「いま」に居られるお手伝い・後編

さてさて・・・ほったらかしになっていた(ごめんなさい!)
「”いま”に居られる」お手伝い の、後編をお送りします。

<前編のお話>
週明けに、幼稚園へ登園してきたある子ども。
「日曜日ね、大きい公園にお出かけしたんだよ!」と教えてくれました。

朝のお支度を終え、自由遊びを始めた中で、その公園で体験したことを再現して、ごっこ遊びを始めました。。。シートを広げ、おもちゃをお弁当に見立て、「いただきます」お人形と一緒に、楽しい会話をしています。

そのときに大人がつい、朝の会話を受けて、と思い、「○○ちゃん、日曜日に公園でも、ピクニックしたのねぇ」などと話しかけたりすると、どうなるでしょう。

途端に、その子の遊んでいた”いま”は、”過去の記憶を辿る”ことに、移ってしまい、せっかく遊びこんでいた世界は、異質なものになってしまいます。

これは、実はとても、もったいないことなんです。

えっ、朝の会話から、話題を膨らませようとしたのに!?

そうなんです。

幼児期の子どもにとっての現実は、まだまだ、”いま、目の前”が大半を占めています(少しずつ、過去のことも、少し先のことも、自分と結びつきのあることとして、意識に上らせることができるようになります)。

それなのに、大人の方から、過去についての記憶に働きかけるというのは、小さい子の頭を無理に働かせることになります(シュタイナー教育では、「目覚めさせてしまう」という表現をよくします)。

子どもが”いま”にじゅうぶんに居られるために、大人が少し気をつけることは、

子どもにとっての大きな贈り物になります。

その理由とは。
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さて、ここからが後編です。

”いま”にじゅうぶんに居られる体験は、人にとってとても大切な、”いま、ここに私がいる”という体感、意識を育てることにつながるのでは?と思うのです。

今年前半は、急な休校や休園という、子どもにとってとてもイレギュラーなことが起こりました。子どもへの心身の影響が懸念されていましたね。

そんな中、この時間を生かして、と、そのときしか出来ない何かに取り組んだ、中学生や高校生のお兄さんお姉さんの話を、いくつか聞きました。

頼もしいし、たくましいですよね。

もちろん、不安や、どうしよう?と感じることも、とても大切な体験です。

ただ、「いま、自分は不安に陥っているな」「自分は莫大な時間を前に、戸惑っているようだ」と客観的になれるか、そうでないかという違いはあります(もちろん小学生くらいまでの子なら、そこまで言語化できる必要はないですよ)。

イレギュラーなときでも、やりたいことを見出せたり、不安になっても、自分を客観視できる子。

彼らに共通していることは、”いま、ここに私がいる”という体感、意識をしっかり持っている、ということだと感じました。

シュタイナー教育に限ったことではなく、子どもの生活には「いつもと同じリズム」がとても大切です。

それにもかかわらず、私たちは、とにかくいろいろな変化の多い時代を生きています。

だからこそ、これからますます、”いま、ここに私がいる”という体感、意識が必要になってくるのではと思うのです。

大人としては、普段どのように「いつもと同じ」を守ってあげられるか、悩ましく思うこともあります。
大人の方も、急な変化に対応することが余儀なくされると、さあどうしよう?となりますものね。

例え、明日から休園!子ども広場などがお休み!
いつものリズムと変わってしまう、という生活の中でも、

ちょっと、遊びの中の会話で「子どもの”いま”」を意識することならば、できるかも(そのときはできれば、スマホなども、子どもの目に入らないように出来たらいいですね)?

小さな行為かもしれませんが、積み重なれば大きな力になります。

ご一緒に、「”いま”に居られる」お手伝い、していきませんか?


読んでくださって、ありがとうございました。



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