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ぼくの好きな先生

こどもの頃、親や親戚以外で出会う中で、影響を受ける大人と言えばやっぱり学校の先生になるのだろう。そう思う先生が確実に3人いる。

ひとりは小学校一年生の担任さがえれいこ先生。
うちの小学校は新設校で、最初は校歌がなく「こどものうた」という代わりの曲を朝礼などで歌っていた。その歌詞を書いたのが、さがえ先生だった。

入学の日、はじめての授業を今でも覚えている。黒板に「さがえれいこ」ときれいな字で書いたあと「サザエさんと似ているけれど、さがえです」と笑顔で話してくれた。たぶん自分の母親よりも年上に見えた。でもとっても優しくて全く怖くなかった。それで不安が一気に楽しさに変わった。
教科書だけでなく、詩を読んだり、詩を書いたりする授業も多かった。

地元の偉人といえば、宮沢賢治。一年生の学習発表会(文化祭)では、全学年から役に合わせて数人が選ばれ、先生も参加して「風の又三郎」の演劇をやった。自分の同じ町内に双子が住んでいて、ダブルキャストで又三郎を演じていたので覚えている。
翌年は「よだかの星」、その次の年は賢治作品自体がテーマだったと記憶する。そこで「雨ニモ負ケズ」を暗唱する役を任された。1年の時の、さがえ先生に教わったおかげだと思う。

ふたり目の好きな先生は、小学校4年の時の宮地先生。図工が専門だった。
最初の授業で、2コマ使ってご自身が最初に赴任した松尾村について、かつて東洋一と言われたその鉱山の町がどれだけ活気に溢れていたか熱く話してくれた。見たことがないのに目に浮かんだ。きっと視覚的な表現だったのだと思う。図工の授業では絵の描き方、特に水彩画の点描を教わった。そのおかげで「花いっぱいコンクール」で賞を獲ったこともあった。

三人目めは、高校1年の時に英語の先生として出会った山形守平先生。背が高く、色白で今でいう「イケメン」な先生だった。やはり最初の授業の自己紹介で、チャップリンが好きだという話をしたのを覚えている。市街地にあるお茶屋さんの息子だった先生は、小さな頃から映画が大好だったと。
その山形先生が担任になった3年の頃、実はほとんど学校に行かず、学校に行くフリをしてビデオレンタル店に通っては家で映画を見る日々が続いた。

ある日家でビデオを見ていた時、電話が鳴って何気に出たら先生だった。「なんで学校にこないの?」と質問されて、家で映画を見ていると素直に答えた。そしたら「たまには来いよ」と、叱ることもなく言われた。次の日から学校に行くようになった(やっぱり毎日ではなかったかも)
その後数年前に実家に帰った時に、校長先生になったことを知った。そして今は定年退職して別なお仕事をされているようだ。

良い先生たちと子供時代に出会ったことで、今の自分があると思う。

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