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デビューまでの道~小学校編~

思い込みが強いだけで結構いけちゃうものなのだ

今思い起こせば、果たして自分に音楽の才能があっただろうか?とても疑問だ。
冷静に振り返ればおそらくそれほどはないと思っている。
ではそれを打ち消すほど血の滲むような努力をしてきたのか?
正直感覚的にはめちゃくちゃ努力をしてきたのかもあまり覚えていないくらいだ。
だが、色々な思い込みが新しい思い込みを呼び更なる思い込みが連鎖し、
時には挫折さえ乗り越えてしまう。そんな必然に裏打ちされたミラクルを起こしてしまうことをここに記すとしよう。

1.音楽家を志すきっかけは祖父の死

自分史をさかのぼること40年、小学校2年くらいの時分だと思う。
音楽の道を志すきっかけは祖父の死だ。
父方の祖父が亡くなった時、それが僕にとって初めて直面する「人の死」だった。
今まで温かかったおじいさんが、通夜で、白装束を着せられ棺桶に入れられて、顔に触ってみるとすごく冷たくて生きている人間とは全く質の違う物体に感じたのだ。
火葬場で骨を拾った時、「結局人間の最後は骨と化し、当の本人が知らないところで全てがハッピーエンドに収まってしまうもんなんだ」と悟った途端、不意に強烈に心細い気持ちになった。そうなってくると両親も兄弟も親戚も近所のおじさんおばさん、友達含め、全ていつ死ぬかわからない。自分は一人ぼっちになってしまう。その日から「明日急にみんな死んじゃったらどうしよう」と杞憂するようになりその恐怖で毎晩眠ることができなくなってしまった。(当時はなぜか自分がいつか死ぬということへの想像力は全くかき立てられなかった。)
ある日その恐怖に打ち勝つ方法を思いついた。
それは1日も早い自立。
一人でも生き延びられる術を持つこと。
具体的には手に職を持つことだった。
そんなことを小学校低学年の僕はうっとりしながら夢見るようになっていた。
この時点で何かしらのプロになれば一生一人でも生きていけるという安易な思い込みをする。(思い込みポイント1)

2.好きなことを見つけるために焦る小学生時代

もともと学校は好きではなかったし、かと言って登校拒否するほどの強い信条も思想も持ち合わせていない僕は淡々と学校生活をこなしていた。
いつも教室の隅で夢想にふける僕に友達はできなかった。
先生の話はいつも右から左へと通り抜けて行き、ほとんど誰とも喋らなかった僕は周りからたいそう気味悪がられていただろう。
人に嫌われそうなことはなんとなく察知できていたので目立つことはしなかったし、お風呂も毎日入っており不潔じゃないからいじめられることはないと思っていたし、いじめられている自覚もなかったが、ある日クラスメイトに「收くんはすごいね。体育の時間、背中に砂入れられても石ぶつけられてもちっとも怒ったり泣いたりしないんだもん」と言われ驚いた。いじめられていたらしい。笑。
そもそもいじめられたことすら自分の夢想力で跳ね除けていたに違いない。(鈍感力もあった)
次第に僕は良い意味でも悪い意味でも周りと自分との温度差を感じるようになる。
「僕だけがみんなと違う」的なやつだ。遅かれ早かれ誰もが気づくやつだ。僕は小学2年の時にそれが訪れただけに過ぎない。
勉強をコツコツやることや、コミュニケーションとったり、人を導くリーダーのようなポジションが苦手な僕は、人並みに働くことは難しいのではないか。
将来は自分でなければいけないようなそんな仕事がやりたいなとふわっと考えていた。
苦手なことはやらない。いち早く自分の興味のある分野から始めてみた。
なぜなら飽きっぽい僕は何も長続きしないのを知っていたから。
飽きっぽい僕がずっと続けられるもの。きっとそれが僕の天職なのだろう。(思い込みポイント2)
手始めに興味のあった野球や、水泳を極めてプロを目指すと意気込んでいた。
しかし、うまくは行かなかった。笑。
小4の頃町内会の野球チームに入っていたのだが、同じ年頃の子の球が速くて見えず、三振した日にプロをあきらめチームもやめた。
水泳も得意で小学校の選抜チームに選ばれ主将もやっていたのだが、小6の頃、市の大会で50m自由形で最下位だったのでこんな地区大会で敗れてしまうようでは、、、絶対プロの道は無理。と断念した。
どうも僕には自分の力を過信する癖があったらしい。笑
野球も水泳もダメと来たら、もう自分が好きなことの中で残ったのは音楽だけだった。

3.音楽の中だけに自由があった

思い起こせば音楽との出会いは家の書棚にあった子ども向けの世界のクラシック全集。片っ端から聴きまくった。
その中の1枚のレコード。
特にプロコフィエフ作曲の「ピーターと狼」に魅了された。
それぞれのキャラクターをそれぞれの楽器でそれぞれのリフで音だけで物語を表現するのだ。
その表現力の豊さに心を奪われたのが一番最初の音楽との出会いだ。
目を瞑って音楽に耳を傾けるだけでファンタジーなその世界の中でいつまでも遊んでいることができた。

この時期はクラシックの行進曲にハマって特にプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」、ファリヤの「火祭りの踊り」が好きで大興奮でレコードプレーヤーの前にしがみついていた。

何故こんなに一人の世界に没頭できたかと言えば、普段の学校生活があまりに冴えないこと、友達と遊ばなかったことが大きいのかもしれない。
ある角度から見たら孤独で寂しい子ども時代だが、僕側から見れば自由に一人の世界に浸れる、いわば夏目漱石の言葉を借りれば「高等遊民」のような生活をしていた。だから当時は寂しい気持ちにはなったことがない。

そんな僕が表舞台(学校生活)でも急に脚光を浴びることになる。
音楽の時間にベートーベンの「トルコ行進曲」をアカペラで歌う課題が出た。
生真面目な僕はレコードを買ってもらい、めちゃめちゃ聴き倒した。
整理して聴いてみるとフレーズは全部でざっくりA B C Dの4パターンとエンディング。このフレーズのメロディをそれぞれ暗記して、ノートに構成を書いてそれも暗記。

課題発表の日。
僕は行進が遠くから近くにきて通り過ぎゆく様を音の強弱で歌い分け、構成も完璧に覚えフルコーラス全てアカペラで歌い切った。
この課題を成し遂げたのは僕ただ一人だった。
音楽の先生にすごく褒められた。
その時思った。もしかして俺天才じゃん。笑 
初めて自分以外の人間が僕を認めてくれた瞬間である。(思い込みポイント3)

それがきっかけで先生は僕の歌声も褒めてくれて、事あるごとに僕に人前で歌う機会を与えてくれた。

※ピーターと狼 https://youtu.be/gIEkyfx1lyI
※3つのオレンジへの恋 https://www.youtube.com/watch?v=JP92iTA9ZNA
※ファリヤ「火祭りの踊り」 https://youtu.be/htKOIU38yq0
※ベートーヴェン トルコ行進曲 https://youtu.be/l_a2or5dI9o

4.ゴダイゴのモンキーマジック幻聴体験

「モンキーマジック」とは当時流行っていたテレビドラマ「西遊記」のオープニングテーマ曲である。
エンディング曲の「ガンダーラ」の方が相当売れたらしいけど、僕は断然「モンキーマジック」の方が好きだった。
ゴダイゴというバンドは当時洋楽かと思っていた。何故なら歌詞は英語だったし、ドラムもベースも外国人で、ボーカルがタケカワユキヒデ(カタカナで書いてあるだけで外国人だと思っていた。笑)、キーボードのミッキー吉野もミッキーだからアメリカ人、ギターの浅野さんは見た目ネイティブアメリカン。そんな具合。
魅かれたポイントはミッキー吉野の駆け上がって雄叫びをあげるようなシンセサイザーのうねり、70年代のディスコサウンドを彩るストリングス、スラップベースとリズムの合間から聞こえる歪んだギター、アジアテイスト満載な大サビ。1曲の中でのスケールの大きさかな。
あまりの驚きで、このドーナツ盤を買った日は一晩中繰り返し聴いて、次の日学校ずる休みをしてまで一日中繰り返し聴いていた。
どれくらいぶっ続けで聴いていただろうか。ご飯も食べないでひたすら布団にくるまってステレオをかけまくる。
三度の飯より音楽が好きになってた。笑
気がつけば、レコードプレーヤーの電源を切っても頭の中に完璧にゴダイゴが再生されていた。
聴きたいところどこからでも脳内で巻き戻しも早送りもできて、全パートの楽器がバラバラに聴こえてくるようだった。
その時思った。俺天才じゃん。笑
(思い込みポイント4)

※ゴダイゴ 「モンキーマジック」 https://youtu.be/IGVxOLBzAJw

5.キヨシローさん

ゴダイゴとの出会いで将来はレコーディングミュージシャンになることを考えてた僕だったが、小4の頃偶然テレビで「RCサクセション」に遭遇することになる。
僕にとってはキヨシローはまさにロックスター。
6つ年の離れた兄がRCサクセションのアルバムを全部持ってたので、聴かせてもらい僕もすっかりはまった。
見た目からキヨシローに近づこうとして母親のアクセサリーやら、服を借りてユニセックスな格好を真似し出した。
9つ年の離れた大学生の兄はその頃プロのようなパレット式のメイク道具を持ってて、僕にキヨシローメイクを施してくれた。
メイクに衣装バッチリのキヨシロースタイルで「愛し合ってるかーい?ベイベー」と僕がものまねすると母も兄たちも喜んでくれたことが、自分の中のエクスタシーだった。

メイクすれば自分いけてるかも。俺が人前で歌ったら、必ずみんな笑顔で喜んでくれる。(思い込みポイント5)

よし、歌手になりたい。と思った。

6.写経ならぬヒアリング写詞?

歌うだけじゃダメだ。歌詞を書かないと。
まずはRCサクセションをお手本にしようと兄から歌詞カードを借りようと試みるが、子供には歌詞が際ど過ぎると言って貸してくれなかった。
仕方ないのでRCサクセションのアルバム「BLUE」のカセットのテープが伸びるほど聴きまくってアルバム一枚分の歌詞をノートに書き殴った。写経ならぬヒアリング写詞である。キヨシローの歌はたくさんベイベーや英語やフェイクが入り混じってるので、それも全て文字にしたら、全く日本語が成り立ってなかった。
「さあもう一丁 俺たちロックロールバンド」を「スワァーモーォイィーゥチョー俺たちロックローバァーン」なんて聴こえてきて、ロックローバーってロックなクローバーのことだななんて勘違いしてたし、筋の通った日本語よりも響きが大事と思ったから、ゴロがよけりゃ意味がなくても歌詞になる。作詞ってなんて自由で面白いんだと思った。(思い込みポイント6)

大人になって後で歌詞カード見ながら答え合わせしたらまるで合ってなかったし、RCサクセションの歌詞はちゃんと日本語としても筋が通ってたけどね。

※RCサクセション「BLUE」 https://music.apple.com/jp/album/blue/1442908565

7.ロックは不良じゃなくてもできる

小5になると少し現実的になった。
例えばロックで成功を成し遂げる人はとんでもない不遇な身の上とかセレブのような一般市民とはかけ離れた特別の境遇の生まれとか、手の付けられないほどの不良とか、言葉や目つきやファッションの全てに至るまで普通じゃないセンスとギラギラした危ない輝きを持っている人だと思っていたので、
「驚くほど平凡な自分は果たしてプロのロック歌手になれるのだろうか」という問いに僕なりのアンサー「どうすれば手のつけられない不良になれるのか」を本気で悩んでいた。笑
そんな時に出会ったのが佐野元春の音楽だった。
6つ上の兄の部屋から流れてくる知的でお洒落なロック。
それが佐野元春の印象だった。しかも知的で、アウトサイダーとか不良とはかけ離れたような風貌の佐野さんがロックをやっていることに共感した。

知的になれば僕のような普通の生い立ちの人間でも人前でロックできるかもしれないと勇気を持った。(思い込みポイント7)

アルバム「SOMEDAY」をかなり聴き込むと、お洒落なのに熱い。気になって遡ってファーストアルバム、セカンドアルバムを聴き直した。
「アンジェリーナ」のイントロのジェット機のエンジン音のようなフランジャーのかかったエレキに度肝を抜かれ、そして8分音符に歌詞を載せる乱暴かつ整った文字配列の歌唱法、「ブルルエンジン唸らせて」などエンジンの擬声音を歌に乗せたり、歌の合間の雄叫びやアウトロの「カモーン」などシャウトも全てが斬新で、これまでのロックや歌謡曲にはない新しさを感じた。
早速佐野元春の作り出す音楽を自分でも体現しようと楽器屋でバンドスコアを入手する。初めてのバンドスコア購入。
小3からピアノを習っていたので楽譜は読めた。「彼女」「HEART BEAT」「DO WHAT YOU LIKE」を弾き語れるようになり、プレイヤー的にも彼の音楽にハマっていく。僕はいつも佐野さんの音楽から東京の街を見ていた。いつか地元を出て東京に出る夢を見るようになる。
大人になって佐野さんのインタビューかなんかで読んだんだけど、彼は同じ「面白い」ことでも「Funny(笑いを連想させる滑稽さ)」ではなく「Interesting(興味深い面白さ)」がやりたいのだと語っていたが、そのスピリッツが小学生の僕に届いたのだと思う。
なんとなく小5で佐野さんのようなシンガーソングライターになることを決意。

※佐野元春「SOMEDAY」https://music.apple.com/jp/album/someday/1093731928

※佐野元春「アンジェリーナ」

8.頭の中で鳴ってる音の全てを写しとる機械さえあれば作曲家になれる

作詞作曲を開始するも新たな壁が立ち塞がる。
僕は楽譜が書けない。
困った僕はカセットテープに自分の思いついたメロディーを吹き込むことに。
しかし、思いつくのは佐野元春の歌メロばかり。初期の佐野さんのアルバム3枚はおそらく歌詞見なくても歌えるほど歌い込んだ。
好きなアーティストを聴きすぎると影響を受けて自分のオリジナルが書けなくなる事を経験。

小6になると6つ上の兄の影響でムーンライダースのアルバム「青空百景」にハマることに。「素敵な人の家の周りウロウロするリアリティそれが恋」(僕はスーパーフライ)、「好きな子の足に触れた僕 照れ臭くて頭立をするワッホッホ」(トンピクレンッ子)、「物は壊れる人は死ぬそう言うわけさママン」とか。今までの流行りの歌や、ロック音楽には見られない不思議な歌詞の世界観に心を奪われた。もちろん歌詞だけには留まらず、スネアではなくバケツを叩いたような実験的なドラムの音、どうやって録音したかわからないエフェクトのかかったギター、多彩なコーラスワークにバイオリン多重録音などを駆使する彼らの斬新なサウンドに新しいロックの未来を見た気がした。ムーンライダースとの出会いが「音作り」そのものに興味を持つきっかけになった。
メロディと歌詞だけでは不十分で、鳴ってるサウンド全体が要なのだという事に気付く。
つまり僕にとってのソングライティングとは、いわゆる作曲、作詞に加え、曲をイメージできるサウンドそのものを選び、それらをどういう手段・方法で編曲し録音していくかというところまで全てやり切ることだった。
もっとわかりやすく言うとスタジオレコーディング品質のクオリティのサウンドを自らの手で1から作り出すことが
僕にとっての本当の意味での作曲活動であると言うことに行き着いた。
ピアノをポロンと鳴らしてメロディを発するだけじゃワクワクしなかった。
頭で鳴ってる音楽=レコーディングされた全ての楽器が詰まった音(きっとゴダイゴの「モンキーマジック」の幻聴体験のせいなのだと思われる)、
その音そのものを写し取れる機械があったらいいのになあ。そうすればいくらでも曲ができるのに。
そう、MTR(マルチトラックレコーダー)さえあれば!!!
(思い込みポイント8)


頭で鳴っている音楽を一つ一つ紐解き録音して行くことがそんなに容易いことではないと言うことをこの後、僕は気付いていくことになる。
続く。

※ムーンライダース「青空百景」https://music.apple.com/jp/album/%E9%9D%92%E7%A9%BA%E7%99%BE%E6%99%AF/361342331


次回はササキ少年がシンガーソングライターに1歩近づく(旺文社&ソニー中学生テープ大賞)事件、そしてあのバンドブームを牽引したテレビ番組「イカ天」に現役高校生で出場するも衝撃の評価を受ける事件について書いていこうと思います。

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