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「マジックメタル」受け継げぬが故に受け継ぐもの。モノからコトの先に必要なもの。

金型屋の息子だから金型を作れ。

そんな時代に生まれ、疑うこともなく中学高校と工場でバイトをした。しかしいつからか何かに反抗するように工場から離れた。工場が嫌というより、このまま進む感じがとても嫌だった。しかし大病を2度も患い運命に工場へ戻されるも、金型は作れない。

この時、これ以前だとしてももし灰を崇拝していたら今も名も無き金型職人だった。もちろん悪くないが、たぶん工場は今と違った状態だろうとは思う。

俺は金型屋の息子なのに金型は作れない。だったら、金型のように、金型作りだけでは辿り着けないより多くの人たちの役に立つものづくりにとってより良い環境をつくる。

(MGNETの語源である「Make good networks」の魂は、ある意味「金型」にもあてはまることにわりと最近気づいた。案外こんなものかも知れないけど、意志は何もかもが手繰り寄せるなとも感じた。)

誰でも簡単に同じものを生産し続けることができる魔法のような道具、それが当時の金型だった。だとしたら俺ができることは未来のものづくりを変える魔法のような道具をつくること。

画期的な機会の創出(コミュニティ)、革新的な情報設計(デザイン)、未来を創る社会的な価値(ソーシャルビジネス)など。そしてこれらが繋がり機能する事で新しいプラットフォームが構築され、誰でも簡単に、ものをつくることにアクセスができる。もっとものづくりをシンプルにするソリューション。

そんな夢みたいなことを今も考えている。

もちろん夢ばかりを追いかける訳にもいかず製品製作にお店の運営、コンサルティングに地域事業など現在も様々な事業を展開しているが、それらの真に存在しているのがMGNETの理念「モノにエンターテイメントを。」という言葉。

楽しそう!面白そう!から始まる、こちらではなく見ず知らずの誰かの物語を支えるための理念。

どんなに機能的でも、どんなに画期的でも、どんなに魅力的でも、働いている人やお客さんが問題や課題を感じ、暗く深く考え込んでいては進展も未来もない。そしてどうも世間はものづくりはそこを強調したいらしい。そんなノスタルジーでシリアスな表現から逸脱し、どこか新しく、楽しそうですワクワクすることを生み出したい。手段なんてなんでも良い。大切なのは伝えることではなく、伝わること。


想いが詰まった金属の塊。

金型の製造というのは、せっかく凄いことをしているのに、世の中的にはその魅力が全然、全くもって伝わらない。

「どうにかならないものか。」と考えれば考えるほど、そして「もっとさ」と提案すればするほど、金型の外にいる俺と、金型真っ只中にいる父は喧嘩の日々。

そんなとある日。人知れず静かに何の前触れもなく現れた金属の塊。あれには驚いた。険悪だった父の前で「これヤベェw」と思わず声が出た。この無意識の言葉が出てしまった状態には自分でも本当に驚いた。

父が構想し、工場長が形にした、当時は名前もない金属に塊「マジックメタル」は、技術展や見本市で話題となった。が、それから広まりを見せることはなかった。

俺は必死に伝え方を変えた。SNSやYouTubeにもあげた。俺はとにかく伝える人を変えた。そして俺はいつしか、もう世の中からは飽きられたと思っていた。

そんな中、転機が2度訪れる。

1度目は若者にとても人気がある有名なウェブメディアの人が地元へ取材に来てくれた。マジックメタルをすっごく喜んでくれた。記事はとても面白かった。マジックメタルだけじゃなく工場やMGNETの事も面白おかしく伝えてもらえた。若者への関心は広まった。

【職人】日本の鍛冶技術は世界レベル! 新潟燕三条の「モノづくり」がヤバすぎる

続いて2度目。MGNETの学生スタッフ(当時17歳)が「一回ちゃんと(マジックメタルを)撮っていいですか?」と動画を撮ってくれ自身のツイッターに載せてくれた。

長谷川カラムTwitter

1日経ってないくらい、ほんと瞬く間にバズった。バズりにバズった。

すごく印象的だったのでその時俺は講演するため大阪にいたことをよく覚えている。確か時間がなく、たこ焼きを食べるなどの大阪っぽいことが何一つできない出張だったということをよ〜く覚えている(ホントどうでもいいことだが、それくらいよく覚えている)。

今では日本の大勢が知ることとなった金属オブジェ。たぶん老若男女“本来の金型と言う道具”よりは有名だろうと思う。そして日本を飛び出し世界へ広まった。英国の王子様から ため息のような「アメイジング」をいただくまでになった。

なぜあれだけ必死にやっても広まらなかったのに、気づけばトントン描写。そう、自分で感じて、考えていたことなのに忘れていた。俺が武田金型製作所に入社当時、ずっと感じていて、思い描いていたこと。


伝えるより、伝わる。

幼少期。
俺が小学校から帰るたびに父が「すげーろ(すごいだろ)」「かっこいいろ(かっこいいだろう)」と自慢げに見せて伝えてくれた金型。結局、俺はそもそもソレ(金型)が何なのか、何が凄いのか、何がかっこいいのか分からなかったけど、本当は早く遊びに行きたかったけど、不思議と誇らしかった。金型屋の息子として誇らしかったから「すげーね!」と言ってきた。

そして(本当に紆余曲折あった後)ひょんなことから入社をして、十数年ぶりの工場で垣間見た光景は子供の頃と同じだけど、全く違う印象を受けた。

「すげーろ」「かっこいいろ」と自慢げにお客様相手には伝えることができない現場。

「そんなことはどうでもいい」と言わんばかりの緊迫した鬩ぎ合いを続ける現状。

そして何より「良いものを作るなんて当たり前」という製造業の現実。

当時の俺は、ほぼ寝たきりだったので、父が始めたばかりだったマグネシウム製の名刺入れ作りを手伝い、インターネットで販売することが仕事だった。

そんな中でも、現場を横目に見る現場のギャップを感じずにはいられなかった。そして徐々に父や工場長、職人たちの作る金型の技術を、できる限り分かりやすく簡単に、かつ面白く楽しげに、何より大勢に伝えたいと思った。

一瞬で「おおお!」と相手に喜ばせたい。何かある。シンプルだからこそ伝わる何か。ずっとそう思っていた。

今だからこそ思えることとして、この時俺が感じていたギャップ、この腑に落ちない感じや、言葉にできないもどかしさからずっと目を晒さず、周りからは「そんなことは無駄だ!」と言われ、色々な失敗と経験を続けたのは良かったのかも知れない。

少なくともそれがなかったら、マジックメタルはないだろう。

それから10年が経った。

俺は今も変わらず、父と喧嘩になる。
マジックメタルに限らず、金型を広めようとするたびに父とは喧嘩になってしまう。

父は今も変わらず、金型を作る。
そして時には、工場や展示会場で嬉しそうにマジックメタルをお客様に見せる。

今では「燕三条 工場の祭典」をはじめとして多くのお客様が武田金型制作に訪れる。打ち合わせやトライなどお仕事関係を抜かしても、その数は年間で2500人にもなる。

田舎の金型工場に2500人もの人が工場見学に訪れ、父の金型話を聞き、マジックメタルが現れ文字が消えていくたびに、みんな「わああ」と笑顔になる。

きっと小学生の俺が見たら、間違いなく目を輝かせて、父に「すげーね!」と言うだろう。工場に生まれた息子にとっては夢のような光景だ。


マジックメタル。

俺と父にとって
本当に“魔法の金属”だ。


これからもMGNETは、ものづくりをシンプルにする。 父が始めた金型屋の炎を絶やさないために。

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