学に行き、資料を探してみようか、でも、今、市販で売っているたれを見るとだいたい父の言っていたものが入っているようだ。

父の料理はおいしかった

父は、母の料理はおいしくない、といつも文句を言っていた。たまに母が疲れて倒れた時には父がご飯支度をしていた。そのおかずは、とてもおいしかった記憶がある。「父さん、このおかずおいしいね。父さんが毎日ご飯支度すればいいでしょう。母さんに文句を言っている時間があるなら自分でやった方が早いんじゃない?」と言った。「美智子は口の立つ子どもだなあ。父さん忙しいんだからご飯支度なんかできない。」と言っていた。馬肉を見ていろいろ子どもの時のことを思い出した。やはり馬肉は醤油だけでことこと何時間も煮て食べるのはおいしいと思った。






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