黛冬優子と桜坂しずく〜二人の演じるアイドル〜

 みなさん!ニジガクアニメ8話見ましたでしょうか!最高でしたよね!最高ですよね!最高なんだよ!最高だから見てなかったら見て!

 そんで皆さん!黛冬優子最高ですよね!最高なんだよ!最高だろ?知らんかったらまずはシャニマスでプロデュースして!というわけで桜坂しずくと黛冬優子について考えます(どういうわけだよ)

①黛冬優子について

 冬優子の紹介からします。冬優子のW.I.N.G.編やってる人は読まなくていいです。というわけで冬優子ってどんな子なのかです。黛冬優子とはアイドルマスターシャイニーカラーズに登場するアイドルです。

画像1

この子です。かわいいですね。

 ざっくり言うと猫被りです。表面上はかわいい女の子を演じてるんですがその実、皮が剥がれると言うことはキツいし、すごく強気だし、オタク趣味だし…みたいな子です。猫被りの範囲はかなり広くて作中に登場するプレイヤーの分身たるP(この表現に思うところがある人はたくさんいるのは知ってますし、私もありますがとりあえず分かりやすさ取らさせてください)と同じユニットの芹沢あさひと和泉愛依にしか本性を見せません。他のユニットのアイドルにさえ、猫を被ります。Pとユニットの仲間にもある事件まで猫を被っていました。

 さて、この冬優子もアイドルをやってる以上壁にぶち当たります。あるカメラマンに自分の笑顔を「本当の笑顔でない」と言われてしまいます。そして撮影を切り上げられた冬優子は感情を爆発させてPの元から去ってしまい事務所にもこなくなってしまい、連絡も取れなくなってしまいます。しかし冬優子は事務所に現れます。そして逃げようと考えていたこと、でも胸に穴が空いたように思えたこと、仕事が楽しかったこと、「これがふゆ」と胸を張れるアイドルになりたいと話してくれます。うぅ…冬優子ぉぉ…(コミュを見返して少し泣いてる)

 そして冬優子はもう一度同じカメラマンとの撮影に臨むことになります。しかし、冬優子はそれにたいして「ぐうの音も出ないくらい完璧なふゆを見せてやるんだから!」と強気で撮られます。本番の撮影、カメラマンは以前と違う冬優子の笑顔を見ます。そして、「それがお前の本当の笑顔か」と漏らします。撮影は完璧な形で終了します。冬優子は猫を被った状態で本当の笑顔を見せることができたのです。

②桜坂しずくについて

 次に桜坂しずくについてです。私はニジガクの俄なので何も語れません。スクスタもそんなに触れてないです。これからお話することもアニメの範疇を出ないと思います。

これだけ見てください。最高なんですよ。最高。最高…

③黛冬優子と桜坂しずくの比較

 さて、この二人結構似てる部分があります。まず、他者にかわいいと思われる自分を演じてること(おまけに本当の自分は嫌われると思ってるという動機まで同じ)二つ目がオタク趣味(他者に理解されづらい趣味)を隠してることです。ただ、その向きが違うかなと言う感じです。冬優子は媚び媚びのあざとさMAXって感じだししずくはしっかりしててかつ清楚と言う感じだし、趣味に関しては冬優子はアニメ、しずくは古い映画や小説です。

そんな二人ですがアイドルとしては全く別の方向に向かいます。

冬優子 演じてる姿で本当の笑顔を見せられるようになった(演じることの補強)

しずく 本当の自分を曝け出せるようになった

では、二人はどうしてこんな風になれたのでしょうか。

冬優子 

 冬優子が目醒めたのは目標を見つけることができたからだと思います。「これがふゆ」と胸を張れるアイドルになることです。冬優子は演じることは他者に嫌われないため理想の女の子になることを目的としていました。しかし、一度折れて立ち上がった時に自分からこうありたい、自分に胸を張りたいという欲求が生まれました。目的が自分を認めるためというポジティブなものに変わったのです。その心境の変化が同じ「演じる」という行為でも質が全く違ったのではないか、演じていても本当の笑顔ができたのではないかと思います。

しずく

 しずくはアニメだと「本当の自分を曝け出す」ということが一つの到達点であるように描かれています。しかし、本当にそうでしょうか。それを見ていきます。

 まず、しずくは割に素直に前の話でも同好会で言いたいことを言ってます。実はしずくって状況によってはそんなに仮面被ってなかったのではないかと思えます。次に自分を曝け出さないといけなかったのはどうしてかということです。これはその役に限ってはそれが求められたからだと思います。役者もアイドルも演じることはこれからも求められると思います。

 では、しずくはどう変わったのかですがそれは「曝け出しても大丈夫」だと思えたことだと思います。作中しずくの「曝け出すことへの恐怖」が何度も描かれますが、かすみに救われて曝け出さないといけない主役に再び選ばれます。これはというどんな自分も好きでいてくれる友人がいることに気がついて自分を愛することができるようになったからだと考えています。しずくの恐怖は幼い頃の経験やトラウマで生み出してしまった虚像の面が強いと思いますが自分を認めたことでそれを克服したのだと思います。

④二人は結局似てないのか

 別々の道を歩む二人ですが私は結局同じ境地に至ったから二人は先へ進めたのだと思います。自分を強く持つということです。冬優子は動機が他者からの目線を意識したものから自分からの目線を意識したものに変わったことで演じることが強化されました。他者から自分へ意識が切り替わったのです。しずくは自分を認めてその結果演じることをしなくて良くなりました。自己を強く持つということが二人にいい結果をもたらしました。全く違う道を歩む二人ですが根底は同じ自己の強化からその道は始まっているのだと思います。似てないようで少し似てる。ゲームも環境も違うのに不思議な関係だと思います。

 以上、これが私の黛冬優子と桜坂しずくの比較になります。なんか書いてるうちに似てるのか似てないのかぐるぐると結論が変化して考えながら書いてました。結論はまた変わるかもしれません。しずくについてはスクスタがあまり見れてないので、そっちも確認してまた何か思うところがあれば書いてみたいなぁと思います。

 長々とお付き合い頂きありがとうございました。また私の心がぐちゃぐちゃになった頃に会いましょう。

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?