210912_良さを知る幸せと不幸
めっちゃおいしいお寿司に行く
結果、今まで食べてたお寿司をおいしく感じなくなる
おいしいご飯に出会えたことは幸せであるが、
その分、人より幸せに感じるポイントが減ってしまう
面食いの人ほど住んでいる世界はブスばっかだし、潔癖症の人ほど住んでいる世界は汚いからね
じゃあ何事も知らない方が幸せなのか、生きやすいのだろうか
例えば、今までされたことないくらいの気遣いを受ける、過去一番に優しくされる
これは最高の幸せじゃないか、それを知らずに塩対応されている人がいたら、それは全力で気遣いや優しさを受けてほしいと思う
でも、幸せってそこに客観性はなくて自分の閾値でどうにでもなるもの
今の塩対応でも、それが世の中の優しさのMAX値と思っていたら、それはそれで幸せなんだよな
そう考えると、気遣いや優しさを受けてほしいって誰視点でもの言ってんねんって話でもある
どこにモノサシを置くのか、誰視点で語るのか、難しい問題だな
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