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Kやんのこと①

忘れられない友人がいる。名前をKやんとしておく。
初めて会ったのは大学時代。映画を作る社会人サークルに参加したいと現れた。まだ17才だった。
偶然にも大学の友人が参加していた壁画を描くプロジェクトもやっているということで、年齢差も感じずにすぐ仲良くなった。
それから間も無く、泊めて欲しいと訪ねてきた。当時、別な友だちとルームシェアしていたワタシは、まあ1泊ぐらいならと家に招いた。話を聞くと、母親と二人暮らしなのだが、あまり家には居たくないのだと言う。そのうち同居人ともすっかり仲良くなって、居候のようにそのまま3人暮らしが始まった。

ただ一緒に住むようになって話を聞くと、次第に彼女の長くない歴史が過酷だったことがわかった。高校は中退し、母と一緒に暴力をふるう父と兄のいる家を出たこと。その後、初めて付き合った人が亡くなってしまったとか、今の彼氏は病気を患っていて会えないとか、どこまでが本当なのか分からない部分もあったけど、彼女のアルバイト代をせびりに母が訪ねてきた時に色々察する部分もあった。

その後、同居していたもう一人の友人が就職のため実家に帰り2人暮らしになってから、時々ケンカするようになった。そして新しい彼氏ができて帰ってこなくなった彼女に愛想を尽かしたワタシは、新しい同居人を招くことにした。
ちょうどその頃、一緒に参加していた映画サークルで、彼女が原案を考えた作品を撮ろうとなり、はじめは頻繁に参加していたのだが次第に来なくなり、そして季節が過ぎてすっかり冬になった頃、救急車が走り去った音を聞いた時に、何故か変な予感がして、彼女に連絡をとった。

久しぶりに会った彼女はどこか目が虚ろで、ファミレスのテーブルにコップの結露で出来た水溜まりを繰り返し拭きとったり落ち着きがなく、いつもと様子が違う事はすぐわかった。
それでも東京に行って、幼馴染とたくさん作詞作曲してきたと語り、テンションが上がり過ぎてずっと眠っていない、なんて話もしていた。

その横にいたのは、一緒の映画サークルに後から入った元バックパッカーの男で、話を聞きながら何か感じる部分があったので、2人とも家に泊めることにした。その日は当時の天皇誕生日前日の12月22日だった。(つづく)


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