読んだら後悔する、クソ人間がクソたる所以のお話。

この文章は、私の抱いているしんどさを改めて文字にしてみようという動機で作成されました。なので終始暗いです。ごめにょ。

生きるのがしんどいです。
なぜ生きるのがしんどいのか。結論から言うと私がクソだからです。
クソってだけ言っても抽象的すぎるので、どんなクソなのか具体的に説明しますわ。

生きるためには何が必要でしょうか。
そう。お金です。
お金なくしては資本主義大国ジャパンでは何もできません。
だって、ご飯にもお家にも何にだってお金がかかりますからね。

では、お金を稼ぐためには何が必要でしょうか。
そう。労働です。
資本主義大国ジャパンでは、それ相応の理由がないと明文化されていないカーストの最下層にたたき落されてしまいます。

そんな価値観に虐げられて私は働いているわけですが、そんな生活が苦しくなることがあるのです。
私は時間をお金に換え、そのお賃金で生き延びる時間とぼちぼちな地位を買い、買った時間を使ってお金を稼いでいるわけでございます。

非常に無益ですね。
お金稼いで結果が無益とはこれ如何に。

ここで、こう思われた方もいらっしゃることでしょう。
「そんな考え方は存在しない。そういう風に思うのはあなたの問題でしょう」と。「そうじゃない生き方だってある。そうじゃない生き方をせずに働いているのはあなたの選んだ道じゃないか」と。

非常にその通りです。
正解すぎます。
私が虐げられていると錯覚してる考え方は私が作ったものですし、今の生き方を選んだのだって私です。私が悪いですよね。

もちろん、そんな考え方から脱却して、別の生き方の軸の中で行きたいと思ったことが私にもありました。ではなぜ私の別軸生き方大作戦は頓挫したのでしょうか。

正解は、「私が怠惰だから」でした!
答えがクソすぎますね。書いている私だけじゃなくて読者の皆様も嫌気がさしてきたことでしょう。
でも思い出してみてください。この文章の結論は「私が生きづらいのは、私がクソだから」でしたよね。ははは。

私は怠惰です。努力ができません。

先述した反論意見にある通り、私が虐げられていると勝手に思い込んでいる考え方に反抗して、そうじゃない生き方を求めることは可能だと思います。でも、そういった生き方には往々にして「努力」が求められます。
私はそれができません。なぜなら苦しいからです。報われる確証はない。なんなら報われる可能性の方が低いことを継続的に続けられないのです。そのしんどさに耐えるなら、自ら死んだ方がしんどくないじゃないかと思ったりしてしまうのです。

日々の生活を支配する労働に辟易し、辛さを覚える。それから脱却する方法があることは知っているが、それを実現するために必要なプロセスを嫌がって、そして辛いとか吐いている。

なんて自分勝手でわがままな人間なのでしょう。
これはもう、クソというほかありません。
周りの人や環境は何も悪くないです。すべては私が悪いのです!!!

自分がクソだとわかっている。しっかりと認識している。
そのうえで何もできない(何もしないって言い方の方が正確かもしれないですね。)私が大嫌いなのです。

そう認識していることが私のしんどさです。最悪ですね。
ごめんなさい。

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