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オールナイトニッポン

年明け2021年初投稿です。といっても、かなり間が空いたので久しぶりどころか、まあ初めましてのようなものですね。

去年はたぶん世界中の人が予定していたことが次々と変わってしまい、人生が狂ってしまった人や、今もその変化に巻き込まれて絶望している人も、状況を受け入れ我慢の生活を続けている人もいるかもしれない。

私自身、去年の今頃は絶望の縁にいて人生を変えることを考えていた。
なのに、自分が変わる前に世界が変わってしまい、足元を見つめたら片付けなくてはいけないことが山積していて、それをちょっとだけ始末したら次が拓けた・・なんて感じでした。

立ち止まった時に自分が昔好きだったものに目が向くものなのか、ラジオばかり聞きながら、いろいろ思い出し、このnoteを書き始めたのです。

10代はラジオが大好きでした。やっと自分の部屋が出来たのは、小学4年の頃だったと思う。
勉強をしながら、漫画を読みながら、ぼーっとしながら、あるいは録音しようと待ち構えながら、ラジカセにかじりついていた。そこで出会った歌や声から様々なことを知ったし、いろんな感情を覚えた。

松田聖子が一番のアイドルだった私は、田舎なのになんとかチューニングを合わせて毎週日曜日にニッポン放送の「夢で逢えたら」と言う番組を聞いていた。夜中だとラジオは何故かよく聞こえた。
地元局もネットしていたオールナイトニッポンはもっときれいに聞こえたし、特に月曜の中島みゆきが好きだった。

両親が共働きで祖父母の家に長く居たせいか、中学に入ってからも特に反抗期らしい時期がなく、先生に対してもそんなに強く反抗することもなかった。ただ昔から授業中にノートに落書きをするのが好きで時々小説なんかも書いたりしていた。

それはある日家庭科の授業の時に起こった。言われた課題をすぐに終えた後、創作ノートを出して何か書き始めようとした瞬間、先生に見つかり取り上げられた。
その後、机の横に2時間正座させられたあげくノートは取り上げられ別な国語教師に渡された。職員室に行くとニヤニヤしたその教師が、中身を読んだと話し、結局返してくれなかった。

それを機にではないけれど、大人に対して反抗的な気持ちが芽生えた。
何故、黙って言うことを聞かなければならないのか。
当時は暴力的な教師も結構いて、言うことを聞かない場合殴られるなんてことすらあった。それすら抗うことは反抗的とされ、余計問題視されるのが普通だった。今では考えられないけれど。

そんな中学3年の時、中島みゆきのオールナイトニッポンにゲストで現れたのが尾崎豊だった。そこで流された「卒業」と言う曲に心を奪われレコードを買い、他にも「僕が僕であるために」「15の夜」などを聞きながら、大人の理不尽な圧力に従うのはおかしいと言う気持ちが芽生えた。

中島みゆきさんがハイテンションで楽しく進行するオールナイトニッポンで、放送の最後に声のトーンも全く変えてリスナーからの手紙を紹介した後にかかるのが「ファイト!」だった。

どんなに理不尽で、悲しく憤りに震えることがあっても、負けずに夜明けを迎えよう、そんな気持ちで聞いていたような気がする。



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